正月一日は、空のけしきもうららかにかすみわたりて、目のうちつけによろづ めづらしく見なさるるこそをかしけれ。世にありとある人もみな、姿かたちなどかはる事もあらじを、いかにする事にか、あらぬさまとつくろひたてて、君をも身をも、こと忌みしつつ、ことにあらためいはひたるけしきども、いとをかし。
(枕草子・前田家本)
常よりもことにきこゆるもの
元三の車の音。鳥のこゑ。暁のしはぶき。物の音はさらなり。
(枕草子~バージニア大学HPより)
年立ちかへる朝の空のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色づ きはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづ から人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いとど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。
春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、生ける仏の御国とおぼゆ。
(源氏物語・初音~バージニア大学HPより)
寶治三年正月一日、寅時四方拜也。清凉殿へ出でさせ給ふ。御ともに按察三位殿・中納言佐殿・勾當内侍殿。奉行宗雅、春のはじめの事がらまことに目出度くて、辨内侍、
今日になるときをば春のはじめとて祈りなれたる方も畏し
(弁内侍日記~群書類從18)
正月元日なれば朝拝の公卿参り給ひける。御門は紫宸殿に御出ありけるが、承香殿の端正の御姿、まづ御覧ぜんとて御簾を引き除け覗き給へば、姫君、日頃は泣きしほれ給ひて、いつとなく御顔面枯れてうち時雨れおはしますに、唯今は御化粧花やかに、梅の匂ひ十五に紅梅の袿に、萌黄の一重に、薄紅の唐衣に、紅の御袴召して晴やかにぞましましける。
(しぐれ~岩波・新日本古典文学大系55 室町物語集 下)
元日宴を 後法性寺入道前関白太政大臣
立そむる春のひかりとみゆるかな星をつらぬる雲の上人
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
元日節会故きに帰りて、宜楽の参音声双調に春庭楽奏し侍し時、よませ給うける 御製
時しもあれけふ立春のしらべまでふるき跡みる九重の庭
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
新年春来れば、門(かど)に松こそ立てりけれ、松は祝ひのものなれば、君が命ぞ長からん
(梁塵秘抄~日本古典文学大系)
しめかけてたてたるやとのまつにきてはるのとあくるうくひすのこゑ
(夫木抄~日文研HPより)
しつのやとにたてならへたるかとまつにしるくそみゆるちよのはつはる
(実国家歌合~日文研HPより)
寛喜元年十一月女御入内屏風、京華人家元日かきたる所 前関白
はつ春の花のみやこに松をうへて民の戸とめるちよそしらるゝ
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
延喜七年三月内の御屏風に、元日雪ふれる日 紀貫之
けふしもあれみ雪しふれは草も木も春てふなへに花そ咲ける
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
壽永三年正月一日、院の御所は大膳大夫成忠が宿所、六條西洞院なれば、御所の體しかるべからずとて、禮儀行はるべきにあらねば拜禮もなし。院の拜禮無りければ、内裏の小朝拜もおこなはれず。平家は讃岐國八島の磯におくり迎へて、年のはじめなれども元旦元三の儀式事宜からず、主上わたらせ給へども、節會も行はれず、四方拜もなし。はらか魚も奏せず。吉野のくずも參らず。
(平家物語~バージニア大学HPより)
元暦元年正月一日、院は去年の十二月十日、五条内裏(ごでうだいり)より、六条西の洞院(とうゐん)の業忠が家に御座(おはしまし)有けれ共、彼家板葺の門、三間の寝殿、階隠なかりければ、礼儀行はれ難して、拝礼も被止けり、又朝拝もなし。節会計ぞ被行ける。院の拝礼なければ、殿下の拝礼も不被行。
平家は讃岐国屋島の礒に春を迎て、年の始成けれ共、元日元三の儀式事宜からず、主上御座(おはしまし)けれ共四方拝もなし、朝拝もなし小朝拝もなし、節会も不被行、氷の様も参らず、■ (はらか)も不奏。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)
元日。なほ同じ泊なり。
白散を、ある者、夜の間とて、船屋形にさしはさめりければ、風に吹きならさせて、海に入れて、え飲まずなりぬ。芋茎、荒布も、歯固めもなし。かうやうの物なき国なり。求めしもおかず。ただ、押鮎の口をのみぞ吸ふ。この吸ふ人々の口を、押鮎、もし思ふやうあらむや。「今日はみやこのみぞ思ひやらるる」「小家の門のしりくべ縄の鯔の頭、柊ら、いかにぞ」とぞいひあへなる。
(土佐日記~新編日本古典文学全集)