goo blog サービス終了のお知らせ 

世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ガラスのたまご・34

2015-03-07 07:07:21 | 瑠璃の小部屋

★ふたりだけど

「すまんな、せっかく訪ねてくれたのに、こんなことに巻き込んでしまって」
画家さんが、手品師さんに言った。
「いや、別にかまわないよ。とにかく今は探さないと。セレとぼくは、川の方に行ってみる」
「ああ、助かる。ほんとに渡のばかやろうめ。いつまでも俺たちに心配ばかりかける」

ある日のことだった。手品師さんとセレスティーヌは、夏のバカンスを利用して日本に帰国していた。そして画家さんのところを訪ねたら、そこで大騒ぎが起こっていた。

「わたしがいけないんです。渡を強く怒りすぎたから」歌穂さんがエプロンで顔をふきながら泣いていた。事情を聞いてみると、今年6歳になる渡が、画家さんの制作中の絵に落書きをしてしまって、それを歌穂さんがひどく怒ったのだそうだ。そうしたら、渡が泣きながら家を飛び出して行って、そのままどこかへ行ってしまったという。

「事故なんかにあってたりしたら大変だ」画家さんは自転車に乗り、公園や幼稚園など、渡の行きそうなところを探し回った。だが渡はなかなか見つからなかった。

その頃、当の渡は、しゃくりあげながら、見知らぬ小道を歩いていた。すがすがしい光が、竹の梢をすいて降り注いでいる。小鳥の声が聞こえ、ふしぎな香りのする風が吹いていた。
「おかあさん、おかあさんのばかあ」渡は泣きながら言った。渡は、お父さんの絵を、もっとすてきにしたかったのだ。お父さんの絵はとても面白くてきれいだけど、赤い色が足らないような気がした。それで、きれいな赤の絵具を、たっぷりと絵に塗りたくったのだった。

竹の梢がさやりと揺れて、どこからか透き通った笑い声が聞こえた。それと同時に、誰かが後ろから渡に声をかけた。
「ぼうや、こんなとこに、ひとりで、どうしたの?」
振り向くと、そこに、男の人がひとり立っていた。どこかで会ったような気のする人だった。渡は泣きながら、何かを言おうとしたけれど、涙ばっかりぽろぽろ流れて、何をいうこともできない。すると男の人は言った。
「言わなくていいよ。わかってる。君はお父さんのために、いいことをしてあげたかったんだよね」

渡はびっくりした。自分の思っていたことそのものを、知らない人が言ってくれたからだ。渡はうんうんとうなずいた。知らない人は、渡に近づいてきて、渡の頭を優しくなでてくれた。

「おとうさんは、君の気持ちをわかってくれるよ」知らない人は言った。不思議なやさしい声だ。鳥の声に似ている。渡はなんとなくそう思った。

「もうちょっと先にいこう。すぐそこに、小さな神社にのぼる石段がある。そこで、座ってまっていよう。そうしたら、誰かが君をみつけてくれるよ」
知らない人は、渡の手をひいて、一緒に歩いてくれた。そしてふたりで、神社の石段に座って、しばらく話をした。

「おじさん、だれ?」渡が言った。すると知らない人は言った。
「うん、ぼくは小鳥だ」
「小鳥?」
「うん、今は小鳥なんだ。人間だったときは人間の名前があったんだけど、小鳥になってから、それは使わなくなった」
「ふうん?」
「きみはなんて名前?」
「ぼくは、ふゆきわたる。めばえようちえんの、すみれぐみ」
「へえ、すみれぐみか。すてきだね」

小鳥さんは、やさしくて、声と目がきれいだと渡は思った。懐かしい香りがする。小鳥さんは渡に、おもしろい話をしてくれて、ふしぎな歌をひとつ、教えてくれた。

胸のこかごにすんでいる
銀のこりすが歌うたう
たったひとつの大切な 
小鳥は空にかくれてる

歌は簡単できれいなメロディで、すぐに覚えることができた。渡は小鳥さんと一緒に、何度もその歌を歌った。歌っていると幸せで、何だか、とてもいいことが、たくさんたくさん、起こるような気がした。

「渡!!」
突然、お父さんの声が聞こえて、渡は振り返った。真っ青な顔をしたお父さんが、自転車を降りてこちらに走ってくるところだった。画家さんは渡を抱き上げ、力いっぱい抱きしめた。
「渡!渡!さがしたぞ!」
「おとうさん、おとうさん!」
渡も、力いっぱいお父さんを抱きしめた。

「絵のことなんかいいんだ。おまえのおかげでかえってよくなった。さあ、帰ろう。渡、おかあさんが心配している」
「うん、そうだ、お父さん、あのね」
渡は小鳥さんのことをお父さんに言わなければならないと思って、神社の石段の方を振り向いた。だけど、そこには誰もいない。渡は「あれ?」と思った。そして小鳥さんのことを、お父さんに言った。
「親切な小鳥さんがね、ずっとぼくにお話ししてくれたんだよ。歌も教えてくれたんだよ」
画家さんは、何かを感じて、はっとした。竹林の上を、一陣の風が、ざっと吹いた。

「わたる? わたるか?」
画家さんがこずえを見上げながら言った時、小さい渡が、小鳥さんに教えてもらった歌を歌った。

胸のこかごにすんでいる
銀のこりすが歌うたう
たったひとつの大切な 
小鳥は空にかくれてる

画家さんの胸を、しみとおるような懐かしさが絞った。涙が見知らぬ生き物のように頬を流れていく。

おまえ、生きているのか、渡。

国境を越えて、きてくれたのか。

画家さんは小さい渡を抱きしめながら、見えない渡に心の中で言った。すると、耳の中で金がはじけるように、かすかな声が聞こえたような気がした。

(いつもそばにいるよ)

画家さんは小さい渡を自転車に載せて、家に帰った。歌穂さんも手品師さんもセレスティーヌも、大喜びで渡を迎えた。
画家さんは手品師さんに、竹林の小道であった不思議なことを話した。小さい渡が、気に入ったこりすの歌を何度も歌っている。

たったひとつの大切な
小鳥は空にかくれてる

その晩、画家さんと手品師さんは、アトリエで、夜が更けるまで話をした。ふたりとも、ふたりだけど、ふたりではないような気がしていた。

(つづく)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・33

2015-03-06 06:49:22 | 瑠璃の小部屋

★本当の実力

今日はマジシャンの世界大会の日だった。力高い魔法使いが集まるこの日、町は夢のような気分に浸る。

ダニエル・ジェンキンズは、舞台の裾から、カツラギヒカルの演技を見ていた。ジェンキンズは、道化の化粧をし、派手な赤と白と紺の道化の衣装を着ていた。見た目はかわいらしく、頭の少し足りないドジな道化という感じだが、厚塗りの化粧の下には、鋭く他人の弱みや欠点を探す目がしきりに動いている。

マジックの終盤に、ヒカルは大きなボックスを出してくる。いつもの予定なら、何もないボックスの中に花束と指輪を入れて一回りすると、箱の中から妖精のような花嫁衣装を着たセレスティーヌが現れるはずだった。だがそうはならない。なぜなら、ボックスの外面にある、見えないスイッチのようなものを押すと、ボックス全体が崩れて、中の仕掛けが丸見えになるように、ネジをいくつか抜かれているからだ。

舞台を流れる音楽が変わった。ジェンキンズはにやりと笑う。あのパーフェクトと言われるヒカルの、大慌ての顔を見たくてたまらないと、彼は思っていた。
カツラギヒカルが、舞台の上で踊るように歩くたび、花が咲き、蝶が舞い、観客がその魔法に酔いしれる。今日の舞台のテーマはメルヘンだ。イメージのもとは詩人さんの詩集だった。青い蝶がひらひらと舞い降りてきて、手品師さんのステッキの先にとまる。手品師さんは愛おしそうに蝶を右手にとると、ふっと息を吹きかけて手を握り、また開くと、そこには小さな箱に入った婚約指輪があった。サファイヤの輝きを持つ、すばらしい宝物だ。手品師さんが左手から火花を咲かせてくるりと体を回すと、衣装が微妙に変わっていて、手品師さんは銀色の古風な花婿のスーツを着ていた。さああとは花嫁を待つばかり。

観客の興奮は最高潮だ。手品師さんの華麗な動きから目が離せない。さて、手品師さんは指輪の箱を握りしめると、ステッキを振りながら、何か不思議な言葉を言った。魔法の呪文だ。「アイヨ、オマエハイク!」

大きな箱が、舞台に運ばれてきた。ジェンキンズは、歯を見せてにやりと、歪んだ笑いを見せた。これでカツラギヒカルも終わりだ。

マジックは予定通りに進んでいく。いつの間にかアシスタントのセレスティーヌの姿が消えていた。よおし、予定通りだ。そう、そこだ、今お前が手をやったところにある、小さなスイッチ。それを押せ!

ジェンキンズは目に力をこめて、ヒカルの指先の微妙な動きを見つめる。かすかに、中指が動いた。その時、箱の上の板がぐらりと揺れた。

やった!! と、ジェンキンズが胸の中で叫んだ、その時だった。

箱は見る間に崩れていき、舞台の上に板の山を作った。予定ならそこで、花嫁衣装に着替える途中のセレスティーヌの姿があらわになるはずだった。だがそこにセレスティーヌの姿はない。ジェンキンズは驚き、息を呑んだ。

「ハーイ」と後ろから女の声がした。振り向くとそこにセレスティーヌがいて、にっこりと彼に笑いかけて、横を通り過ぎていく。ジェンキンズは呆然として彼女の姿を目で追った。いつの間にか、崩れた箱の中から大きな白い炎が燃え上がっていた。手品師さんがその炎に、指輪を入れると、炎は奇跡のように六羽の鳩に姿を変え、舞台の闇を星のように飛んで、手品師さんとその後ろにきたセレスティーヌの腕に止まった。

観客は大歓声をあげた。

ジェンキンズは息を呑んだ。こんな、こんなはずはない。だが目の前で、カツラギヒカルはにやりと笑い、勝ち誇ったように大げさなポーズで、舞台の裾にいるジェンキンズをステッキで鋭く指し、口をゆがめてにやりと笑った。

残念だったな! ばかやろう!!

手品師さんの心の声を、ジェンキンズは聞いたような気がした。ジェンキンズの頭の中を、言葉にならないものが渦を巻いている。まさか、こんなはずは…

現れた六羽の鳩は、手品師さんの呪文でもう一度白い炎に戻り、腕の一振りで炎は消えた。
観客が喝采した。

舞台は手品師さんが両手でふしぎな所作をして、まるで蝶を呼び込むように手の中に一枚のカードを出すところで、終わる。ハートの6だ。
「アイヨ、オマエハイク!」
もう一度呪文を唱えるとカードは消え、舞台は暗くなり、音楽がゆっくりと消えていった。

「はあい、お疲れ様!」セレスティーヌの声が聞こえる。ジェンキンズはぼうっと突っ立っていた。その横をカツラギヒカルが通り過ぎた。

手品師さんの舞台は大成功に終わった。ダニエル・ジェンキンズはまだ信じられないと言うように、舞台の裾で立ち尽くしていた。

「やあ、すばらしかったよ!」楽屋にいくとボブが訪ねてきた。手品師さんは手早く化粧を落としながら、にやりと笑って言った。「ボブ」
「なんだい?」
「正真正銘本当の自分の実力で、馬鹿をぶっ殺すってのは、たまらなく快感だね!!」そう言って笑う手品師さんを、ボブは驚きの表情で見た。

ダニエル・ジェンキンズが脳梗塞で倒れたのは、この日から約十日後だったそうだ。

(つづく)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・32

2015-03-05 06:45:28 | 瑠璃の小部屋

★国境派

「集まったのは4人か」と画家さんは、アトリエの隅に立ちながら言った。アトリエには、彼のほかに、3人の芸術家がいた。一人は書家、一人は洋画家、最後のひとりは写真家。

「なんか妙な顔ぶれだね。年齢はそう違わんけど」書家が言った。
「あれがおもしろかったよ。棟方志功論。確かに、よくみればなんか人に見られたくないような線が見える。でもそんなことあまり大声でいうなよ。棟方を批判したら、きっといろんなとこから反発がくるぞ」洋画家が言った。
「君こそ、太宰批判はよした方がいいんじゃないの。ファンが怒るかもよ」写真家が言った。
「最近は人間がおかしいんだ。だから変なもんがはやる。太宰は好かん」洋画家が言うと、画家さんはほう、と息を吐いて言った。
「ようするに、どん詰まりなのさ。世界が何かに封鎖されて、皆が動くことができない。新しいものは次々と作られているけれど、それはよくみたら、どれも過去にあったものの巧みな焼き直しだ」
「巧みか。確かに巧みだよ。こういっちゃなんだけど、悪知恵が巧みな奴ほど、うまいことをやって、他人から要素を盗んで自分の作品を作る。一見おもしろいんだが、どこか、おかしいと感じるんだ。たぶん作品が自分のものじゃないからだ」写真家が言った。
「棟方もそうさ。こういったら怒る人はいっぱいいるだろうけど、あれがゴッホになるって言ったら、きっとゴッホはいやがる。馬鹿が、ゴッホ以外にゴッホになれるやつがいるかよ」洋画家が言った。
「同意見を持ってるやつがいるとは思わなかったな」画家さんが微笑みながら言った。

「国境派か。おもしろいネーミングだね」書家が言った。
「ああ、閉塞された世界に穴をあけて、真実新しいものを生むためには、越えられない国境を越えなくちゃいけない。その自分の国境を破るために、おれたち流の芸術運動をやってみたいのさ」
「うん。君の主張は痛いほどわかる。ぼくも、今の世界には、新しいものは何もないと思っている。テレビアニメなんかも、みんな同じようなものをあれこれいじってるだけじゃないか。ちっともおもしろくない」
「アニメーターにおもしろい奴知ってるけどね。独創的っつうか、少々変わった絵を描くんだ。まだ修行中だけど。声をかけてみようか?」
「ああ、人は多いほどいい」
「君の考え方は、ラファエル前派に似てるね。ぼくたちが苦しいと感じるのは、二〇世紀芸術だ。いいのもあるが、それも、生きにくい世界で必死に生きて、妙に歪んでしまってる。一九世紀以前の象徴主義、印象派、新古典主義、あるいはルネサンス、そんな、芸術がまだ楽にこの世で生きていた頃の芸術に戻りたいという」
「ふむ。ぼくもダリは大嫌いだ。初めていうけど」
「ピカソは?」
「もっと嫌いだ」
「キュビズムが嫌いな奴は結構いるよ。アビニョンなんて、まるで人間がばらばらにされてるみたいだ」

画家冬木忍は、国境派というグループを作り、新しい芸術運動を起こそうとしていた。それで彼は知り合いの芸術家に手紙を書いて呼びかけた。その中から、彼の考えに、少なからず同意してくれたのが、この三人と言うわけだった。

「君が動くのは、結構この世界で衝撃的だと思うよ。あの詩人、なんて言ったっけ?」
「鳥音渡だ。少し前、俺が描いた彼の肖像画を、首都圏のある美術館が買ってくれた」
「そう、それ、アメリカのどっかの美術館もその絵、買ったろう。レプリカの方だけど」
「あれは見たらびっくりするよ。言っとくけど、あの絵の中の詩人、まるで人間に見えない。あれは、人間に化けた何かだ」
「鶴じゃないか?夕鶴のつうみたいな。そんな感じがする」
「おお、さすがに書家、ぴったりだ。あれは、鶴の変化だよ。男だけどね」

渡のやつ、なんかみょうなことになりそうだな、と画家さんは思った。画家さんが描いた詩人さんの絵が、最近妙に人気なのだ。それとともに、鳥音渡の詩集もけっこうよく売れている。

「で、きみ、あの噂はほんとなの?」写真家が画家さんを見て言った。
「何?」
「だから君と鳥音渡ができてたって話」
画家さんはまたかという顔をして、言った。
「だからそれは嘘だって。何度言ったらわかってくれるんだ」
「しかしこの手の噂はしつこいぞ。実際、君は彼をモデルにしてたくさん描いてるし」
「君の絵が売れるのも、そのうわさがだいぶ影響してる。画家と詩人の恋ね」
画家さんは気分が悪くなってきた。実際、胃の中のものが喉まであがってきた。

「もういい、どうとでも言ってくれ。言っとくけど、俺は女房一筋だからな」

画家さんとこの日集まった芸術家たちが、最初のグループ展をするのは、これから数年後のことになる。彼らの運動はささやかなところから発展していき、やがておもしろいことになってゆくのだが、それはまだ言えない。

とにかく、今の画家さんは気分が悪かった。とんでもない野郎と恋仲にされてしまった。だが部屋の中にいるものたちの中で、気分を悪くしているのは、画家さんだけではなかった。

(じょうだんじゃないぞ。ぼくだってまっぴらだ。)

でもその声は誰にも聞こえなかった。

(つづく)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・31

2015-03-04 06:54:39 | 瑠璃の小部屋

★きれいな目

「やあ、ボブ、わざわざきてくれてありがとう」
手品師さんは、茶色の髪の背の大きな男と、自宅の玄関先で握手を交わした。彼は、この国に来た時に手品師さんが雇った通訳であり、この国でできた最初の友人でもあった。

手品師さんはボブをリビングのソファに座らせると、早速話を始めた。セレスティーヌが何気なくセンターテーブルにコーヒーを置いていく。

「ダニエル・ジェンキンズについてだったね。一応知ってる情報は書類にしておいた。南部ではトップクラスのマジシャン兼タレントだ。よくテレビにも出てる。人気はあるけどね、マジシャン仲間の中では、芳しくない噂が流れてる。君も知ってると思うけど」
「ああ、目障りな若手を何人か潰しているっていうことは聞いた」
「そう。中の一人は自殺未遂を起こしてる。将来有望なマジシャンだったけれど、今は酒と薬の日々だ」
「たまらんね」
「まあ、どこの世界にも、馬鹿はいるよ」
「ふむ」

手品師さんは小さくため息をついた。「今度の大会で、ぼくはジェンキンズの後に舞台に出ることになってる。そのときが彼の狙いだと思うんだ。ぼくの推測だけどね」
「たぶんね。気を付けた方がいい。例のアシスタントは行方不明のままかい?」
「ああ。舞台の助手はセレがひとりでやってくれることになった。それは何とかなるんだけど、ふむ」
手品師さんは額に深いしわを寄せながら、手をあごにあてつつ、目を閉じて何かを考えている。ボブはコーヒーを持ってソファから立ち上がり、何気なく、リビングの壁に飾ってある絵を見た。

「おや? こんな絵、前にもあったっけ。なかなかキュートな娘だね」
それを聞いたとたん、手品師さんは思わず飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。

「ボブ、冗談はよせ。よくみろ、それは娘じゃない、れっきとした男だ」
「へえ? ほう。あらま、そういやあ、女にしちゃ、胸がぺったんこだ。東洋系の顔は難しいな。よく間違える」
「まあ、彼は東洋人としても細いほうだったから。髪も長いし、後ろ姿をよく女性と間違われてたよ」
「ふーん。友達かい?」
「ああ。もうとっくに死んでるけど」
「へえ?」
ボブは肖像画の中の詩人さんの顔に見入った。そして不思議そうな顔をして言った。
「きれいな目だねえ。こんな目してるやつ、めったにいないぜ」
「君もそう思うかい?」
「ああ、正直にいうけど、こりゃ女に間違われてもしょうがないよ。男として生きていける顔じゃない。男ってやつあ、どんな正義漢でも、もっと黒い影をもってるもんだ」
「するどいな、ボブ。ほんと、そんなやつだった」

手品師さんは昔を思い出すかのように、遠い目でコーヒーに写る自分の顔を、しばし見つめた。

ボブはコーヒーを一気に飲み干すと、言った。
「まあとにかくだ。ジェンキンズはかなり汚いことを平気でやれる馬鹿だ。舞台の前日まで、気をつけたほうがいい。今も、コソ泥が家の周りをうろちょろしてるかもしれない」
「ああ、ありがとう、ボブ」
「すばらしい君の舞台を期待してるよ。ぼくが君の一番のファンだからな、この国では」

手品師さんとボブは、玄関先で握手を交わして別れた。

「おい渡。おまえ女の子に間違われたぞ」
リビングに入るなり、絵を見て手品師さんが言った。するとどこからか、誰かの声が聞こえたような気がした。

(ひっでえ)

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・30

2015-03-03 06:39:20 | 瑠璃の小部屋

★小鳥の歌

「国境…国境か……」
その日画家さんは小さな渡をベビーカーに乗せて、それを押しながら外を散歩していた。産休が終わったので、歌穂さんはまたパートに出ているのだ。だから昼間に渡の世話をするのは自然に忍さんの仕事になる。

190センチの画家さんが、小さなベビーカーに赤ん坊を載せて町を歩く姿は、けっこう目立つ。でも画家さんは気にしない。イクメンなんてことばがはやる昨今ではあるし、渡はかわいい。やれることならなんでもしてやりたくなるもんなんだよ、子供ってのは。ほんと、不思議だな。

画家さんは時々、生きていた頃詩人さんが住んでいた家の前を通る。今でも、詩人さんのご両親が住んでいる。一人っ子だった詩人さんをなくしてから、ご両親はめっきりとふけこんでしまったそうだ。

早死にするなよって俺が言ったら、お前はいつも言ってたよな。自分みたいのがけっこうしぶといんだって。あほが。あっけなくいっちまいやがって。

画家さんが、詩人さんの家の前でしばし立ち尽くしていると、ベビーカーが動かないのに業を煮やしたのか、小さい渡がごねて泣き始めた。画家さんはあわてて、ベビーカーから渡を抱き上げて、あやす。「よーしよし、泣くな、わたる」

その赤ん坊の声を聞きつけたのか、詩人さんの家の玄関ががちゃりと開いて、中から詩人さんのお母さんが出て来た。お母さんは、画家さんと小さい渡の姿を見て、思わず笑顔になり、ふたりに近づいてきた。

「まあ、かわいい。おおきくなりましたねえ、渡ちゃん」
「ええ、もうすぐ8か月です」
「渡ちゃん、渡ちゃん、いい名前ねえ。おばさんの子も、渡ちゃんだったのよ」

そういって小さい渡を見つめる、お母さんの目のふちに涙がにじんだ。お母さんはあわてて涙を指で拭き、画家さんに言った。
「もしおひまなら、寄っていってくださいませんか。お茶かコーヒーなど、召し上がって行ってください」
そういわれて断れるわけがない。画家さんは渡を抱いて、お母さんのあとについて詩人さんの家に入って行った。

仏壇のある広い部屋に案内されて、渡を抱いた画家さんは座布団に座った。仏壇を見ると、小さな写真立ての中で詩人さんが笑っていた。画家さんは仏壇の前で手を合わせ、写真の中の詩人さんの顔を見た。すると、何だか自分の子供を見ているような気持ちになって、つらくなった。もし、この小さな渡が死んじまったら…俺も死ぬかもしれない。

しばらくして詩人さんのお母さんがコーヒーを持ってきてくれた。画家さんはいただきます、と言ってコーヒーを一口飲んだ。世間話のようなことを二つ三つ交わした後、お母さんが言った。

「今度、渡の、第3詩集を出すことにしたんです」
「え、第3?」
「ええ、その、亡くなった渡のパソコンのパスワードを調べてもらって、開けてみたら、未発表の詩がたくさん出てきて、それでもう一冊、詩集を出すことにしたんです」
「ああ、そうなんですか、それはいいなあ。何かぼくに協力できることがあれば、やりますよ。前のときは表紙の絵も描いたし」
「ええ、ありがとうございます。今悩んでいるのは、詩集のタイトルのことなんです。わたしはあの子ほどの文才もセンスもないから、どういうタイトルをつけてあげたらいいか、わからなくて」
「渡、どんな詩を残してたんです?」

画家さんが訪ねると、お母さんは小さな詩を、暗唱してくれた。何度も何度も読んで、覚えてしまったそうだ。

金と銀の太陽を
サンダルにして
神様が歩いていく
遠い昔 にんげんが
ここからは入ってくるなと言って
地球に書いた国境のそばを
うろうろと歩いている

神様は国境の向こうに行きたいのに
いけなくて困っていた
それで神様は たまたま通りかかった
小さな白い小鳥に相談なさった
どうすれば 人間の国へゆけるだろうと
そうしたら小鳥は言ったのだ
わたしに乗ってください 神様
わたしはあなたを運んでいけますから

神様はおどろいたけれど
小鳥があんまり自信たっぷりなので
ためしに金のサンダルを
小鳥の背中に載せてみた
すると神様のお体はサンダルごと小さくなって
ちょこんと小鳥の背に乗った

だからほら こんな風にして
神様は小鳥に乗って
ぼくたちのところにやってくる
時々 小鳥の声が
だれかが何かを言っているように聞こえるのは
このせいなんだ

「いい詩ですね。渡らしい」
「あの子は、やさしすぎたんです。何もかもに、やさしくしようとして、背負いきれなくて、結局は」
お母さんは唇を震わせた。こめかみをつかんで涙をこらえようとしてできずに、ひとすじしずくが頬を流れた。

画家さんは愛おしそうに、詩人さんのお母さんを見つめた。小さい渡が、膝の上で、ああ、と声をあげる。画家さんは仏壇の詩人さんの写真をまた見た。そのとき、風が一息、耳元を吹いた。雀がちゅんと鳴いて、それが不思議な言葉のように聞こえた。

(小鳥の歌)

画家さんはそれを自分のひらめきだと思って、お母さんに言った。
「そうだ、『小鳥の歌』ってのはどうです? 渡の詩には、よく小鳥が出てくる。確か、世界はたった一羽の小鳥でできてるって…」
「ああ、ああ、それはいいですねえ」

こうして、鳥音渡の第3詩集、「小鳥の歌」が出ることになった。画家さんは詩集のために、小さな小鳥の絵をペンで描いた。

鳥音渡は生きている。まだ、言葉の中に。神様のように、小鳥に乗って、この世界に来ているのかもしれない。国境を越えて。

「国境か。国境を超えなければ、できないことがある。それがどんな難しい国境でも」
画家さんの胸の中で動いていた夢の卵の中から、何かが生まれようとしている。

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・29

2015-03-02 07:01:12 | 瑠璃の小部屋

★苦いコーヒー

その日手品師さんはオフで、自宅の倉庫でマジックの道具の点検をしていた。
この国に来てもう何年たつだろう。手品師さんはここでも、順当に頭角を現し、多くの人にマジシャンとして名を知られるようになっていた。

日本の観客と違って、こちらの観客は点が辛い。けれど、手品師さんがその真価を見せると、反応の強さが違う。舞台は観客との戦いだ。ゲームで勝利を獲得するためにも、手品師さんは注意深く道具の点検をする。

一通りの点検を終えて、倉庫から出ようとしたその時だ。

(ひかる)

手品師さんは懐かしい声を聞いたような気がして振り向いた。すると、倉庫の奥の方の床で何かがきらりと光っているのが見えた。近づいてよく見ると、それは小さな金色のねじだった。手品師さんは青くなり、そのねじの近くにある、大きな箱の点検を始めた。…やはり。大事なところの隠しねじが、三本なくなっている。

そのとき、セレスティーヌが倉庫に入ってきて、言った。
「ヴィックが行方不明だわ。携帯にも出ないし、自宅アパートの電話にも出ない」
ヴィックというのは、手品師さんがこちらの国に来てから雇った助手のことだった。

「セレ、悪いけどこれと同じネジ3本、とってくれないか。それとドライバー」手品師さんがネジをセレスティーヌに渡しながら言った。セレスティーヌは倉庫の隅のボックスからネジを3本とドライバーをとってきて、手品師さんにわたした。

「どうしたの?」
「この箱の隠しネジが抜かれてた。こんなとこのネジ、プロでもめったに気付かないはずだが。危ないところだった」

セレスティーヌは深いため息をついて言った。
「ヴィックのせいかしら。だとしたらきっとジェンキンズよ。裏にいるのは」
「あまりそういうことは言うもんじゃない」
「日本ではね。でもここは違うわ。ママが言ってた、汚い人間はいるものよって」
「君のママは賢いね。だが事前に見つけることができてよかった。ほかの隠しネジも点検しておこう」

手品師さんは倉庫から出ると、何やらぬるい疲れを感じて、パソコンの前に座った。画家さんからのメールが来ていた。頼んでいた絵ができたという内容だった。

「注文通り、少しサイズを大きくして描いた。写真を添付したから見てくれ。文句がないなら、3日後にそっちに送る」

手品師さんはメールに添付されていた写真を見た。出来上がった絵の中で、詩人さんが笑っていた。手品師さんはその顔を見ると、胸が苦しくなってきて、言った。

「君くらいだな、真正面からまるっきり信じても、安心できた人間は」

「わたしもいるわよ」
後ろから、トレイにコーヒーを載せて持ってきたセレスティーヌが声をかけてきた。
「ああ、そうだったな。ありがとう、セレ」
コーヒーを受け取りながら、手品師さんは言った。

(ひかる)

また、どこからか声が聞こえたような気がした。手品師さんは、はっとして、絵の中の詩人さんの顔を見た。

「君が、たすけてくれたのか? 渡」

詩人さんは笑ったまま、返事をしない。手品師さんの目に、少し涙がにじんだ。口に含んだコーヒーが、苦かった。

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・28

2015-03-01 07:29:12 | 瑠璃の小部屋

★小さなわたる

画家さんのとこに、赤ちゃんが生まれた。男の子で、名前は渡。もちろん画家さんがつけた。歌穂さんは少し、複雑な顔をしてたけど、大好きな忍さんのいうことには、あまり逆らわない歌穂さんなのである。

「こいつ、眉毛と目は俺似だな。口元は母ちゃん似だ。男前になるぞ」小さな赤ちゃんを抱いてうれしそうな忍さんを見て、歌穂さんもうれしい。歌穂さんは母乳の出もよくて、赤ちゃんはすくすくと大きくなっていった。画家さんは育児にも協力的だ。おむつ替えもやってくれるし、暇があれば汚れたおむつも洗ってくれる。

あ、ちなみに画家さんのとこでは、4か月まで布おむつだった。絵の仕事が入って画家さんが少しいそがしくなってくると、紙おむつに変えたけど、それを画家さんは少し残念に思っている。赤ん坊がかわいいと、おむつ洗いでさえ楽しくなるからだ。とにかく今は、画家さんは、小さな渡を溺愛している。絵を描いていても、無性に渡を抱きたくなってアトリエを出、ベビーベッドの上でせっかく眠っている渡を起こしたりすることもあった。

「わたるわたる、ほうら泣くな、わたる。かわいいなあ、おまえは」小さな渡を抱いてあやしているときの画家さんは、ほんとに幸せそうだ。歌穂さんもそんな忍さんを見て、幸せそうだ。

そんなある日のことだった。6か月になった渡が、夜中に急に泣きだした。どうしたのかとあわてて歌穂さんが抱きあげると、渡の全身が熱い。びっくりして、熱をはかると、39度もあった。画家さんは、真っ青になった。

「歌穂、びび、病院に電話してくれ!」言われるまでもなく、歌穂さんは大慌てでいきつけの小児科に電話していた。画家さんは渡を抱き、車に向かう。運転は歌穂さんがした。後ろの座席で渡を抱きながら、画家さんは泣き止まない渡を一生懸命にあやしていた。

家から一番近くにある行きつけの小児科は、もうすでに明りをつけて待っていてくれた。赤ちゃんを受け取って医師は診察室に消えてゆく。画家さんと歌穂さんは待合室の椅子に座って待った。画家さんの足が、がくがくと震えているのに、歌穂さんは気付いた。

10分ほどの時間が一時間のようにも感じられた。医師が少し微笑みながら出て来た。
「便秘ですよ。ここ何日か、うんちが出てないんじゃありませんか?」
医師がそういうと、歌穂さんは、ああ、と言った。確かに、ここ何日か、渡はうんちを出していなかった。

家に帰って、解熱剤を入れると、熱はすぐに下がった。疲れもあったのか、泣き止んだ渡はベビーベッドの上で、すうっと眠りに入り、静かに寝息をたてはじめた。安堵の息をついた画家さんである。
眠っている小さな渡の顔を見ながら、画家さんは渡の頭にそっと触れて、言った。

「頼むよ、わたる、もう二度と、死なないでくれ」

(死にやしないよ)

だれかが聞こえない声で言ったが、画家さんは気付かない。ただ、背後から見つめている歌穂さんは、やっぱり少し複雑な顔をしていた。

夜明けが近かった。画家さんはベビーベッドから静かに離れ、窓から外の空を見た。東の空に、朝日の気配が見える。まだ星の溶け残っている空は、ふしぎな菫色をしていた。

「国境には、菫の花が、咲いていた、か…」
画家さんが明けはじめた空を見ながらぽつりというと、聞こえない声がまた言った。
(ああ、咲いてたよ。ぼくはそこを超えた。君も、もうそろそろ、やりたいことをやってもいいんじゃない?)

画家さんには何も聞こえない。だが、ずっと自分の胸の中に秘めてうずいているものが、一瞬、確かな形を持って光った。

「国境…なるほど、国境か。いいな」

愛よ おまえは いく

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・27

2015-02-28 07:06:42 | 瑠璃の小部屋

★ハートの6

あるクリスマスが近い日、久しぶりに帰国した手品師さんが、画家さんのもとを訪れた。手品師さんは、彼のアトリエに入るなり言った。

「やあ、これが前のアトリエと同じアトリエと思えないな」
「うるせえ。大体は前とおんなじだ。ちょっときれいになっただけだよ」
「お嫁さんに苦労かけるなよ」
「かけてねえよ」

画家さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、アトリエで会話を交わす二人。離れていた月日を感じない。イーゼルにかけてあるカンヴァスには、詩人さんの顔があった。

「この絵、前にも見たことあるな。どっかで」
「ああ、スケッチブックの素描をもとにして描いたんだけど、すぐに売れた。そしたらしばらくして、あれとおんなじ絵を描いてくれって、ほかから注文がきたんだ」
「へえ、渡のファンか?」
「そ。レプリカを描くのはあまり好きじゃねえけど、ま、客は大事にしないとな」

手品師さんは、カンヴァスの中で笑っている詩人さんに、愛おしそうに視線を注ぎ、言った。

「あれから何年経つのかな。君は、国境を越えて、どこに行ったんだ?」

画家さんが手品師さんを振り向き、言った。

「国境か。渡は、渡の国境を越えた。それはきっと…」
「きっと、何さ?」
「たぶん、人間の国境だ」
「人間の国境ね…」

手品師さんは絵の中の詩人さんを見ながら、わかるような気がするよ、と、言った。

「お嫁さんは?」
「実家に帰ってる。予定日が近いんでな」
「来年早々だそうだね。年末年始、忙しくなりそうだ。男の子だって?」
「ああ、医者の話では、90パーセント男だってさ」
「あててやろうか?」
「何を」
「男が生まれたら、渡って名前をつけるつもりだろう」

画家さんは黙った。そして、絵の中の詩人さんの笑顔を見た。

「もう少し、生かしてやりたかった。なんも、おれにはできなかったけど」
「君のせいじゃないよ」
「わかってる」

出されたコーヒーを飲みながら、手品師さんは椅子に座り、しばしの間、思い出にふけった。右手が無意識のうちに動く。気付くと手品師さんは、一枚のカードを手にもっている。ハートの6だ。

くるしいことの すべてを
あしたのひかりに とかして
ぼくはゆく
もう後ろは見ない

扉は開いて
金色の花の洪水のような
光があふれてくる
ああ お日様の向こうにある
お日様が 流れてきたのだ
ぼくのところに

知っているかい
ちきゅうをふく すべての風は
神様が あいするみんなの
頬にキスをするためにあるのだ

ぼくは歌でそれを
みんなに教えに行く
国境を越えて
魂も心も体も瞳も叫ぶ唇も
すべてが変容して
いつしかぼくは
ふしぎな一羽の小鳥になっている

あててみせよう
君が出す次のカードは
ハートの6だ

「この絵、ぼくにも描いてくれないか。もう少しサイズを大きくして。買うよ」
「え?そりゃいいけど」

画家さんは少しきょとんとして、手品師さんの横顔を見つめた。手品師さんは、絵の中の詩人さんをじっと見つめている。

「ハートの6か。まだわからない。何が言いたかったんだ?渡」

手品師さんは詩人さんと無言で話をしていた。画家さんは何も言ってはいけないような気がして、黙っていた。

(仕方ないね。答えを教えよう。詩の解説なんて、詩人の仕事じゃないけれど)

聞こえない声が、言った。

(愛がすべてだってことさ)

ふたりは、なんだか胸が暖かくなった。なんとなく、昔と変わらず、3人でここにいるような気がした。

国境を越え 怒りを捨て
すべてを 導くために

君はゆく

(つづく)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・26

2015-02-27 07:12:10 | 瑠璃の小部屋

★忍さんと歌穂さん

ある日のことだった。画家さんは、アトリエで、スケッチブックの素描をもとに、詩人さんの肖像画を描いていた。

ほんとにおまえ、予想通りになったな。カンヴァスに筆を走らせながら、画家さんは絵の中の詩人さんに心の中で声をかける。

学生のときから、なんとなくよわっちいやつだと思ってたけど、こんなんでいけるのかって、思うことが何度もあったけど、ほんとに、こんなに早く死んじまうとは思わなかった。

聞いたところによると、鳥音渡の第2詩集の売れ行きはかなりいいそうだ。本人が死んでしまっていると言うことも、人の興味をひくらしい。鳥音渡の詩は生きている鉱物の光のように、人の心に静かにしみ込んでゆく。

おまえが言いたかったことが、今ならわかるよ。画家さんは絵の中の詩人さんの顔を、愛おしそうに見つめた。

そのとき、横の方から、がちゃんと何かが割れる音がした。振り向くと、アトリエのドアのところに歌穂さんが呆然と立って、画家さんを見つめ、震えている。その足元ではコーヒーのカップが割れ、黒い液体が床を濡らしていた。画家さんが何かを言おうとする前に、歌穂さんの目からぽろぽろ涙がこぼれだした。画家さんはあわてて立ち上がる。

「どうした、なんかあったのか?」
画家さんは歌穂さんにやさしく声をかけながら近寄って行った。すると歌穂さんは顔を覆って泣きながら言った。

「忍さん、やっぱり渡さんのことが好きなのね」
「はあ? なんだ?」
「竹下さんが言ってたの。忍さんは女の人より、男の人の方が好きで、渡さんは恋人だったんだって」

竹下さんとは、画家さんの絵を扱ってくれている画廊の女主人のことである。画家さんは驚いて、目を丸くした。あのばばあ、何を女房にふきこみやがったんだ!?

画家さんはしばし呆然として口がきけなかった。歌穂さんは顔を覆ってさめざめと泣いている。そのお腹は少し膨らんでいて、中には、五か月になる子供がいた。

「わ、わたしと結婚したのも、わたしが渡さんに少し似てるからだって…」

ぶっ、と画家さんはつい、吹き出してしまった。この、どあほう、と叫びそうになったが、相手が女性なのでもちろん飲み込んだ。

「あのなあ、それは嘘だ。単なるうわさだ。冗談じゃねえ。俺はそういう趣味はない。女房の方がいいのにきまってるだろう。おまけにこいつはとんでもない馬鹿なんだぞ!」
画家さんは詩人さんの絵を指さしながら言った。そして泣いている歌穂さんの方に近寄って行って、お腹をつぶさないように、やさしく抱きしめた。

そう。画家さんはこういうことができる男なのだ。

小さな自分の妻を抱いて、画家さんは言うのだ。
「おまえが一番大事なのにきまってるだろう。友達は友達、女房は女房で全然違うんだ。おなかの子供のこともあるし、いらんことで悩むな」

歌穂さんは、暖かい忍さんの胸の中で、幸福をかみしめざるを得なかった。こんないい人と結婚していいのかとさえ、思った。

「ごめんなさい。忍さん」気持ちが晴れたのか、歌穂さんは画家さんの胸から離れ、涙をふいて、言った。

やれやれ、と画家さんはため息をついた。歌穂さんはこぼれたコーヒーと割れたカップを片づけると、うれしそうに買い物に出かけていった。

(ふふ)

ふと、画家さんの耳に、誰かが笑ったような声が聞こえた。画家さんは、カンヴァスの中の詩人さんの顔を振り向き、言った。

「おまえ、さっき笑わなかったか?」

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスのたまご・25

2015-02-26 06:44:19 | 瑠璃の小部屋

★最初のワン

みなさん、こんにちは。鳥音渡です。あ、正確には、生きてる頃はそういう名前だったやつです。今ぼくは死んで、見えないものになっています。

死ぬのはそれほど大変じゃありませんでした。意識を失っているうちに、もう肉体から魂が離れていました。ぼくはしばらく、病院で、中に何もいなくなったのに、まだ生きてるぼくの体を見ていた。それから間もなく僕は本当に死んで、体も骨になって、この世界から消えちゃったわけだけど。
完全にいなくなったわけじゃありません。

肉体がないってのは、けっこういいですよ。自由だ。もう僕は解き放たれて、本当に僕がしたかったことを、そのまんまの形でやることができるんです。

生きてるときは、一生懸命勉強して、詩を書いて、苦労して何かをやらなきゃいけなかった。僕には大事な役目があるような気がして、一生懸命詩を書いてた。それが何なのかは、死んでからわかったのだけど。ぼくは、生きている人たちがいる世界に、本当の愛を置いてこなければいけなかったんだ。それを、詩を書くことでやろうとしていた。もっといろいろやりたかったけど、結局は詩集2冊しか出せなかった。でも、あまり後悔はない。生きてるって、おもしろかったですよ。つらいこともあったけど、友達がいたし。

今はなにやってるかって? ぼくは透明になって、愛だけになって、みんなの胸の中にいる栗鼠に、愛を届けているんです。簡単なこと、みんなの魂の中に、そっと、ろうそくのともしびを移すように、愛してるよって、ささやくだけなんだ。

ぼくが生きてるうちにやりたかったのは、これだったんです。

がらすの たまごは ゼロの かたち

あのころ、僕の本当に言いたかったことが、今の僕にはわかる。もう名前も体ももつ必要はないから、自由に言える。

ゆけ みんな
菫色の空の向こうには 本当の青い小鳥が生きている
この世界でたった一羽の 本当の愛の瞳が

そして
最初のワンを 君は打つ

(つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする