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古典の季節表現 夏 六月中旬

2015年06月17日 | 日本古典文学-夏

我が宿の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
 右一首六月十五日見芽子早花作之
(万葉集~バージニア大学HPより)

かかるほどに、六月のころほひにもなりぬ。大将殿は、池広く深く、色々の植木岸に添ひて生ひたり。水の上に枝さし入りなどしたる中島に、片端は水にのぞき、片端は島にかけて、いかめしき釣殿造られて、をかしき舟ども下ろし、浮橋渡し、暑き日盛りには人々涼みなどしたまふに、十二日、暇の日にて参りたまはぬを、「釣殿にて今日涼ませたてまつらむ。興あらむ果物など賜へよ」など聞こえ置きたまひて、釣殿に出でたまひぬ。
 君だちさながらさぶらひたまふに、おとど、御扇にかく書きつけて、式部卿の宮の御方に奉れたまふ。
  枝繁み露だに漏らぬ木隠れに人まつ風の早く吹くかな
とて、侍従の君して奉れたまふ。親王見たまひて、かく書きつけて、右の大殿に奉れたまふ。
  「木隠れに寒く吹くらむ風よりも内なる枝の陰ぞ涼しき
釣殿よりかくなむ」とて奉れたまへり。右のおとど見たまひて、中務の宮に奉れたまふ。
  風渡る枝にぞたれも涼みぬるもとの陰をも頼むものから
親王見たまひて、かく書きつけ、民部卿殿に奉れたまふ。
  木隠れは陰にまとゐるもも松の根より生ひたる末にあらずや
(略)七ところながら釣殿にまうでたまひぬ。
「女たちも出で立ちたまへ」と、聞こえたまへば、御車どもして、舟あみ据ゑて渡りたまひぬ。うなゐ、下仕へらは、さし続き浮橋より渡る。母屋に御簾かけ、御几帳立て渡して、君だちおはします。簣子に上達部、親王たちおはしまして、女君たち御琴どもかき合はせ、男君たち笛ども吹き合はせ、琵琶、御琴、馨打たせ、呂の声に合はせて遊ばし、御前の池に網下ろし、鵜下ろして、鯉、鮒取らせ、よき菱、大きなる水蕗取り出でさせ、いかめしき山桃、姫桃など、中島より取り出でて、をかしき胡瓶ども、水に拾ひ立てなどして、涼み遊びたまひて、あるじのおとど、「今日ここに、この好き者ども一人もなき、さうざうしや。仲澄は藤侍従呼びにやれかし。深き契りある人は、由ある折を過さぬぞよき」などのたまへば、おどろきてのたまひ遣はしたれば、三ところながら遊び人と出で来て、舟に乗りて釣殿へまうづ。
 あるじのおとど、白き綾の御衣脱ぎて、侍従に賜ふとて、
  深き池の底に生ひつる菱摘むと今日来る人の衣にぞする
侍従、
  底深く生ひけるものをあやしくも上なる水のあやと見るかななどて、同じやうなる御衣脱ぎて賜ふ。君だちの御前なれば、人々心づかひして、ものの音などかき鳴らしつつ明くるほどに、鳰鳥のほのかに鳴く、藤侍従聞きて、箏の琴にかくかき鳴らす。
  われのみと思ひしものを鳰鳥のひとり浮かびて音をも鳴くかな
とあるかなきかにかき鳴らす。あて宮、琴の御琴に、
  嶋鳥の常に浮かべる心には音をだに高く鳴かずもあらなむ
などのたまふほどに、うちより、「藤侍従、ただ今参りたまへ。宣旨なり」といふ。仲忠、「あたわりなしや。折しもこそあれ、わりなき召しかな」といひて、仲忠「ただ今参りてなむ」とて、参りたまひぬ。
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)

かくて、十九日になりて、御車十二、糸毛は、宮たち、孫王、いぬ宮抱きたてまつりて大輔の乳母。次々に、大人、うなゐ、下仕へ。男宮たち、右のおとど、右大将一つに。尚侍のおとど、女御車六つして出で立ちたまふ。左のおとども引きてまうてたまひつれば、これかれ出でたまふ。(略)
かかるほどに、魚いと多く、川のほとりに、厳めしき木の陰、花、紅葉などさし離れて、玉虫多く住む榎二木あり。さる木の陰に、時蔭、松方、近正ら、今冠得て、ものの次官、時の官人にてある、参りて、幄打ちて居たり。魚、苞苴、人の奉りたらむ、多くあり。おとどの、かかる折の料とて、鮎かがりいとをかしげに作り置かせたまへり。それ取り出でさせたまひて、苞苴添へつつ、梨壼、宮の御方、中の君に奉らせたまふ。内裏には、ただ御消息して奉らせたまふ。
(略)
かうて、御前ごとに物参る。御折敷どもして、わざと清らなり。鮎さまざまに料ぜさせて、いと多く、御達の前に衝重しつつあり。大将、宮の御もとにまうでたまひて、「物は聞こしめしつや。何をか参るべき」と聞こえたまへば、典侍、「物も聞こしめさず。削り氷をなむ召す」。大将、「あな恐ろしや。いみじく忌むものを」。宮、「かかればこそいやまさりつれ。氷食はでは、いかでかあらむ。先に、物忌むといひつつ、食はまほしき物をも食はせず」とのたまへば、「あな心憂や。食ひ物むつかりを。薬師侍り。いひて聞こえむ」とて出でたまふ。
 典薬頭に問ひたまへば、聞こゆ。「召さぬにや。過ごしたまひぬる時は、熱く冷やかなる物を過ぎて、御胸病ませたまふ。まだしき時は、いとあつしき物なり」と申せば、大将、「かくなむ」と聞こえたまへば、「あなわびしや。いと暑し」とのたまへば、「団扇も参らせむ」とのたまひて、頭の所は、川のほとり、おとどより西に寄りて屋あるをしたり、そこに氷召せば、小さく割りて蓮の葉に包みて、様器に据ゑて、近江守持て参りたり。(略)
夜に入りぬれは、灯籠懸けつつ、大殿油参り渡したり。亥の時に、「御祓へ、時なりぬ」と申す。おとどの壇の上より水出たして、石畳のもとまで水せき入れて、滝落として、大堰川のごと行く。簀子に御簾懸け、御床立てて、御屏風ども立てたり。そこに宮三ところ出でたまふ。尚侍のおとどは、床も立てで出でたまふ。高欄に押しかかりて、御階の前に、おとど、宮たち四人。殿々の御達、こなたかなたに居たり。陰陽頭、御祓へ物して仕うまつる。馬ども木綿つけて引きたり。御衣脱きたまふ。一、二の宮、唐綾の掻練一襲、姫宮御小袿、尚侍のおとど、白きソウの一重襲。男宮たち脱ぎたまふ。
 宮たち、御祓へ仕まつり果つれば、夜更けぬ。御遊びしたまふ。一の宮和琴、二の宮箏の御琴、尚侍の殿琵琶。宮たちおはすれば、御几帳の後ろにおはす。一の宮、「いと悪し。なほここにを」と聞こえたまひて、御几帳の中に押しやりて、「いとよう侍る」とて、御床に押しかかりて、琵琶弾きたまふ。したまはぬ、はた設けたまふ。大将、「ここもとは遠からず」と、男たちの御遊ばすにも聞こえたまへば、やがて並びたまふやうなり。
 かかるほどに、十九日の月、山の端よりわづかに見ゆ。尚侍のおとど、扇に書きて、一の宮に奉れば、
  木綿懸けて禊をしつつもろともに有明けの月のいく夜待たまし
(略)
かくて、夜一夜遊びたまふ。夜明けぬれば、御簾の内に入りたまひぬ。
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)

御八講は、水無月十日あまりのほどなりけるに、御堂の荘厳(しゃうごん)果てる日に、光りのいやまさり、池の蓮(はちす)の折知り顔に咲き出でたるも、いと涼し。女御・女院も渡らせ給ひけるに、左大将の、香の薄物の二藍の直衣、同じ指貫、濃き蘇芳の御袴奉りて、右大将と共に従ひ給へり。蔵人頭の、青鈍の指貫に白き単衣にて、主人(あるじ)方にてふるまひ給へるぞ、人々は心ゆかず思へり。(略)
 講の終はりけるほどに、上達部・その他、御池に舟をさして、物の音を吹き鳴らし給へば、折から、月は隈なく差し出でて、蓮の花に匂ひわたれば、仏の御国の心地ぞせられ給へる。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

小白川といふ所は、小一條の大將の御家ぞかし。それにて上達部、結縁の八講し給ふに、いみじくめでたき事にて、世の中の人の集り行きて聽く。遲からん車はよるべきやうもなしといへば、露と共に急ぎ起きて、實にぞひまなかりける。轅の上に又さし重ねて、三つばかりまでは、少し物も聞ゆべし。六月十日餘にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、少し涼しき心地する。左右の大臣たちをおき奉りては、おはせぬ上達部なし。二藍の直衣指貫、淺黄の帷子をぞすかし給へる。少しおとなび給へるは、 青にびのさしぬき、白き袴もすずしげなり。安親の宰相なども若やぎだちて、すべてたふときことの限にもあらず、をかしき物見なり。廂の御簾高くまき上げて、長押のうへに上達部奧に向ひて、ながながと居給へり。そのしもには殿上人、わかき公達、かりさうぞく直衣なども、いとをかしくて、居もさだまらず、ここかしこに立ちさまよひ、あそびたるもいとをかし。實方の兵衞佐、長明の侍從など、家の子にて、今すこしいでいりなれたり。まだ童なる公達など、いとをかしうておはす。少し日たけたるほどに、三位中將とは關白殿をぞ聞えし、香の羅、二藍の直衣、おなじ指貫、濃き蘇枋の御袴に、張りたる白き單衣のいとあざやかなるを著給ひて、歩み入り給へる、さばかりかろび涼しげなる中に、あつかはしげなるべけれど、いみじうめでたしとぞ見え給ふ。細塗骨など、骨はかはれど、ただ赤き紙を同じなみにうちつかひ持ち給へるは、瞿麥のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。
(枕草子~バージニア大学HPより)

待賢門院かくれさせ給て後六月十日比、法金剛院にまいりたるに庭も梢もしけりあひてかすかに人影もせさりけれは、これに住そめさせ給し事なとたゝ今の心ちして哀つきせぬに、日くらしの声たえす聞えけれは 堀川
君こふるなけきのしけき山里はたゝ日くらしそともに鳴ける
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

去程に越後國の住人、城太郎助長、越後守に任ず。朝恩の忝さに、木曽追討の爲に、都合三萬餘騎同六月十五日門出して、明る十六日の卯刻にすでに討立んとしけるに、夜半許、俄に大風吹き、大雨降り、雷おびたゞしう鳴て、天晴て後雲井に大なる聲のしはがれたるを以て、「南閻浮提金銅十六丈の盧遮那佛燒亡し奉る平家の方人する者爰に有り、召取や。」と、三聲叫んでぞ通ける。城太郎を始として、是をきく者、皆身の毛よだちけり。郎等共、「是程怖しい天の告の候ふに、唯理を枉て留せ給へ。」 と申けれども、「弓矢取る者の、其によるべき樣なし。」とて、明る十六日卯刻に城 を出て僅に十餘町ぞ行たりける。黒雲一村立來て、助長が上に掩ふとこそ見えけれ、俄に身すくみ心ほれて、落馬してけり。輿に舁乘せ館へ歸り、打臥す事三時許して、遂に死にけり。飛脚を以て、此由都へ申たりければ、平家の人々、大に噪がれけり。
(平家物語~バージニア大学HPより)

六月十四日、旋風夥吹て、人屋多く顛倒す。風は中御門、京極の辺より起て、坤の方へ吹以て行。平門棟門などを吹払て、四五町十町持ち行て抛などしける。上は桁梁垂木こまひなどは、虚空に散在して、此彼に落けるに、人馬六畜多く被打殺けり。屋舎の破損はいかゞせん、命を失ふ人是多し。其外資財雑具、七珍万宝の散失すること数を知ず、これ徒事に非とて御占あり。百日の中の大葬白衣の怪異、又天子の御慎、殊に重禄大臣の慎、別しては天下大に乱逆し、仏法王法共に傾、兵革打続、飢饉疫癘の兆也と、神祇官、並陰陽寮共に占申けり。係ければ、去にては我国今はかうにこそと上下歎あへり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

(建仁二年六月)十一日。夜より雨。巳の時に休む。天漸く晴る。巳の時、早く参ず。未の時許りに、出でおはします。例の如くに、向殿におはしまし了りて、退出す。長房朝臣を以て、明日御狩りの間、各々留守慥(たしか)に候すべきの由、仰せらる。
 旅亭の晩月明かし 単寝(ひとりね)の夏風清し 遠水茫々たる処 望郷の夢未だならず
 おもかげはわが身はなれずたちそひて宮この月に今やねぬらむ
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(元久元年六月)十二日。早旦に参内す。忌火幷に日の御膳を供し了んぬ。辰の時に退出す。番に依るなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年六月)十八日。天晴る。夕、西北の方雷電。暑熱燃ゆるが如し。(略)
十九日。天晴る。未の時許りに雷電鳴る。一声猛烈。雨降らず。申の時に止む。(略)希代厳重の儀、見物の志有り。先づ冷泉に行かんと欲す。暑気、火の飛ぶが如し。心神忽ち違例、起ち揚る能はず。申の時許りに家中の青女左衛門佐、俄に振ひ出す。口を閉ぢて言はず。又大いに咲(わら)ふ。又啼くが如く、吠ゆるが如し。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜元年六月)十九日。天晴る。未斜、大雨灑ぐ。今年草樹の花実皆遅し。黄梅猶纔に残る。昨今初めて蝉の声を聞く。但し萩・女郎の中に纔に花を開く有り。是れ只自然の事か。夕、女房等室町に行く。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十五日 己亥。晴。 勝長寿院ノ一切経会、舞楽ヲ結構ス。
(吾妻鏡【正治二年六月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

十三日 辛卯 雨降ル、巳ノ剋ニ、晴ニ属ス、今日最明寺ニ於テ、競馬有リ。
(吾妻鏡【正嘉二年六月十三日】条~国文学研究資料館HPより)


3 コメント

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Unknown (mono)
2016-06-10 21:45:06
吾妻鏡を追加しました。
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Unknown (mono)
2017-06-17 20:36:04
明月記を追加しました。
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Unknown (mono)
2018-06-13 08:15:33
万葉集、松陰中納言、平家物語、源平盛衰記などを追加しました。
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