深い森の奥、緑の香り濃い聖域の中で、ひとりの童女が、目を閉じて静かに笛を吹いておりました。梢の隙間から、さらりと金の布を下ろすように月光が射し、かすかな風の響きを従えながら、清い笛の音は森の秘密の中に、静かに溶けてゆきました。童女は白い古風な着物を来ており、清めの赤玉を三つ首にかけておりました。黒髪も古風に結い、きれいな赤い紐で髷を結んでおりました。
童女はふと目を開け、笛を吹くのをやめました。見ると森の緑の下草が、微かにゆれてざわめいていました。童女は目をぱちぱちさせながら、しばし息をひそめて、大地の魔法を見ておりました。すると青草が一筋、天に向かってまっすぐに伸び、それが微かな風のそよぎを感じたかと思うと、緑の一部がくらりと揺れ、まるで卵のように、大地から一つの水晶球が生まれました。童女は、にこりと笑いました。水晶球は風の上にくるくると回りながら浮かんでいました。童女は笛を懐にしまうと、水晶球に近づき、くるくる回る水晶球を、小さな白い手で捕まえました。そして、聞いたこともない呪文を旋律にのせて歌いながら、一歩一歩踏みしめて、聖域の外に出ました。
すると、とたんに童女は姿を変え、そこに一人の聖者が現れました。聖者は白い髪をした長身の青年でした。聖者は水晶球が聖域外の風に触れても、びくともしないことを確かめると、月を見上げて、月光を口に吸い、しばし口を閉じた後、ふっと、光の炎を水晶球の中に吹き込みました。すると水晶球の中で、青い炎が燃え始め、それはあたりを青い光で明るく照らしました。聖者は静かな声で、短い呪文を水晶に吹き込んだ後、よし、いけ、と言って水晶球を空に投げました。するとまるで闇にさらわれたように、水晶球は空中に消えて見えなくなりました。
その頃、地球世界のある氷海の底では、ある聖者と、青年が、水晶球の来るのを待っていました。青年は氷海の底に聖者が描いた魔法陣の見事さに息を飲んでおりました。どれだけの間学べば、これほど見事に、正確に描けるのだろう、と思いました。
「もうすぐですね」と青年は言いました。聖者はこくりとうなずきました。この聖者は老人の姿をし、白い髭を長くのばし、とても古い時代の服を着ておりました。青年は今回、彼の補助としてともに地球のこの氷海に下り、魔法陣の下地になる仮の聖域をつくるのを手伝いました。
彼らの周りには、巨大な銀のリボンのような魚が一匹泳いでおりました。それは体の大部分は魚と言えましたが、顔だけは美しい人間の女の顔をしていました。氷海の精霊は水の中に清めの音律を流しながら、来るべき時を共に待っていました。
「今回で十六個目か。神は一体、何をなさろうとしているのでしょう?」ふと、青年が聖者に問いました。聖者はしばし沈黙を噛んだあと、老人の姿に似合わぬ若々しい声で答えました。「はっきりとしたことは言えぬ。神の御言葉は一文字読むのに百年かかるからの」
「確かにそうですが…」青年が言いました。すると精霊が、低い女の声で言いました。「わたくしの予測ですが、神は聖なるものを使って霊的情報網のようなものを地球世界にお創りになりたいのだと思いますわ」氷海の精霊は賢く、かなり位の高い智霊のようでした。
「きっと時がくれば、各地に埋めた水晶の光が全てを上手く運ぶんだと思いますわ。」
「しっ!」突然聖者が声をあげました。「来た」精霊が上を見て言いました。青年は魔法陣のふちに立ち、海に浮かぶ厚い氷の岩を下から見上げました。その氷の岩をすき、大きな光る水晶球が水の中に現れました。水晶球は青い光で海中を照らしながら、ゆっくりと水の中を飛んできたかと思うと、聖者の描いた魔法陣の真ん中に、見事にするりと吸い込まれました。
「入ったな」聖者が言うと青年は地中に目を凝らし、「入りました」と答えました。すると精霊は何も言わずに魔法陣の上にとぐろを巻き、一瞬蒼い髪をした女の姿に戻り、たちまち大きな蒼い氷塊に姿を変えて魔法陣を隠しました。聖者は呪文を歌い、時が来るまでその氷が溶けることも割れることも汚されることもないように、深い魔法をかけました。青年は聖者の呪文に従って声を合せながら、氷が金剛石のように硬く固まってゆくのを見ていました。
「よし」聖者は言いました。青年は、氷塊に触れつつ、精霊に言いました。「どうだい、苦しくはないかい?」精霊は答えました。「大丈夫です。ちゃんとできますわ」。青年はほっと息をつきました。
「ではいこう、また次がある」聖者が言いました。青年と聖者は、精霊に別れを告げると、静かに海を昇っていきました。