日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

鬱屈

2019-01-01 23:50:31 | 旅日記
空が晴れれば晴れるほど、気分は鬱屈していきます。元日も年賀状を始めとする野暮用に費やし、絶好の冬晴れを三日も棒に振りましたorz
成果が何一つなかったわけではありません。文字通り足の踏み場もなかった自室に、一応足の踏み場はできました。これ以上放置したくないとは思いながらも、旅から旅の暮らしに追われて果たせないままだっただけに、年末を機に多少なりとも片付いたのは収穫です。とはいえ、休みを三日も棒に振ってまでやるべきことだったかという疑問は残ります。

断捨離なる言葉がやたらに飛び交うようになったのは、比較的最近のような気がします。それもそのはず、聞き慣れない横文字の肩書きを持つ人物が、東洋哲学の概念に着想を得て、十数年前から提唱しているものだそうです。提唱者の公式サイトによると、「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」が断捨離だとあります。つまり、片付けることよりも、日常生活を快適にするという目的が根幹にあるということです。
このような価値観が自分には全く理解できません。自分にとって、日常とは好むと好まざるとにかかわらず繰り返すものであり、それを快適にしようという発想はないからです。むしろ、日常の細々した事どもに費やす時間は最小限にして、その分を道楽に充てたいという考えがあります。
物を持たないことを信条にする活動仲間も、いわゆるミニマリストを引き合いにして、同旨のことを述べていました。当人と違い、こちらは物をなかなか捨てられない人間ですが、それでも捨てること自体に余計な時間を費やしたくはありません。本気で片付けようとすれば、正月休みを注ぎ込んでも到底終わらないでしょう。最低限の片付けが済んだところで出発します。

そのようなわけで、九日あった正月休みのうち、前半四日は悔いだらけになってしまいました。しかしよかったこともあります。十分すぎるほどの休養をとったことにより、深夜の長距離移動によい状態で臨めるのが一つ。三日にわたり恒例の晩餐ができたのが一つです。一年前にも語ったところではありますが、水入らずのひとときも、年を追えば追うほど貴重な時間になっていきます。快晴の日中を活かせなかったのはさておき、正月にふさわしい晩餐ができたことについては、素直に感謝している次第です。
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