日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

世知辛い世の中 2015春

2015-04-07 23:22:55 | 旅日記
新幹線の開業に伴って分断され、短編成の普通列車が走るだけとなったかつての北陸本線を、死んだに等しいであるとか、東北以下などと切り捨ててきました。かつての大幹線が、かくも無残に変わり果ててしまった理由について、今更ながら知ったことがあります。その理由とは、「貨物調整金」なるものの存在です。
そもそもの発端は、国鉄の分割・民営化に遡ります。既に瀕死の状態だった貨物輸送を、旅客輸送と切り離して別会社とするにあたり、貨物会社から旅客会社に支払われる線路使用料を、実費程度の格安な水準に抑えるという政治的な決着が図られました。その後、新幹線の整備により在来線が数百km単位で切り離されるという、当初必ずしも想定されていなかった事態を迎えるに至り、新たに考え出された仕組みが「貨物調整金」です。実費のみの負担で生き長らえてきた貨物会社に、今更適正な使用料を支払う体力などありません。そこで、旅客会社が支払う新幹線の貸付料を財源にして、貨物会社が支払ってきた実費と、採算の合う適正な使用料との差額を補填するという、これまた政治的な決着が図られたのでした。

自分自身、上記の経緯については承知していたつもりです。しかし、この制度には落とし穴がありました。
貨物会社は既得権を維持し、在来線を引き継いだ事業者は適正な使用料を受け取れるのですから、一見すると何の問題もなさそうではあります。ところがその「適正な使用料」というのが、平たくいえば通過する車両数とその走行距離に応じて決まるらしいのです。つまり、貨物列車の輸送力を一定とした場合、旅客列車の輸送力を削減すればするほど、貨物会社に転嫁される経費の割合が高くなり、その分使用料も上がるという仕組みです。その結果、在来線を引き継ぐ事業者としては、本数も両数も極限まで削減しようとする強い誘因が働きます。旧北陸本線の輸送力が極端に絞られたのは、必然の帰結だったということです。
もともと一、二両で間に合う輸送量しかないか、貨物列車が走らない場合には、このような行動が誘発される余地はありません。JRが在来線を引き続き運営する場合は、そもそも調整金が出ないため、やはり本数と両数を極端に切り詰める誘因は働きません。そして、従来開業してきた長野新幹線、東北新幹線、九州新幹線の並行在来線は、いずれもそのどれかに当てはまっていました。ところが今回、相応の輸送量があり、なおかつ貨物列車も走る北陸本線が放棄されたことによって、この制度の欠陥が見事に露呈したわけです。

このような構造的欠陥が、北陸新幹線の着工にあたってどれだけ議論されたのでしょうか。少なくとも自分の知る限り、マスコミはもちろんのこと、鉄道雑誌でさえ正面から取り上げたものはなく、Web上を探してもお上による解説しか出てきません。いわば死に体の貨物輸送を延命するため、北陸地区の旅客輸送が道連れにされてしまった事実は、実際の利用者にすら認識されていないのでしょう。初日の華々しさも束の間、後味の悪さだけが残る北陸新幹線の開業です。
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