世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-09-07 07:32:28 | 月の世の物語・余編

休日のカフェは少し混んでいました。学生時代によく寄ったカフェですが、壁に飾ってある小さなルオーの複製画や、黒っぽい椅子やテーブル、店の隅に何気なくおいてある大きな木彫りの猫の人形などは、ほとんど変わっていませんでした。記憶と少し異なるのは、床の色くらいです。古くなったので、洗浄したか、床を打ちなおしたかしたのでしょう。

「やあ、ドラゴン!」と、カウンターの奥から声がしたので、店にいた人々が、びっくりしたように一斉に彼の方を見ました。カフェの入り口に立っていたドラゴン・スナイダーは、困ったような顔をしつつ、彼を見てうれしそうに手を振っているアーヴィン・ハットンの方を見ました。

「大声でその名前を呼ばないでくれないか」とドラゴンはアーヴィンの隣に座りながら言いました。「ごめん。ミスター・スナイダー」アーヴィンが言うと、ドラゴンは店員にモカを頼んでから、「それもやめてくれ。なんだか気持が悪い」と言いました。「じゃあどう呼べばいいんだい?」「…ドラゴンでいいよ。ただし人前ではあまり大声で言わないでくれ。この名前で、けっこうぼくは苦労してるんだ」ドラゴンは、自分の背中に他人の視線が集中しているのを感じつつ、言いました。

ふと耳に、若い男の声で「何だ?ドラゴンて、人間の名前なのか?」と揶揄するような声が聞こえました。ドラゴンはすぐに振り向き、その声の主らしい若い男を、じろりと睨みました。すると男は、一瞬目をひきつらせて、飲んでいたコーヒーを急いでテーブルの上に置くと、そそくさと金を払って店を出て行きました。ドラゴンは、ふう、と息をつくと、前に向き直って、出されたモカに口をつけました。

「ドラゴン・アイズだ、変わってないね」とアーヴィンはうれしげに言いました。ドラゴンは目つきに迫力があるらしく、その青い目でじろりと睨まれると、それだけでたいていの人は肝が縮みあがってしまうらしいのです。それを学生時代は、みなが「ドラゴン・アイズ」と言って、おもしろげに真似したりしていました。本人は特にそんなことには興味も持たず、通り過ぎていっただけでしたが。

「君の目は不思議だな。青い目はたくさんあるけど、君みたいな目をした人は見たことがない」アーヴィンは昔と変わらぬ明るい声で言いました。「そうかな」とドラゴンはそっけなく言いました。

ドラゴンは、アーヴィンと会うのは一年ぶりでした。しかしその月日の空白も、アーヴィンの明るい呼び声で、一気に吹き飛んだかのようでした。彼らはコーヒーの香りを楽しみながら、昨日会ったばかりだという様子で、色々と仲良く話をしました。

「どうだい、仕事の方は?」とドラゴンが尋ねると、アーヴィンは、笑顔を一瞬固まらせ、目を微妙にドラゴンの顔からそらしながら、言いました。「うん、今は、児童向けの詩のアンソロジーを作ってる。ぼくとしては本当は文学誌の編集に回りたいんだけど。児童文学もなかなかおもしろいよ」アーヴィン・ハットンは大学を卒業後、ある出版社に勤めていました。
「詩の方はどう?まだ書いてるんだろう?」ドラゴンがまた尋ねると、アーヴィンは当たり前のように言いました。「そりゃそうさ。詩とぼくの縁は一生切れない。いずれは詩集を出すつもりだけど、まだ今の自分では、経験も力も足らなすぎる気がしているんだ」「へえ」
「仕事柄、いろんな作家に出会う。中には胡散臭い作家もいるんだけど、時々、何かこれはすごい、と感じる作家もいるんだ。言葉でゴリゴリ脳みそをこすられるようなファンタジー小説を書く人が一人いる。かなり面白い感性をしてる。その人の心の中では、地球はいつも燃えているんだってさ。そして、だんだんと炭になってきてるんだって。ぼくはなかなかいいと思うんだけど、編集長は彼を認めてくれない。なんでかな、ぼくがいいと思う作家はいつも、編集部の誰にも認めてもらえないんだ」「…今はね、時代が時代なんだよ。ほんものであればあるほど、なぜか暗い田舎の隅にいたりするんだ」ドラゴンがいうと、アーヴィンはふと目を曇らせ、うつむいて、カップの中のコーヒーに映った自分の顔を見ました。そのアーヴィンらしくない顔を、ドラゴンは見逃しませんでした。

「どうした?何か苦しいことでもあるのかい?」ドラゴンの問いに、アーヴィンはしばし黙っていましたが、やがて眼鏡を外して目をこすりながら、少し重いため息をつき、言いました。「…まあね、いろいろあるよ、そりゃ仕事だから。それより君の方はどうなの?」アーヴィンが話をドラゴンの方に向けると、ドラゴンはなんでもないように言いました。「ああ、毎日レモンを売り歩いてるよ。大手のレストランチェーンとか、スーパーマーケットなどに行ってね、いかがですか?ムーンライト・レモン!」ドラゴンが笑いながら言うと、アーヴィンもくすくすと笑いました。「君がレモン農場の販売会社に勤めるとは思ってなかったよ。ドラゴンとレモンなんてまるで似合わない。君の父さんや兄さんたちみたいに、軍に入ると思ってたけどな」「戦争は嫌いなんだ」ドラゴンは一言で、切り捨てるように言いました。

「あ、そうだ。そういえば君に見せたいものがあるんだよ」ふと、アーヴィンが思い出したように言って、傍らのカバンの中を探り、中から何かを取り出しました。「実はね、シノザキ・ジュウにファンレターを書いてみたんだ。取り寄せた詩集に住所が書いてあったからさ」「へえ、異国の詩人にファンレターね」そういうドラゴンの前に、アーヴィンは何冊かの本と封書に入った手紙を出しました。手紙には、白い蝶の絵が描かれた美しい異国の切手が貼られており、それはまるで今にもこちらに向かって、飛び出して来そうに見えました。

「僕もだいぶ、あっちの言葉がわかるようになってきたからさ、向こうの言葉で手紙書いたんだ。そしたらすぐに返事がきたよ。外国に、自分のファンクラブがあるなんて知らなかったって、驚いていた」「…ファンクラブ?それって、もしかしたらぼくも入ってるのかい?」「もちろん。だって君、ぼくが訳した彼の詩、ほとんど読んでるじゃないか」「そりゃそうだけど」

ドラゴンは、目の前に置かれた詩集の中の一冊を手にとって、ぱらぱらとめくってみました。すると何だか、紙の奥から、水晶の香りとでも表現したいような、冷たくも涼しい香りが漂ってきました。もちろん彼には異国の文字は全然読めませんでしたが、何か、かすかに、もやもやした意味になる前の形のようなものを、感じました。

「それは彼の第二詩集だよ。ほとんど君は読んでる。君の好きな、Camphor Treeもその中に入ってる」「ああ、そうか」「それを訳すのにはほんと苦労したよ。まだ言葉の勉強を始めたばっかりだったし。詩人の言葉ってのは難しい。詩人はたいていそうだけど、ジュウは普通の辞書には載らない言葉をたくさん使うんだよ。ミザールとかエルナトとかいう単語が、星の名前だってわかるまで、三か月かかったこともあった」「へえ、君は根気いいね、アーヴィン」「…まあ、好きなことにはね。おかげでだいぶ天文や鉱物や植物に関する知識が増えた。ジュウはなかなか教養人らしい。自分は世間知らずのぼっちゃんだって手紙では言ってだけど、なんだか不思議に、妙なことをたくさん知ってるんだ。そこも魅力的なんだけどね」

ドラゴンはアーヴィンのおしゃべりを聞きながら、もう一冊の詩集に手を伸ばしました。アーヴィンが「あ、それが最近出たやつ。つい三日ほど前、ジュウがぼくに送ってくれたんだよ。これから訳すつもりなんだけど。タイトルはこちらの言葉で、Heaven Treeだ」
「へえ」と言いながら、ドラゴンは詩集を開きました。

その時、彼は何か熱い、焼けるような光を、顔に浴びたような気がしました。その光のせいで、一瞬、開いたページが真っ白に見えました。時計が止まりました。それは一瞬でありましたが、彼にとっては十分ほどの間に起こった出来事でした。真っ白に光る白い本の中から、不思議な声が聞こえ、そのページに書かれていた詩の一編を、彼の知っている言語に変換して朗読したのです。


白雪のごとく麗しき駿馬の風に踊るたてがみを見よ。
それはあなた自身である。
星々の祝福の金の音の鳴るを、その貝の耳を開きて聞くがよい。
私とはすばらしいものである。
すべては愛である。
神が、すべての愛が、待ち焦がれていたその時が、とうとうやってくる。
人々よ、鍵を左に回しなさい


強い衝撃が、彼の瞳を通して脳髄の奥を打ちました。彼は無意識のうちに、ページをめくりました。するとまた、本の中から声が聞こえ、詩を読みました。


あばらの籠に白い二羽の鳩を飼い
片方に光、片方に闇と名をつけた
しかしそれは現象であってそのものではない
二羽の鳩には真の名があった
片方の名を「いるもの」といい
もう片方を「いないもの」といった
二羽の鳩は 本当は一羽しかいなかったのだ
人々はやがて気付き 歩き出す
胸にただ一羽の白い鳩を抱き
虚無の風がからっぽの骨を悲しく冷やす
灰の幻の岸辺を離れ
なつかしい父の住む 
銀の星の灯る藁屋根の家に
もうすぐ帰ってくる


ドラゴンは、これ以上読んではだめだ、と危機感を感じ、あわてて本を閉じました。すると、止まっていた時が動き始め、カフェの中のざわめきとともに、店の中に流れていたクラシック音楽が彼の耳に乱暴に入ってきました。彼は瞬間だが、自分が別の世界にいって、たった今そこから戻ってきたような気がしました。

隣のアーヴィンは、何にも気づかなかったように、一冊の詩集をぱらぱらとめくっていました。ドラゴンは詩集を持っている手が焼けるように熱く感じました。いや、本当に焼けているようでした。ドラゴンは左手を、そっと詩集から離し、おそるおそるその手のひらを見て、驚きました。手の真ん中に、まるでキリストの聖痕のような小さな丸い火傷の痕があったからです。右手も見てみましたが、右手にはそれはありませんでした。

「おや、カノンだ」アーヴィンが、流れてくる音楽に気がついて、天井を見あげました。ドラゴンは何もなかったかのように、本を元のところに戻し、ずきずきと痛む左手をカウンターの上で握りしめました。
「この曲を聴くと、なんだか故郷に帰りたくなるような気がしないかい?」とアーヴィンは言いました。ドラゴンは音楽に耳を傾けながら、「ああ、そうだね」と静かに言いました。アーヴィンは、音楽に自分の詩情を刺激されたらしく、少しの間目を閉じたあと、自分で即興の詩を歌ってみました。


故郷を持つ人は幸せだ
それがはるか向こう
白い雪原の真中に孤独に立つ
小さなもみの木のてっぺんの
星の光の中にあることを
知っている人は幸せだ
ぼくたちはいつも 
絵にかいた幸せの中で
これでいいんだと言いながら
笑っているけれど
本当はあの 本当の故郷に
いつでも 帰りたいのだ


アーヴィンはしばしその言葉の余韻に浸りました。そしてカノンの曲が終わり、次の曲に変わると、隣のドラゴンを見て、「どう?今の。たっぷりジュウの影響受けてるけど」と尋ねました。ドラゴンは少し悲しげに笑いながら、友を見つめ、言いました。

「わかるよ、友達」


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