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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 秋 七月中旬

2015年07月17日 | 日本古典文学-秋

 七月五日、北山殿に行啓なる。御幸もなりしかば、はえばえしき御遊どもなり。晝は山瀧など所々御覽ぜられて、暮るれば御(み)舟に召す。夕月夜より有明になるまで、かゝる夜もなし。
九日、月さし出づる程に、例の御舟に召す。(略)御樂(ぎょがく)あり。殿上人ども、小さき舟に乘りて、中島を隔てて吹き合せたる物の音、たとへむ方なくおもしろし。遙に漕ぎ出でぬるに、かすかに鞨鼓を打つ音聞ゆるを、人々あきれて、「いづくならむ。」と申すに、「大夫にやあらむ。」とて、迎の小舟に樂(がく)し朗詠などして、さし寄せたれば、火を焚きてぞ參り給ふを、いみじく興ぜさせ給ふ。
春宮の御方、十三日は御くたびれにやありけむ、御舟にも召さず、無量光院の庇にて、月御覽ぜらる。簀子には花山院(くゎざんゐん)大納言、大夫殿さぶらひ給ふ。さまざまをかしき御物語どもあり。東(ひんがし)の妻戸の口に、大納言〔家教卿〕、權大納言殿さぶらひ給ふ。やがてその東の間のすみ勾欄に、宮内、宰相殿三人さぶらふ。なにとなき物語どもして、更け行くまゝに、ことに近き西の山もと、入方(いるかた)近く傾きたる月の、池にうつろひて面白きを、「所がらは、げに見所あるよゝの月影、いかなる世にも忘れじや」などいひあはせつゝ、廿五の菩薩來迎の御繪(おんかた)見るよりはじめて頼もしく哀なる方も添ひて、名殘多げに、「ながらへば又來む年の今宵、思ひ出でなるべしや」など云ふ。心のうちに、
山かげにながむる月よめぐりあはむ都のそらにおもがはりすな
更けぬれば入らせ給ひぬ。
十六日も、この御方は、御舟もなし。朝餉の御簾卷きあげて、月御覽ぜらる。御縁(ごえん)に人々さぶらひ給ふ。伯(はくの)新少將、衞門藏人、召し出でてまゐらせらる。花山院大納言笛、大夫殿太鼓、さらぬ殿上人ども、律(りち)には月の光もことなるに、拔頭(ばとう)の舞ひ出でたる程は、誠に面白し。名殘多くて果てぬ。宮内のお許に、親の親ともいひぬべき人の許より、
月の便(たより)にと頼め侍るに、人々供(ぐ)して前渡して見え侍るを、恨みて、
いつはりと思ひながらも待ちかねつ寢ぬ夜の月の影あくるまで
といひおこせたる返事を、餘りひたやごもりならむもさすがなれば、忍びて返すがへすもつかはし侍るが、さるべき使もなきを、如何(いかゞ)し侍るべきと、いひ合はするかひなからむも、と思ひて、あらぬさまなる姿をして、夜も半に過ぎて、曉近くなる程に、行きて、御まやを局にしつらひたる蔀を忍びやかにうち叩けど、皆人寢たる氣色にて答ふる人もなければ、あまり事々しからむも如何なり、と思ひ煩ひて休らふ程に、東の妻戸の方に、たたく水鷄の外(と)うちながむる聲すれば、それにやあらむ、と理も過ぎて、やさしくも、おもしろくも覺えて、聲につきて遣戸に立ち添ひて、月を眺むるなりけり、と聞くに、まことに月を待つにはあらで、人待つほどのすさみにや、と思ひやられて、うち叩けば、「誰(た)ぞ」ともいひあへぬ許に開けたれば、なにとはいはず、文をさし置くに、袖をひかへて放たず。怖しくあきれたる心地して、あさましけれど、騷がぬ樣にもてなして、さりげなく、やをらすべり逃ぐるに、隈なき月に見ゆらむ後手〔後影〕も恥しく、我ながら、心淺かりける擧動(ふるまひ)もそらおそろしく案ぜられて、悔しく覺えて、心の中に、
水鷄かとうたがはれつる眞木の戸を開くるまでとは何叩きけむ
人にはいはぬ事なれば、萬はあいなき心一つなり。
十八日、野上の御幸(ごかう)、行啓なる、筵道に、殿上人ども圓座(わらふだ)をあまたして敷きたるを、又、拾ひ劣らじと走りなどするもをかし。野上の景色、まことにおもしろし。筧の水の氣色、はかなき木草までも見所あり。ひろき野に、われもかう〔秋草〕を、交るものなく植ゑわたしたるに、わかき女房たち、山際まで分け入りて見れど、道なくて歸りぬ。暮るゝまで御遊ありて、入らせ給ひぬれば、例の御舟も果てぬ。
十九日は、妙音堂の御幸なり。おもしろくめでたし。
二十日、夜は殊に引きつくろひたる御舟樂(おんふながく)あり。春宮御琵琶、花山院大納言笛、琴は連中(れんちう)なり。徳大寺大納言〔公松〕朗詠、大夫殿は、二位入道が御ものやどりの刀自といふものと、乘りたる舟にて、入江の松の下にかくろへて、琵琶を調べておとづれ給ふ。いづくならむ、いだしたれば、御舟さし寄せてまゐり給ふ。「傾城(けいせい)の舟に乘りたがり侍りつる程に。」など申し給ふ、いとをかし。廿日月は、すこし心もとなく待たるゝ程、御堂の御あかしの光、かすかに水に映(うつろ)ひたるほど、おもしろく見ゆ。月さし出でぬれば、まばゆき程なるに、漕ぎまはす舟の■(楫+戈)の音に、立ち騷ぐ水鳥の景色、中島の松の梢、物ごとにおもしろきこと限なきにも、又かゝる事、いかなる世にか、と名殘かなしうこそ。遊び果てぬれば、また田向(たむき)の月御覽ぜらるゝに、春宮の御方は、道とほくこと離れたるやうなれば、ならず、野上へぞ入らせ給ふ。田向の方、ことに草深く分け入りたるに、名におふも、げに覺えて、はては何處(いづく)と見えぬまで、はるばると廣きに、稻葉におき渡す露の光は、玉を並べたらむやうなり。とりどりさまざまなる所々の景色、いひ盡すべうもあらず。還御なりて、入らせ給ひぬれば、女房たちは、なほ大御堂の廣庇に出で、横雲のひま見えゆくに、洲崎に立てる松の木立、釣殿近き松に、舟浮きたりし中島に、羽うちかはしたる鳥どもの群れ居たるまでも、よろづに見捨てがたけれど、心々にさしきの野上分け行くに、あるかなきかの月の名殘なほ慕ひけむ、さしきは、西の山もとゆかしくて行きぬ。松山に分けて生ひたる眞木の梢、露けき山田の庵(いほ)までも、はかなく稻葉の風に亂れたるほど、山の端ちかく雲に消え行く有明の影取り集めたる朝ぼらけ、もの悲しくて、心細くながめつるさへ入りぬれば、
よこぐもの空に消えゆく有明をこころぼそくもながめつるかな
しののめの明けゆく空の秋風になびくいな葉もつゆぞこぼるる
かやうにつゞかぬ事のみぞ、心の中に多き。また野上より還御なりて、曙に御舟召されて、明け果てぬれば、入らせ給ひて、やがてそのまゝながら御會(ぎょくゎい)あり。數ならぬ末々までも、心々にうち寢る時もなくぞ遊びあひぬる。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

 御堂供養、治安二年七月十四日と定めさせたまへれば、よろづを静心なく夜を昼に思し営ませたまふ。(略)
かくて日うららかにさし出づるほどに、御方々の女房たちの御簾際ども見渡せば、御簾の有様よりはじめ、廻まで世の常ならずめづらかなるまで見ゆるに、朽葉、女郎花、桔梗、萩などの織物、いとゆふなどの末濃の御几帳、村濃の紐どもして、さまざま心ばへある絵を泥してかかせたまへり。えもいはずめでたき袖口ども、衣の褄などのうち出だし渡したる、見るに目耀きて何とも見分きがたく、そがなかにも、紅、撫子などの引倍木どもの耀きわたれるに、桔梗、女郎花、萩、朽葉、草の香などの織物、薄物に、あるはいとゆふ結び、唐衣、裳などの言ひつくすべくもあらぬに、紅の三重の袴どもみな綾なり。枇杷殿の宮の御方には、またこの色々の織物、薄物どもを同じ数にて、袴の上に重ねさせたまへり。またこれぞなかりつることと、いみじくめづらかなり。この御方々に聞えさせ合せたまへるにもあらず、みな心ごころにせさせたまへるに、同じ色一つならぬほど、いみじうをかしく見えたり。これにまた殿の上の御方劣りげなし。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

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(秋七月)○丙申。遣使山城貴布禰神社。大和国室生山上龍穴等處。祈雨也。
(日本紀略、嵯峨天皇、弘仁九年~国史大系5巻)

承和十一年七月癸巳(十二日)
百人の僧を八省院に喚んで『大般若経』を転読して、祈雨(あまごい)をした。本日、雨が降った。
(続日本後紀~講談社学術文庫)

貞観八年七月十四日丙辰、幣を賀茂御祖、別雷、松尾、丹生川上、稲荷、水主、貴布禰の神に班(わか)ちき。前日の祷(いのり)に賽(さい)し、兼ねて嘉澍を祈りしなり。告文に云ひけらく、「天皇が詔旨と掛けまくも畏き松尾大神の廣前に、恐み恐みも申し給はくと申さく。不慮之外(おもひのほか)に天の下に旱(ひでり)の災(わざはひ)有りて、農稼(たなつもの)枯れ損ひぬ。茲(これ)に因(よ)りて掛けまくも畏き大神を憑(たの)み奉(まつ)りて、大幣帛(おほみてぐら)奉出(たてまだ)し給はむと祈り申しき。而(しか)るに祈り申しゝも験(しる)く、甘雨(あめ)零(ふ)らしめ賜へり。因りて歓びながら散位従五位下大中臣朝臣国雄を差使(つかは)して、大幣帛を捧げ持たしめて奉出(たてまだ)し賜ふ。此の状(さま)を平(たひら)けく聞(きこ)し食(め)して、今も今も風雨調(とゝの)へ和(なご)め給ひ、五穀(いつくさのたなつもの)豊に登(みの)らしめ賜ひ、天の下饒(にぎは)ひ足(た)らしめ賜ひ、天皇が朝廷を寶祚(あまつひつぎ)動くこと無く、常磐堅磐(ときはかきは)に、夜守日守に、護り幸(さきは)へ奉り給へと申し給はくと申す」と。自餘(ほか)の社(やしろ)の告文、並びに同じかりき。
(訓読日本三代実録~臨川書店)

(寛弘元年七月)一六日、戊戌。
天が晴れた。大外記(滋野)善言(よしとき)朝臣を召した。明日、議定する事が有るので、諸卿にその事を申すよう命じた。夜に入って、内裏に参った。候宿した。(藤原)説孝(ときたか)朝臣に命じて、竜穴社の御読経をまた奉仕させた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(正治元年七月)十五日。陰る。辰後に雨下る。始めて秋の景気あり。大臣殿に参じ、終日あり。夜に入りて退下す。明日、仗議延引と云々。関東女子の穢気不審の間、公卿勅使、延引す。九月に発遣さるべし。仍て、此の仗議又忩がるべからざるに依り、延ばさると云々。一昨日の条事定め、左衛門督・中宮権大夫・左大弁・冷泉中納言(隆房)参内す。祈雨奉幣幷に除目等の事を行ふ。件の除目、土佐守宗行・和泉守宣房・石見守雅家・加賀守親時。去る十二日、信清卿を以て、御厩別当に補せらると云々。公経卿、遂に以て改めらるるか。籠居の間、猶綸言を蒙る。御馬御剣等を呈するに依り、悉く納受と云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(治承四年七月)十六日。天晴る。炎旱、旬に渉る。法勝寺如説仁王会に参ず。池の荷(はす)盛んに発(ひら)く。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(元久二年七月)十七日。暁。女房日吉に参ず(十ヶ日籠る)。未の時許りに最勝金剛院に参ず。女院、今日渡りおはします。即ち退出し、夕殿に参ず。見参の後、深更に退下す。院より題三首を給はる。北野、祈雨の歌合と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年七月)十九日。天晴る。未後に大風雨。巳の時許りに、小男参ぜしむ。今日、日吉御幸。出でおはしますの後、帰り来たる。未の時以後、風雨猛烈。木を折り、屋を発(おこ)し、沙石を揚ぐ。年来の間、見聞かざる所なり。荒屋皆破損す。更に筆端の及ぶ所にあらず。夜に入りて休止す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保二年七月)十二日。今夕。於主上御前。有種々御会遊事等。上皇同御覧之。舞女幷猿楽等応其召云々。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

(建保二年七月)十七日。上皇於賀茂上下社。有七番競馬。五番流鏑馬。仍去夜御幸。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

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その十三日の夜、月いみじくくまなくあかきに、みな人もねたる夜中許に、えんにいでゐて、あねなる人、そらをつくづくとながめて、「たゞいまゆくゑなくとびうせなばいかゞ思べき」ととふに、なまおそろしとおもへるけしきを見て、こと事にいひなしてわらひなどしてきけば、かたはらなる所に、さきをふくるまとまりて、「おぎのはおぎのは」とよばすれど、こたへざなり。よびわづらひて、ふえをいとおかしくふきすまして、すぎぬなり。
ふえのねのたゞ秋風ときこゆるになどおぎのはのそよとこたへぬ
といひたれば、げにとて、
おぎのはのこたふるまでのふきよらでたゞにすぎにるふえのねぞうき
かやうにあくるまでながめあかいて、夜あけてぞみな人ねぬる。
(更級日記~バージニア大学HPより)

承元三年七月十六日ノ夜、深雨ノ即時ニ空イマダ晴レザル間、高尾ノ住房ニシテ、両三ノ同輩トモニ曇ル空ニ月ヲシノブトイフコトヲヨミシ時
出デヌラム月ノユカリト思フニハ曇ル空ニモアクガレゾスル
秋ノ夜モイマイクバクノ月カゲヲイトウラメシクヲシム雲カナ
(略)
 人々モロトモニ雲間ヨリ出ヅル月ヲ待ツニ、小夜フケヌレドモ晴レモヤラズ。人々寝入リガタニ、軒ノ松ノ梢ノホド晴レアガリテ、月ノ光リ、草ノ庵ニサシ入ルニ、モロトモニ見ムトテ引キ起コセドモ、ナサケナキホドニ起クルコトナケレバ、イトイトウラメシクテ、寝入ル人ノ小袖ノ袂ニ書キツケ侍ベル。
千歳フル小松ナラネド引キカネツ深ク寝入レル君ガ袂ヲ
寝入リヌル君ヲバイカニ恨ムラム梢ニ出ヅル秋ノ夜ノ月
(明恵上人歌集~明治書院和歌文学大系)

  夜もやうやうふけゆけども、かへらむ空もおぼえねば、むなしき庭にひとりゐて、むかしを思ひつづくれば、をりをりの御面影たたいまのここちして、何と申しつくすべき言の葉もなく悲しくて、月を見れば、さやかにすみのぼりて見えしかば、
 くまもなき月さへつらきこよひかなくもらばいかにうれしからまし
釈迦入滅のむかしは、日月も光をうしなひ、心なき鳥獣までも、うれへたる色にしづみけるにと、げにすずろに、月にむかふながめさへ、われながら、せめての事と、思ひれしられ侍りしか。
(問はず語り~岩波文庫)

後深草院の御事おほしめし出て、七月十六日、月のあかゝりけるによませ給うける 伏見院御製
かそふれは十とせあまりの秋なれと面影ちかき月そかなしき
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

(寛喜二年七月)十五日(甲辰)。朝霧。凉風仲秋の如し。昨今萩の花盛んに開く。(略)雑人、毎年東北院に集会し、相撲を見物。咲声騒動す。近き辺り怖畏あり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜三年七月)十二日(丙申)。朝天晴る。未の時許りに雷鳴、雨降らず。(略)今日競馬・蹴鞠の興有るべき由、去月より議せらると云々。定めて又七珍万宝の儲け有るか。夜、月清明なり。
十三日(丁酉・欠日)。天晴る。未の時許りに黒雲乾より起つ(雨灑ぎ雷鳴)。去る晦、荒和祓の時刻に郭公数声の後、其の声無し。鶯舌又至る。此の晦の朔、高声に叫ぶが如し。此の四五日又其の音を罷む(猶、竹樹の中に在り)。時節に随ひ廻囀す。其の興を催すを依(たの)む、往々なり。伝へ聞く、昨日競馬。一番隆親卿、久清(儲け勝つ)。二番(略)鞠二度、還りおはします。中納言中将殿・盛兼卿・実有・為家・基氏。殿下御騎馬と云々。泉の辺り綾の橋を渡し、紺の簀子を敷く。厩に向ひて御椅子等の類を立つと云々。委しからず。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十二日 壬申。雨降ル 将軍家〈御騎馬〉最明寺ノ第ニ入御シタマヒ弓鞠競馬相撲等ノ勝負亦管絃詠歌以下ヲ覧タマヒ御遊宴等有リト〈云云〉。
(吾妻鏡【弘長元年七月十二日】条~国文学研究資料館HPより)