球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

不眠センター

2024-04-17 | 日常
ここ(長めの残業→遅めの夕食→眠れず深夜まで漫画読み→睡眠不足→長めの残業…)から習慣の崩壊までは一足飛びだ、これが一人暮らしの毎日だったなそういえば。


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惜しい孤独

2024-04-15 | マジメな話
せっかくの一人の時間をこんなことに使ってよかったのか
ここにものを書くのはアウトプットの継続だしどちらかといえば自分の中では褒められるべき行為だからいいんだ。

酔った自分の頭も洗えやしない酔いどれ坊主、明日の朝に頭の臭さで死ななきゃいいね。

フライパンに水を張ったような孤独。
自分でしっかり認知しているが、別に水をためたままにしていて不都合もないのでそれを流しもしないし、料理もしないので水を一気に使ったりもしない。ゆっくりゆーっくりと干上がっていくのは鉄のこころ?繊細なフライパン?

知ってたんだ、少ない人との幸せな毎日を。
昔よりも僕は僕のことが分かったんだ。
だからこんな所で死んでいられない。


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後天的気質と先天的気質

2024-04-15 | マジメな話
家族は大事。習慣が家族のお陰でキープできる。

普段は19:00には夕食を取るが、今日は片付けにハマっていたら21:00になってしまった。この歳になっても、何かに熱中したら自分で止めることができない。

やはりこのあたりは自分の先天的な気質と言える。
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責めないでsmile

2024-04-12 | 
ある成果物を見比べた。
行動への出し方としては自分も悪くない形になっているとは思う。

しかし肝心の内容という意味では、自己認識がまだまだだという辛さを感じることになってしまった…そこですぐにリカバリーの機会をもらえるのが素敵な環境だけどね。
素敵な環境。寝言で言っても馬鹿にされないのが大人のいいところ。

新しいカフェ。あのパンが近くに。
長い散歩も要らない。在宅とも両立できる。

風呂でスマホなんかいじらなきゃ、もっと肩の力が抜けるのに。愚か者。

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ヤマタノオロチ対策

2024-04-11 | 
7本の首が同時に攻撃を仕掛けてきたらとてもかわし切ることはできない。
だから各個撃破できるようにあっちの壁行って、こっちの壁行く。

◯あるライフハックの記事を読んで…
ライフハックを多くの人が語るが、その人にあった内容であり、俺に刺さることは少ない。それがわかっているので、自分には向かないと思ったら聞く耳をそこまで持たなくても構わないのだと思う。誰の発言だったとしても。
自分ができないのか、相手の言っていることがわからないだけなのか、相手の説明が下手なのか。どれもある。

◯俺のブログの原点。
盛り上がらない。説明が下手。何があったか書かずに、起こったことに対する心境だけを語るスタイル。
多分これでは分からないのだろう。
俺だって、他人から口で何かを訴えられたとして、その時はなんとなく聞いているものの喉元過ぎたら直ちに忘れることの連続だった。
話が噛み合わないというか、聞く側が理解できていない場合、大抵の話はひどく退屈なものになる。分らないかは聞こうかどうかと思う頃には機を逸する。

毎日の通勤路に咲く花が思い出せない。
桜が散ったかって?通学路にあるって??
知らん。わからん、見てない。

夜なんて、俺だって眠いのに。眠いのに。



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痙攣目蓋

2024-04-10 | 
物理的な話。
時間ができても結局夜更かしをしてしまう。
データを溜め込む場所と考えを広げる場所は分けた方が良い。
ノートに書くほうが簡単だが、データに残した方が無くさない。困った。
よほど壮大な計画を立てるのについているかのような自分の強みということになってはいるが、それ脱線扱いされてきたのでは無かったか。

そして思うのだ、こういう書き方になってしまうと、後日読み返したときに何の話かさっぱり思い出せないということを。説明がひつようなんだ。今の俺には説明は要らないが未来の俺には説明がいる。
そんなふざけたことがこの世の中にはいっぱいある。
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24/4/9

2024-04-09 | 
日記アプリよりも
Xよりも
自分の心境を書く場としてはやっぱりこっちが最高だ
別に中身なんて空っぽだけど、自分の中で渦を巻いて消えるよりは
外に漏れ出たものに仄かな希望を持ちたい

一人で生きることが好きなわけじゃない
興味を持って入り込んでくれる人をずっと待っているんだ。


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こちらのスペースでは一段落します

2023-08-05 | マジメな話
いろいろ生活が変わってしまい、
学生のノリが色濃く残っているこのサイトに関しては
実名を上げての自分のキャリアや情報発信をする場としては相応しくなく、
私の中で役目を終えたかなと思っています。

本当は解約も考えたのですが、
データ化したものを再度読むかがわからなかったので
ここのスペース自体は残そうと思います。
ゲーム記事のようなお遊びや、
個人的な出来事の記事についてはこの場で書き続けるかもしれませんが。

ひとまずは、一度でも足を運んでいただいた方、
どうもありがとうございました。

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部屋が汚くても一人

2023-03-11 | 日常
とある事情で今週は一人暮らし。
1週間経ったところ、リビングが埃系のゴミが目立つ状態になっている。
これまでは俺知れず掃除してくれる人がいたからキレイになっていて、
今は一人だから汚い。

掃除機の掛け甲斐を感じたのは珍しい。
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原稿 バレエの情景 シベリウス

2023-01-29 | オケと音楽
プログラムに寄稿文の初稿が完成。
後は少しずつ完成度を上げていこう。文字数は少し2000字を過ぎているくらいなので、まぁ調整は不要であろう。

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バレエの情景 ~シベリウスの“若気の至り”~

・日本における認知度(および筆者との出会い)
先日「バレエの情景」の公演が日本初演であることが判明した。後述するが、フィンランドの初演から約130年遅れての初演ということになる。
じっさい有名な曲とは思わないが、これまで日本で全く聴かれてこなかったことを意味するのか?という問いに対しては、いや、決してそうではない、と言っておきたい。
日本に音源が無かった訳ではないのだ。2005年頃、”ちょっと有名曲以外にもシベリウスの曲を聞いてみよう”と色気を出した、(当時大学生の)筆者が触れられる程度には世に流通していた作品である。
ただ、曲の情報は少なかった。曲の情報と感想を発信してくれる人は居なかった。今でこそ”バレエの情景 シベリウス”と検索すれば数人の熱心なファンのレビューを読むことも出来るが、
少なくとも筆者がこの曲に触れた2005年にはこれらの情報にアクセスできなかったし、私も殊勝にも先陣を切って世界に感想を発信する度胸もなかった。
大げさな言い方だが、本演奏を期により多くの人に聴かれるようになることを願う。
ご存知NAXOS、スウェーデンのレーベルであるBIS(このレーベルは本曲に限らずシベリウスのマイナーな作品をよく収録している)を中心に、
今は複数のオーケストラ・指揮者による演奏を聴くことが出来る。

・背景
シベリウスが作曲を始めたのはウィーンに留学中の1891年初頭からとされている。
当のシベリウスは26歳(?)、現代で言えば大学院生の習作のようなものである。
さて、ウィーンで自分の作品がより高い頻度で演奏されることを期待しつつ、
彼は交響曲の第2楽章として”バレエの情景”を作曲していた。
しかし、結果から言えばこの曲は交響曲の一部として演奏されることは叶わなかった。彼の言を借りれば、” Jag har mistat lusten att fullborda den af skäl att jag måste tillegna mig mera säkerhet i den gamla symfoniformen.
(古い交響曲の形式にもっと自信をつけなければならないという理由で、完成させる意欲を失ってしまったのです。)”ということである。
一方で作曲家デビューの期を伺っていたシベリウスは、譜面を単独でヘルシンキに送り、初演の準備を進めていた。彼は作品の出来が公演に耐えるものではないという不安も感じていたが、
彼を崇拝する男、ロベルト-カヤヌスがその不安を払しょくする。シベリウスこそがフィンランドの音楽を担う人物に成長すると信じて、
シベリウスを鼓舞し、1891年4月28日のポピュラーコンサートでバレエの情景は初演を指揮した。シベリウスは後にこのことを深く感謝している。
なお、この初演は、批評家からは” En vision, sällsam, demonisk; en pantomim med de mest fantastiska rekvisita.(幻影、奇妙な、悪魔のような、最も素晴らしい小道具を使ったパントマイム)”と評された。
”バレエの情景”という曲の批評としては不穏な言葉が並ぶが、その理由は次の段落で述べるようなものである。


・”バレエの情景”という題名と中身のギャップ
題名からして、大半の読者は明るい・軽快・優美・賑やかといったイメージをもって曲に臨むであろう。しかし、上記のイメージとはかけ離れた響きから本曲は始まる。
陰鬱・重い足取り。舞曲として聴くには違和感を禁じえない不穏さに包まれている。きっと聴衆の方も”バレエ”であるようには思われないだろう。曲が始まったらどうかこの解説は脇において、自分がどのように感じるかを確かめて欲しい。

それもそのはず、シベリウスは”バレエの情景”について師・友人にこのように述べている。
„Med balettscenen är det annat. Ett sorgligt, sorgligt minne ligger till grund. Det är något af ‘rus’ och ‘lår’ i den.(“バレエの情景”と言いますが、言葉通りの意味ではありません。根元には、悲しい思い出が眠っている。「陶酔」や「太もも」が内包されています。)”
“Det är svårt för mig att hitta på något motto. Jag satt en natt på ett horhus i Wien. Hororna dansade […] och blef till sist så der underbart vemodigt stämd – litet à la ‘o vanitas vanitatum vanitas.’ ‘Allt fåfängelighet’ Det är nu just det der att allt kött måste ruttna, alla menniskor, vore de än , bli as! …
私にはこの曲に標語を与えることは難しい。ある夜、私はウィーンの娼館に座っていた。娼婦たちは踊っていた(中略)
そして、最後には、私はとても素晴らしく切ない感動を覚えた、すなわち'o vanitas, vanitatum vanitas(無だ!無なのだ 空なのだ:ゲーテの詩)'という状態です。ここで起こっていることは全て虚無… 
まさに、すべての肉体は腐り、すべての人間は、それが何であれ、灰となるのです。

色々大袈裟なことを言っているが、身も蓋もなくまとめてしまうと、「バレエの情景」という曲は、娼館の女性の踊りを眺めているうちに込み上げてきた退廃的な感傷・非現実感からインスピレーションを得た曲であると述べている。
人はモノを創り、あまりにも自分の個人的な事情が作品に反映されてしまった時には、これが自分のことであると悟られにくくするようにこういったオブラートを挟むものである。
これを頭に入れて曲をお聞きいただくと、題名に感じる違和感も消え失せ、きっと”バレエの情景”が頭に浮かんでくることであろう。

クレルヴォの前座としてはいささか尖った曲であるが、まだ若かったシベリウスの”こじらせ”を感じて頂きたい。
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