世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-09-09 07:29:48 | 月の世の物語・余編

月のお役所には、一つだけ、小さなエレベーターがあり、最上階から、地下四十階までのフロアを、まっすぐに貫いていました。黒い役人は今、そのエレベーターに乗ろうとしていました。彼は、一人の同僚と一緒に、お役所の最上階の特務室にいて、主に、地球上での重い悪の処理をするための魔法を研究したり、神からの霊感を受けて、呪文や紋章を編んだり、時に地球上に降りて、重度の悪の試験的浄化をやっていました。

エレベーターは不思議に青白く霞んだ水晶の管の中を、繭のような形をした透明なカプセルが上下しているようなものでした。カプセルの中にはスイッチや階を示す数字板など何もなく、ただ乗った人の目的地を知っていて、そこに着くと勝手にとまってくれるのです。

そよと風を感じたかと思うと、黒い役人が乗ったエレベーターは静かに下りて止まり、扉をあけてくれました。目の前に、白い廊下があり、その突き当たりのドアが、かすかに光って見えます。「ありがとう」と彼は言ってエレベーターを降りました。するとエレベーターは「いいえ、いつでもご利用ください」と女性の声で答えました。

彼は廊下の突き当たりのドアまで歩くと、軽く頭を下げて、自分の名と用件を言いました。すると「どうぞ」と中から声がして、ドアは勝手に空きました。彼が「失礼します」と言いながら中に入っていくと、そこには、かなり広い空間があり、机がいくつかならんでいて、その上に並んだたくさんの水晶の器の中に、蜘蛛やらムカデやらトカゲやらの怪が、閉じ込められていました。十数人の役人がいて、それぞれ知能器の前に座ってあれこれと分析をしていたり、水晶の中の怪に、呪文をかけつつ、何かをしきりに帳面に書いていたり、蛸のような不思議な形をした機械の、いくつかの小さなレバーを微妙に調整したりしていました。

黒い役人が室内を見回していると、一人の女性の役人が近付いてきて言いました。「例の件ですね。分析結果は出ております。こちらにどうぞ」黒い役人は礼を言いつつ、女性役人のあとに従い、ある知能器の前に導かれてゆきました。知能器の前には別の若い役人が座っていて、キーボードをいじりつつ、画面の調整をしておりました。

「この前お預かりした、核個体の分析結果は、こちらです」と女性役人が言うと、知能器の前の若い役人が画面を調整して、手を止めました。すると黒い役人は、横から頭を突っ込み、知能器の白い画面に並んだ文字の行列を読んで、ほう、と言いました。

「幼い魂だと思っていたが、予想以上に古い怪ですね」彼が言うと、若い役人が答えました。「ええ、四万年と言うところです。そこでもう一切の霊的進歩を放棄している。長い年月を、非常に幼い状態のまま過ごし、ほとんど何も学んで来なかった。ゆえに、今の人類が普通にできることが、彼にはほとんどできません。集合個体を作り、自分のやりたいことはみな他の怪にやらせ、自分がしたことにしています。いや彼は実に、『それをしたい』と考えることすら、ほかの怪にやらせています。彼がなした多くの悪も、実際は皆、自分の元に集まった怪がやったこと。彼は、何もやっていません。しかし、道理の上では、彼がやったことになる」
「彼がこうなった、もともとの原因は何です?」黒い役人が尋ねると、女性役人が後ろから答えました。

「四万年前の人生で犯した罪ですわ。今でいうところの、連続婦女暴行殺人ということです。彼は女性が好きでならなかったのですが、女性に好かれなかったので、自分の気に入った女性を追いかけまわしては辱め、用が終わったら殺すと言うことを、八件ほどやりました。しかし、死後その罪の浄化が来るのを恐れて、彼は逃げ回り、神の愛に背を向けて怪に落ち、あまりの存在痛の苦しさゆえに、ほとんどの自己活動を閉鎖しました。こういう進化度の幼い魂に、怪はひかれやすく、小さな怪が集まって集合個体がよくできます。彼は自分のやることはすべて他の個体にやらせ、自分は核個体として、何もせずに、ただそこにいただけなのです。考えることも、感じることも、皆他の個体にやらせ、自分は一切何もやってはいない。そういうものが、恐ろしい悪の元になる」

黒い役人は、かすかに目を歪め、後ろを振り向いて、彼が地球上で捕獲してきた核個体の入っている水晶の容器を見つめました。その怪は、水晶の器の底にしかれた綿の上で、まるで小さな幼体のような細い体を横たわらせ、静かに眠っていました。
「まるで、虚無のようだ。いるにはいるが、まるでいないのと同じ。それなのにいる」と黒い役人が悲しげに言うと、女性役人が静かな声で言いました。「悪が存在しないということの重い意義がここにもあります。彼は、自分の罪から逃げ続けているうちに、とうとう、存在たるものの意義と活動をほとんど捨て、殻に閉じこもり、いるけれどもいないもの、というものに自らなってしまった。そういうものが、悪の核にある。それは虚無に等しきもの。ゆえに悪は虚無」若い役人がそれに続けて言いました。「こういう状態を、存在拒否と言います。死んでいるようですが、死んではいません。もっとも我々から見れば、死んでいる方がまだましですね。生きているがゆえに、他の怪に利用されて、様々な恐ろしい悪を犯し、その罪が全部自分のところにくるのですから」知能器の前の若い役人が言いました。「つまりは、自分で、自分が存在することを、拒否しているというか、認めていないわけですね」黒い役人が言いました。

「今は、石文書の分析が進み、こういう個体の導き方もわかりかけています。あの文書に書いてあることは、我々の予想をはるかに超えて深いものでした。数々の、重要な魔法の組みあげ方やヒントが、書いてある。その魔法が、彼らを導くのですが、ただ、本当に難しい。無駄とも思える作業を延々と繰り返し、やっと光が見えてくる」女性役人が、水晶の器に手を触れながらため息をつくと、黒い役人は、胸に感慨を感じながら言いました。「はてしなき道、ですね」すると女性役人は、かすかに笑い、言いました。「わたしたちはただ、目の前にある課題に取り組むだけです。それが命の意義と言うもの」「全く、その通りです」黒い役人は言いながら、水晶の容器の中の個体を見つめました。

その研究室で、分析結果の書類と暗号カードをもらった黒い役人は、感謝のあいさつをすると、すぐにそこを出てエレベーターに乗り、最上階の特務室に戻りました。そこでは、こげ茶色の髪の彼の同僚が、知能器に映る、先日浄化を終えたばかりのマンションを観察していました。黒い役人は部屋に入るなり彼に声をかけました。

「この前の個体の分析結果をもらってきました。いろいろと話も聞いてきましたが…」「ああ、そりゃいいことだ。対面対話して情報を得ることは好ましい。互いに深いところまで分かりあえる」同僚は画面に目を向けたまま言いました。
黒い役人は自分の机の知能器に向かうと、暗号カードをそれに放り込み、画面に現れた細かい情報に目を通しました。と、しばらくして、同僚が「おいおい」と呆れたような声をあげました。「何ですか?」と黒い役人が問いかけると、白い役人は彼を振り向き、口の端を歪めて笑いながら、言いました。「おなじみの風景だ。マンションの住人がお気に入りの女優を部屋に入れた。それも二人」黒い役人は少し呆れたように目を見開きましたが、あまり驚きもしませず、言いました。

「金、女、暴力、それは彼らの三種の神器ですからね」「女だよ。すべては、女」「やはりそれですか」

白い役人はやれやれと言いつつも、寝室でからみあっている男女の様子を観察していました。それも仕事だからです。黒い役人は、少しの間、自分の知能器に鍵をかけ、白い役人のそばまで行って、その知能器の画面に映る映像に見入りました。

「狂態ですね。ひどい」「部屋に書いておいた紋章がきいてきているんだ」画面の中の男は、淫らなことをする目的で女を呼んだものの、なかなかうまくいかないので、妙な形の道具や武器のようなもので、ひどく女をいじめていました。

白い役人は目を閉じ、後の記録を知能器に任せると、画面を切り替えました。「最近、このマンションの住人は、某銀行の預金の一部を没収されたそうだ」白い役人が言いました。「ああ、浄化が表面化してきたんですね」「まったく」

白い役人は席を立ち、窓の方に向かうと、外を見ながら、深く眉間にしわを寄せました。彼は友人でもあり頼りになる後輩でもある彼を振り向き、言いました。
「実際、なぜ人類が悪に染まり、ここまでひどいことになったか、わかるかい?」
「はい?…そうですね。答えは数種類あげられると思いますが、存在痛と答えましょうか?」黒い役人が言うと、白い役人は窓の向こうの空に錆びた青銅の針のような視線を投げ、まるで紙くずを捨てるように言ったのです。
「もともとの原因はだ、要するに、男が女に、嫉妬したからだ」

黒い役人は、例の核個体のことを思い出しました。そしてしばし沈黙した後、答えました。

「ええ、本当に。異議を唱えられる点は、どこを探してもありません」


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