漢詩表現が元になっていると思われる「月を吐く」という用語があります。「月が出てくる・あらわれる」という意味なのですが、日本国語大辞典・第二版には項目として立項していません。
夕されは嵐をふくみ月を吐秋の高嶺の松寒して
(巻第四百三・心敬僧都十躰和歌、旅力体)
塙保己一編『続群書類従・第十五輯上(訂正三版)』続群書類従完成会、1979年、47ページ
小文吾は訝りながら、刃を小脇に引著(ひきつけ)て、「然(さ)いふは誰(た)そ。」と、透(すか)し見る。天(そら)にもこゝろ鮮明(ありあけ)の、月(つき)を吐(は)く雲、はや邁過(ゆきすぎ)て、隈なき光にふたゝび見れば、見忘れもせぬ旦開野(あさけの)なり。(第六輯、巻之三、第五十六回)
滝沢馬琴、小池藤五郎校訂『南総里見八犬伝 3』岩波書店(岩波文庫)、1937年、259ページ
雲(くも)忽地(たちまち)に月(つき)を吐(はき)て、光(ひかり)隈(くま)なくなりしかば、
滝沢馬琴、小池藤五郎校訂『南総里見八犬伝 5』岩波書店(岩波文庫)、1939年、44ページ
白刃一閃 思いを晴らすの時
雨止み風収まりて 雲月を吐く
凄壯照らし出だす 兄弟の姿
(松口月城「曾我兄弟」)
宗助も二尺余りの細い松を買って、門の柱に釘付(くぎづけ)にした。それから大きな赤い橙(だいだい)を御供(おそなえ)の上に載(の)せて、床の間に据(す)えた。床にはいかがわしい墨画(すみえ)の梅が、蛤(はまぐり)の格好(かっこう)をした月を吐(は)いてかかっていた。宗助にはこの変な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかった。
(夏目漱石「門」、十五)~青空文庫より