球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

黄色くなったバラは昨日枯れて

2017-06-06 | たぶん難解な話
燃えるゴミに出しました。
最後の数日は本当にただ花瓶にさしてあるだけというくらい枯れていたけど、
それでも一月近く咲いていた、偉大である。

色々なことが一時的に落ち着いたため、
今週末は妻と国内の旅行に行くことに決めた。

最初は青森の白神山地に行こうとしていたが、
近隣であまりもにガイドブックが置いていなかったので
(青森の人は書店の人に文句を言ってもいいと思う)
伊勢神宮を擁する三重に行くことになった。



旅の目的はたそがれ。

一人旅の場合、目的の4割近くはたそがれのため。
残り3割は気分転換のためで、更に残りの3割は家族旅行の思い出が少ないことの補償だった。

複数人になる場合たそがれ要素は多少削られて、
同行者と数少ない一緒の体験を共有することのウェートが上がってくる。
個人的なたそがれが2割くらいまで減って、同行者と楽しい時間を共有することのウェートが2割、
同行者とできれば一緒にたそがれることが2割、気分転換が2割、
目的地そのものの純粋な興味が2割。

上記、真剣に見直したら項目とレートは変わる可能性大だが、
それでもたそがれが自分の一番求めているものだ、という旅に対する欲求はかれこれ15年間変わらない。
このことをうまく人に説明できたためしがない。
というか、説明できる段階まで理解を示してもらった例も人生で一度(一人)ほどしかない。

注:ここでの"たそがれ"とは、"感傷的に自分の世界に入って、浸ること"であって、
  辞書的な意味とは少し違う。しかし、この事象を数文字で表せる日本語を僕は他に知らない。
  "耽溺"とは違うし、"妄想"、"空想"、"想像"では、今一つ感傷的な気持ちを乗せられない。
  


前回鳥羽に行ったときは、理由は分からないが
ひどく感傷的な気持ちになったのを憶えている。
(つまり大満足だった、の意)
誰かの人生の舞台は、それを想像する僕にとってのたそがれの地になる。

お伊勢さん周りの部分は妻が良く調べてくれているため、
自分は全力でたそがれることができるポイントを求めているが、それはどこなんだろう。
鳥羽に行くのもいいし、志摩にも足を延ばしてみたいとか漠然と思うのだが、
"一番たそがれることのできる場所"がどこなのかということはなかなか見えてこないものである。

スクショの画像がコピペで貼れたらいいんだけど、
依然PCからブログに画像を貼るのは面倒なままである。進歩してほしい。


コメント
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