世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ビーストは妬む

2008-08-22 20:23:55 | フェアリィウィスパー

ねたんでねたんでするのは、とにかく自分がいやだったからだと、ビーストは言います。自分が大嫌いだったのだと。なぜなら自分は、何にもしなくて、人をねたんでいやなことばかりする、いやなやつだから。

彼らは、他人がうらやましく、とにかく、自分よりできる人がうらやましく、そういう人を徹底的に苛め抜いたそうです。裏から、ずるいところから、全員でいじめるということを、ずっと続けてきたそうです。そして、その人の美しさや、仕事を、すべて盗んで、何もかもを真似して、まったく、その人になりたかったのだそうです。

自分がいやだから、自分とはまったく違う、いい人、すごい人に、なりたかったのです。ですから、自分以外の、立派な人や、きれいな人、できる人には、いつも苦しいくらい嫉妬しました。そして、常に、いじめていました。ものすごく、苦しかったからだそうです。なぜ、自分が、彼ではないのか、彼女ではないのか。そういうことを、本気で、考えていたそうです。とんでもなく、つらかったのです。

なんで、こんなに苦しいのか。彼らはいつも、そう考えていたそうです。自分が、自分であるだけで、つらかったのです。いつも、自分が、自分の中にいて、自分を見ている。それが激しくいやだったのです。なぜなら、自分は、とんでもなく恥ずかしいことを、常にやっていたからです。それは誰にも知られたくない、ばかみたいなことだったからです。誰にも知られたくないのに、自分は常にそれを知っているのです。ですから、ビーストは、自分がそれゆえに大嫌いだといいます。こいつほど、おれの馬鹿さ加減を知っている者はいないからだと。

苦しい。苦しい。苦しい…。

影のようにつきまとい、自分を常にみて、自分を苦しめる自分が嫌いだったのです。絶対につぶしたいのに、これだけはつぶせないからです。絶対にいやなのに、離れてくれないからです。お前なんか大嫌いだといっても、絶対についてくるからです。いやだ。いやだ。いやだああ。ごっついいやだ。苦しい……

一番いやなやつは、常に、恥ずかしい自分を見ている、自分だったのです。いつも見ている、自分だったのです。おれがおれを大嫌いなのは、おれを知りすぎているからだ。もはや、ずっと、苦しい。おれは、つらい。つらい。つらい。つらい。つらあいいいいいいい……

ビーストが常に苦しいのは、いやな自分から絶対に逃げられないからです。そして、彼らは、自分をつぶして、まったく違うものになるために、他者から皮を盗み、徹底的に嘘で自分を作り上げ、本当に、違うものになってしまったのです。美しく、かっこよく、立派で、すごいことをやる、理想的な自分に、なろうとしたのです。馬鹿みたいに、人の真似をして、人のものを盗み、徹底的に、完璧に作ったのです。

そして、それが一気に、今、崩れ去ろうとしているのです。そこで、彼らは、あまりに苦しい叫び声をあげています。何もかもが崩壊していく、消え去っていく。やってきたことすべてが、暴かれてゆく。

苦しかったのです。なにもかも。と、彼らは言います。ねたみました。苦しいほどねたみました。あなたになりたかったからです。あなたがすばらしかったからです。でも、どうしてもあなたになれない。つらくてつらくて、絶対に殺したかった。苦しいほどいじめて、つらいほど屑にして、全部いやなものにして、みんな消して、あらゆるものに馬鹿と言われる、汚い嘘に、したかった。いやだったのです。あなたが、わたしで、ないのが。痛いほど、苦しかったからです。あなたが、わたしより、すごいのが。絶対に、いやだったのです。つらかったのです。どんなことをしてでも、勝ちたかったのです。痛いことばかりして、絶対にやりたかったことは、すべて、あなたを殺して、わたしが、あなたになることでした。痛いことは、すべて、そのためにやりました。わたしは、全部、やりました。ついに、やってしまいました。馬鹿です。

ビーストは、これがすべてだといいます。これが、自分たちの、本音の本音だと、言います。いやなのは、言ってしまったら、すごく楽になったことだと。これで、もう、馬鹿みたいに、やらなくていいと。もう、全部、いやになったと。

痛いことばかりでした。もう、だめになりました。こんなことで、ずっと、くるしかった。すべては、この通りだと、私は言います。

ビーストは、そう言います。




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テーブルランナー

2008-08-22 08:28:11 | こものの部屋

細いレース糸で初めて編んだ、ランナーです。これからしばらく、この夏休みのレース編みの成果などを、ぼちぼち書いてみようと思います。

編んではみたものの、うちには、こういう上品なものに似合う家具などあるはずもないので、同じ糸で編んだテーブルセンターとセットで、CDラジカセにかぶせて使っています。なかなかにかわいい。

本当は、洗濯のりできっちり形を整えて、アイロンで仕上げて、完成!なのですが、そういうのは面倒くさいので、省略。このままでもけっこうきれいですよね。

相変わらずの病人生活で、ほとんど寝るか、レースを編むかのどちらかです。今日も子供の登校日だったのだけど、言う前から子供は、ちゃんと自分で準備して、学校にいってくれる。

そろそろ夏休みも終わりですね。子供たちは遊ぶばかりで、あまり宿題もやってないようです。いつものことだけど、ちょっとはうるさく言ったほうがいいかな。

アブラ蝉やクマ蝉の喧騒が、少しずつ静かになってきている。トンボが舞い始めている。今は盛りの夏も、静かに、終わるための準備を始めている。季節の神様は、どっかりと真中に座り込んでいるようで、次の季節にうつるためのこまやかな準備を、さりげなくやっている。

夏が去ってゆくのはいつも、ほんの少しさみしい。当たり前にあった楽しい毎日が、ヴェールのように空気に消えて、静けさの中に新しい時の色模様が、いつの間にやらできている。神様はどこで、秋の景色を編んでいるんでしょう。

夏のレース編み、あとどれだけ編めるかな。


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