かつてここ迎賓館や春の部屋 笑子
かつてここげいひんかんやはるのへや

昨日幾つか遠山記念館のことで問いをいただきましたので
少し説明を付け加えます
ここ遠山記念館は
日興證券の創立者・遠山元一(1890-1972)が
幼い頃に没落した生家を再興し、母・美以の住まいになるように
昭和8年から2年7ヶ月の歳月を費やして完成させて大邸宅です
当時の最高技術の大工・左官ら、そして
全国から集めた今日では手に入れることのできない材料を
ふんだんに用いて建てられています
1枚目の雛飾りの間のあるところは
貴顕の来客を接待するための迎賓館のような役割を果たしていたので
格式のある書院造りの大広間があるスタイルになっています
昨日載せた下の写真の畳が変わっているので質問をいただきました

囲炉裏のある居間は古くは家族が団らんする空間で
関東の田舎家ではこのような縁無しの坊主畳が用いられました
ここの畳は複雑な形をしていますね
これは遠山記念館のある川島町出身の現代彫刻家である長澤英俊(1940-2018)の美術作品で
「浮島/Isole galleggianti」(2009)というタイトルが付いています
この辺りは川に囲まれた地域で氾濫すると水浸しになり
高い土地が島のように残った 、それを畳の現代芸術にしたものだそうです

ちょっと光線の都合で見えにくいですが畳の向こうに土間があります
これは磚(せん)と呼ばれる黒い艶消し瓦を敷いた半土間を二方に設け
枯山水の庭と室内をつないでいます

桐材を用いた欄間には、踊り桐が透かし彫りにされています
この桐と、襖の菊が組み合わさることで、菊桐の意匠としています

今回はほんの一部の紹介になりましたが
館内はフラッシュ撮影をしなければほぼ撮影OKとのことです
建物全体が贅に贅を尽くした感じで圧倒されました
川島町にこれほどの建物があるのを今回初めて知って驚きでした

畳の芸術作品も欄間も素晴らしい。
今は出来ない作品ですよね。
後世に残したい建物でしたね。美術館になるのは当然ですよ~
素敵な目の保養でしたね。
笑子さんの詳しい解説、とてもためになりました。
昭和13年の遠山家のひな祭り、豪華絢爛ですね!
いっときは没落した生家を母親の住まいとして
建てた大邸宅...
没落からここまで
なかなかの苦労があったことでしょう。
家族が集ってのひな祭り
母親の美以さん、幸せだったろうな〜
畳のお部屋がアートそのものだったのですね。
私もなんだろうって思っていたので
まさに想像の斜め上をいきました。
あとこの欄間、すごく美しいね〜
たとえば1000年経っても保存されてて欲しいな。
ほんと実物を見学したくなりました☆
本当
圧倒されちゃいますね。。
笑子さん
アンにそして私に
優しいコメント
ありがとうございました。
優しさに感謝します
凄いですね。
ぜひ、見てみたいです。
昔の家って、良いですよね~。。
これは、1度訪ねなければ
いえませんね☆☆
畳の説明をありがとうございます。
目的ではなく、芸術だったのですね。
なかなか目的が見つからないわけですね。(笑)
私もいろいろな畳を見てますけど。
こう言う納め方は初めてだったです。
欄間の飾りも気品があります。
贅を尽くしたようでいながら品よく押さえてありますね。凸2
お金を手にした時に
何にお金を使うかで
その人の生き方、人生観が伝わってきますよね。
応援ぽち
ご説明ありがとうございます(^^♪
すべてが素晴らしい♡
後世まで残したい重要文化財ですね♪
行ってみたいな・・・
☆
豪邸も公開してくれ見学もさせてくれアッパレです
斜めの畳も美術品なんですね
建物自体も中も重要文化財なんですよね
今は、こうして開放してくれるのは、ありがたいことなのかも?
一度は訪れてみたいものです。
そう言えば、間もなくひな祭りですね♪
ポチ☆彡×2
尽くした材料を使っていたのですね
畳の事よくわかりました
最後の写真で川沿いにあることがわかりました
どの角度からも見ごたえのある内装。
うっとりと過ごして居られそうですねぇ。
日本の文化と匠の技の集大成ですね
雛壇前の写真に写る生身の雛すごい
雛飾りも立派だし
すごい豪邸ですね~
2年7か月もかかってるんですもんね💦
細部まで、細かい仕事をされてて
今ではもう貴重な物ばかりですね。
欄間の装飾が素晴らしい(^^♪
縁なしの畳は、坊主畳~。
昨日、不思議に思った畳は、浮島という
芸術作品なのですね~。 ふむふむ。
欄間も素晴らしいと思ってたのよね。
細部まで、ほんと素敵♪
凸
凄いお屋敷、豪邸ですね。
昭和13年の写真では全員着物を着ていますね。
凄いです。
「坊主畳」! 初めて知りました。
「縁なし畳」「坊主畳」。それらを含めて
現在では琉球畳というそうですね。