monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

抹茶チョコモナカ

2018年05月15日 | 食・レシピ

 2~3年前だったと思いますが、セブンイレブンで買った「抹茶チョコモナカ」(正式な商品名は不明)。外側のモナカがたしか、抹茶入りで緑色でした。その内側にチョココーティングがあって、真ん中が抹茶アイス。多分、セブンプレミアムだったよーな。
 抹茶アイスが濃厚でとても美味しかったので、その後、思い出すとセブンイレブンで探すのですが、見つかりません。


槌車と橋(その2)

2018年05月11日 | 着物/和服

 以前のブログ「槌車と橋」以降、文様本などを探してみました。

 「きもの文様図鑑」(長崎巌監修、弓岡勝見編。2005年。平凡社)によると、桃山時代に、柳に橋、それに水車を排した屏風絵があり、以降「柳橋水車」図という一つのパターンとなったのだとか。江戸時代初期になると、柄杓を小槌に置きかえた槌車文様が登場。文様としてはよく似ているが、柄の先端がとび出ているのが小槌。

 他の日本の文様の本では、平安時代から水車の柄はあったが、江戸初期に槌車の文様が着物に登場した、とありました。
 しかし、水車に流水文様を組み合わせるのはよく分かるが、槌車と流水文様と一緒に用いるのは、実用ではないよね。なぜ水車の代わりに槌車となったのか、疑問です。

 家紋としての槌車は、輪に木槌を取り付けた文様。打つと言う意味で武家の家紋に良く使われているそうです。敵を討つ、あるいは打ち出の小槌など、縁起のよいところから、紋章になったとされています。江戸時代の紋帳に出てくるそうです。
 古いところでは、大阪城中の幟として使用されたものに槌紋が見られるとのことです(最上屏風:大坂夏の陣図屏風)ので、この頃にはすでに紋として存在していた、ということになりますね。
 以下の神社で槌紋が使用されている、とのことです。
八阪神社  奈良県桜井市大字三輪字南天王山
草岡神社  富山県射水市古明神372
中尾神社  山梨県笛吹市一宮町中尾1331
蜂須神社  徳島県美馬郡つるぎ町貞光字宮平7
川田神社  滋賀県甲賀市土山町頓宮769
戸部杉山神社  神奈川県横浜市西区中央1-13-1
倉賀野神社  群馬県高崎市倉賀野町1263
御田神社  富山県氷見市仏生寺496

 謡曲「土車」は「槌車」と関係がないのかと思いますが、テキストに当たってみようと思っています。テキストは関係なくても、舞台衣裳に柄として使われていたりして?

 長谷川等伯(1539-1610年)の六曲一双屏風「柳橋水車図」(兵庫・香雪美術館)が、前述の「柳橋水車」模様流行の嚆矢なのでしょうか。
 「もっと知りたい長谷川等伯」(黒田泰三、東京美術、2010年、70~71p)によると:
屏風一双にわたって俯瞰された金色の橋が架かり、神秘的で崇高な精神性をも感じさせる。川の流れと水車や蛇籠(じゃかご)といった光景は、いかにも装飾的で橋をめぐる空間にあって不自然であるが不思議と調和している。それは、単なる装飾性だけではなく本画題が極楽浄土をイメージさせるからであろう。
「柳橋水車図」は当時京の町で大流行したようで、屏風の制作はもちろん、志野や織部といったやきものの絵付けをはじめ、蒔絵など工芸品のデザインや衣装の文様にも確認することができる。 ←等伯は戦略として(意識的に)流行画題を創案した、とのこと。

 焼き物だと、どのような絵柄になるのか、見てみたいです。
 こうなったら、日本美術系の本で探したらよいのかも。奥平俊六の「屏風をひらくとき」を読んで、そう思いました。この著者の著作とか、巻末参考資料をあさって、見つからなければ、手紙を書いて質問してみたり。

 水車文様から槌車文様が派生したのは、何がきっかけだったのでしょうか。この疑問については、まだ解決していません。「打ち出の小槌で、縁起がよいから」というのが理由なら、裏付けが欲しいなぁ。江戸初期の日本史も勉強した方がよいのかもしれません。

 実際の着物の柄として発見したもので、古いと思われるのは、以下のとおり。

①『京都染織まつり記念図録 写真でみる日本の女性風俗史』(京都書院、昭和60年、92~93ページ)
江戸時代中期の衣裳として掲載されている「波に水車文様振袖」。後ろ左肩に大きく槌車が染めてある。
↑柄の先端がとび出ているので、正しくは「波に槌車文様振袖」ではないでしょうか。
①’『京都染織まつり記念図録 写真でみる日本の女性風俗史』(京都書院、昭和60年、94~95ページ)
江戸時代中期の衣裳として掲載されている「藤花水車文様振袖」。上前衽と後ろ裾、合計三か所に水車が波模様とともに染めてある。
↑こちらは四角い柄杓?

②安政4年の浮世絵?(あるいは美人画)の女性の着物柄に槌車を発見。
これは「きもので読みとく日本画」みたいな題名の本を、本屋の美術本コーナーでで立ち読みして見つけました。

③月岡芳年の明治期団扇絵の女性の着物柄に槌車が描かれていました。

 現代着物の画像も探してみたら、長谷川等伯の「柳橋水車図」と似た柄置きの振袖がありましたよ。そのほか、留袖や、帯にも槌車文様がありました。


「端午の節」用例②

2018年05月05日 | 日本国語大辞典-た行

 「端午の節」という用語の用例として日本国語大辞典は「公事根源」〔1422年頃〕を早い例として挙げており、それよりもさかのぼる用例があると、2017年5月6日のブログに投稿しましたが、更にもう少々さかのぼる用例を発見しました。

(裏書)「五日、天陰、霖雨頻甚、端午之節也、幸甚幸甚、伝聞、三位家時卿亭白波乱入云々、此間過法歟、」
(民経記・安貞1年5月5日条(113ページ)~東京大学史料編纂所HPのデータベースより)


古典の季節表現 夏 時鳥(ほととぎす)に寄せて(恋)

2018年05月04日 | 日本古典文学-夏

 恋歌中に
わがための卯月なりけりきみこふとやまほととぎすねをのみぞなく
(逸名歌集-穂久邇文庫~『新編国歌大観10』角川書店、平成4年

四月はかり、久しう音せぬ人に 実方朝臣 
卯花の垣ねかくれのほとゝきすわか忍ひねといつれ程へぬ
返し よみ人しらす 
人しれぬかきねかくれの郭公ことかたらひてなかぬ夜そなき 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

四月はかりに物いひそめける人の、さ月まて忍ひけるにつかはしける 実方朝臣 
忍ひねのほとは過にき郭公なにゝつけてか今はなかまし 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

五せちの命婦のもとにたかさた忍ひにかよふときゝて、たれともしらてかの命婦のもとにさしをかせはへりける 六条斎院宣旨 
忍ひ音をきゝこそわたれ時鳥かよふかきねのかくれなけれは 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

兵衛佐に侍ける時、五月はかりによそなからもの申そめてつかはしける 法成寺入道前摂政太政大臣
郭公声をはきけと花のえにまたふみなれぬ物をこそおもへ
返し 馬内侍
ほとゝきすしのふる物をかしは木のもりても声の聞えけるかな
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

忍びて御覧ぜられける女のもとにて、暁、ほととぎすの鳴き渡るを聞かせ給ひて たいの先帝の御歌
ほととぎす鳴きていづくに過ぎぬらん我のみつらきしののめの空
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

五月ばかり、女のもとにまかりて、帰らんとしける暁、ほととぎすの鳴きければ 雲居の月の左大臣
五月雨にぬれてや来鳴くほととぎす飽かぬ名残の袖にたぐへて
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

つごもりの日、女、
ほとゝぎすよにかくれたるしのびねをいつかはきかんけふもすぎなば
ときこえさせたれど、人々あまたさぶらひけるほどにて、え御らむぜさせず。 つとめてもてまいりたれば、みたまひて、
しのびねはくるしきものを時鳥こだかきこゑをけふよりはきけ
とて、二三日ありてしのびてわたらせたまへり。
(和泉式部日記~バージニア大学HPより)

橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
(万葉集~バージニア大学HPより)

わかやとのはなたちはなにほとときすよふかくなけはこひまさるなり
(家持集~日文研HPより)

いはてかくおもふこころをほとときすよふかくなきてきかせやはせぬ
ものをこそいはてのやまのほとときすひとしれぬねをなきつつそふる
(斎宮女御集~日文研HPより)

われはまつ人はこずゑのほとゝきすよはのねをのみなきわたるかな
(麗花集断簡~古筆手鑑大成⑥「あけぼの・上(梅沢記念館蔵)」昭和61年、角川書店)

 おなじ比(ころ)、夜床(よどこ)にてほとゝぎすをきゝたりしに、ひとりねざめに、又かはらぬ声にてすぎしを、そのつとめて、文(ふみ)のありしついでに、
もろともにことかたらひしあけぼのにかはらざりつるほとゝぎすかな
 かへしに、「われしも思ひいづるを」など、さしもあらじとおぼゆることどもをいひて、
思ひいでてねざめし床(とこ)のあはれをもゆきてつげけるほとゝぎすかな
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

なけきのみしけきみ山の時鳥木かくれゐてもねをのみそなく
(大和物語~バージニア大学HPより)

おもふ事侍けるころ、ほとゝきすをきゝて よみ人しらす
おりはへて音をのみそなく郭公しけきなけきの枝ことにゐて
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)