早苗を 右兵衛督基氏
今は又さ月きぬらしいその神ふるのあら田にさなへとる也
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
みたやもりけふを待ちける程みえて五月といへはさなへとるなり
(建長八年九月十三日・百首歌合~日文研HPより)
さなへをよめる そねのよしたゝ
みたやもりけふはさ月に成にけりいそけや早苗おひもこそすれ
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
千五百番歌合に 野宮左大臣
足引の山した水をひきかけしすそわの田ゐに早苗とる也
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
後鳥羽院に奉りける五十首歌中に 嘉陽門院越前
暮ぬとてちまちのさなへとりとりにいそくもしるき田子のもろこゑ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
百首歌奉りし時、おなし心(早苗)を 少将内侍
今日いくかぬれそふ袖をほしやらており立田子のさなへとるらん
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
元亨三年七月亀山殿にて人々題をさくりて七百首歌つかうまつりし時、早苗多といふ事を 前大納言為世
けふも又とるてあまたにいそけとも山田のさなへ猶そ尽せぬ
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)