2023.11.25 土曜日
「人は1人で産まれて来て、1人で死んでいく」と言う言葉があります。
すべての人間の一人一人は、「二度とない人生を、ぜったいに他のだれとも代わってもらえない一生」を送って死んでゆくのです。(田山花袋 抜粋)
本質的にはその通りなんだろうとは思いますが、いろんな人がいろんな形で関わって人の生き死にがあるようにも感じます。
自分の寿命は誰も知りませんし、わかりません。
死ぬことがこんなに儚いものかと感じ、本当に死を意識して知ったのは22歳の頃。
娘を9ヶ月で亡くしたときです。
その前にも祖父ちゃんとか祖母ちゃんの葬儀や出棺など見てきていますが死という認識では無かったように思います。
父が66歳で、兄が64歳で他界しました。
兄が亡くなった頃でしょうか?僕は60歳になる年でその時は59歳でした。
初めてのお孫ちゃんが出来て一緒に暮らしていたので感じたことは、え~あと4年で居なくなるとお孫ちゃんは僕のことをほぼ覚えてないよね。そんなこと考えたり感じたりしていました。
タイトルの24,304日は父が生きた日数です。66歳と6ヶ月あまりの生涯。
その頃から、兄の生きた以上、父の生きた以上には生きていたいと思うようになりました。
その日が11月25日の今日訪れました。
生まれて24304日目となりました。
この日を越えると何かが見えてくるのかな?何かが変わるのかな?などとも思ってたりもしましたが、その日が通り過ぎても何も変わらないようあります。(まだ気づかないけど自分の中で何かが変わってるんだとは思います)
備忘録としてここにしたためて来た事。ここ数日で検索してみました。
記憶は曖昧で、まわりとか環境とかが変わることで自分の気持ちもユラユラなことが見えてきます。
自分の中では、ここまですごく意識して来たことを備忘録に残します。
「出会いの数だけ別れはあるもの」
「今を大切に、今に感謝して」
まだまだ終わりではない。これから始まることもあると期待もしながら歩んでいけたらと思います。
君が20歳になった時に一緒にお酒を飲めたらいいね。
山口百恵 ありがとう あなた