世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

きれいなドイリー

2008-08-28 09:14:04 | こものの部屋

細い糸で編んだパイナップル編みのドイリーです。だんだんと上手になってきました。でも繊細できれいなレースのドイリーを生かせる家具がなくて、茶色の和紙の上において、折り鶴なんぞをそえて写してみたのですけど。やはりレースは、格調高いテーブルの上だとか、上品な骨董の花瓶の下などに、置いたほうがいいですね。でもそんなもの、うちには全然ないしなあ。

細い40番の糸で、ちまちま編んでいくのは、とても心が静かになってきて、いいです。いろいろなことがありますが、小さな小さな一目一目に集中していくと、日常の瑣末なことに煩わされて、傷んでいる心の苦しみが、なくなっていくような気がする。もしくは、忘れてしまう。

問題はまだいろいろあって、これからいくらでもやらなくてはならないのですが、しかし、レース編みで心を整えていると、仕事のやりやすさが違ってきます。本当にね。やはり、なんでも、ちゃんとやっていくには、自分の心をちゃんと知っていて、なんとかしていくということも、やらなくては。

自分が馬鹿になってしまっては、いい仕事ができない。いい言葉が書けない。わたしの仕事は、この世界の美しいものを詠みあげていくことなのだから。

苦しいとき、苦しすぎるとき、そういう時は、人生に必ずある。そこをどうやって乗り切っていくか。それを知っておくことは大事です。今の時代は、大学も、会社も、比較的簡単に入れて、大人になるための試験もとても簡単。着物やスーツを着て成人式に行くだけ。今日からたばこも酒も自由。そうなるだけ。まったく、愚かなことだと思います。

子供は、ほとんど試練を知ることなく大人になる。そういう大人が、初めて、人生の厳しい壁にぶつかったとき、どういうことをするか。なんとかして、自分だけは守ろうとして、まるで子供じみたことをするのです。今は、それが当たり前になっている。けれど、そればかりやりすぎて、世界が、とても痛いものになった。

大人が、まるで子供みたいなことをしている。お菓子のおまけのおもちゃを集めたり、アニメや漫画そのままの服を作って、着てみたり。おそろしく漫画っぽい車を作って、乗ってみたり。

子供のころに、一度は考えてみたことあること。たとえば、大人になったら、お菓子をいっぱい買うんだとか。ウルトラマンに出てくるかっこいい車を買うんだとか。そういうことを、本当にやってしまう大人が、今、たくさんいるのは、大人になる試験がやさしすぎて、みんな子供のままでいいんだって、ずっと子供のままでいる大人ばかりになってしまったからでしょう。

孤独の中で壁にぶつかり、自分という存在に気づき、自分の人生をやっていく自分という自覚を、自分の中に作る。そういう、通過儀礼のようなものが、人間には必要だと思います。心の中で、子供の自分がいったん死に、大人としてよみがえる。そういう経験を、いつの間にかしている人間は、大人としての行動ができますが、それができていない人が、たくさんいすぎて、子供じみたことばかりをして、とても変なことになっている。そういうことがありすぎますね。

イニシエーションといいますが、心理学などで、よく言われました。今の子供にはそれがない。だから、結局、大人になって、ずいぶんと立派なものを得てから、それを経験することになって、自分の人生が、すべてダメになってしまうということが、多くあります。これは大変です。大人の、立派な地位を得てから、それまでの自分が死んでしまうのです。それからよみがえるのは大変です。

大人になる儀式は、若いころに経験しておいたほうがいい。若い人は、人生の厳しい壁にぶつかったとき、それから逃げずに、まっすぐに向かっていったほうがいい。なぜなら、子供の自分は、いつか捨てなければいけないものだからです。

苦しい、と感じることがあるとき、集団の中に自我を埋没させて逃げる人が多すぎる。孤独の中で、自分でそれをやる、ということをやってみましょう。馬鹿みたいだと言われても、ひとりで、自分のやるべきことを、やってみましょう。それができたら、大人になる一歩を踏み出したことになる。

ばかは、自分では決してやらないから。自分で、自分をやるとき、それが、自分の本当に人生の始まりだと。

そういう通過儀礼が、人には必要だと思う。











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