monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 夕立

2014年08月05日 | 日本古典文学-夏

夏歌の中に 前参議家親
をちの空に雲立のほりけふしこそ夕立すへきけしき也けれ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 曽祢好忠
川上に夕立すらしみくつせくやなせのさなみたちさはく也
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)

ゆふたちにいささをかはのまさりつつふかくもなつのみえわたるかな
(久安百首~日文研HPより)

百首歌奉りし時、夏歌 前大納言経顕
外山には夕立すらし立のほる雲よりあまる稲妻の影
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

弘長百首歌奉ける時、夕立 従二位行家
なる神の音にもしるし巻向の檜原の山のゆふたちの空
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

百首歌奉し時 中務卿親王
松風もはけしく成ぬ高砂のおのへの雲の夕立の空
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

夕立
尾上より一むら見えてわく雲の千里にくたる夕立の雨
(草根集~日文研HPより)

そらはなほくもりかねたるなつのひにやまをはなれぬゆふたちのくも
(新葉集~日文研HPより)

宝治百首歌めしけるついてに、夕立 後嵯峨院御製
かきくらす空ともみえす夕立の過行雲に入日さしつゝ
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

院に三十首歌めされし時、夏木を 前太宰大弐俊兼
虹のたつふもとの杉は雲に消て峰より晴る夕立の雨
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

夕立過山
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
(草根集~日文研HPより)

ゆふたちのすきぬるくもはあときえてしつくをのこすみやまきのかけ
(御室五十首~日文研HPより)

はるかなるなかめもすすしなにはかたいこまのみねのゆふたちのそら
(夫木抄~日文研HPより)

題不知
よられつる野もせのくさの影ろひて涼しくくもる夕立の空
(西行法師家集~日文研HPより)

題しらす 徽安門院
行なやみてる日くるしき山道にぬるともよしや夕たちの雨
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

行路夕立 右兵衛督基氏
とまるへきかけしなけれははるはるとぬれてをゆかん夕立の雨
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

二条関白家にて雨後野草といへる事をよめる 源俊頼朝臣
この里も夕立しけりあさちふに露のすからぬ草のはもなし
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

百首歌奉し時 式乾門院御匣
白雨の名残の露そをきまさるむすふはかりの庭の夏草
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

ゆふたちのはれゆくそらにゆふひさしはすのうきはにたまそみたるる
(正治初度百首~日文研HPより)

夏歌の中に 宣光門院新右衛門督
夕立の雲吹をくる追風に木すゑの露そ又雨とふる
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

夕立して、名残涼しき宵のまぎれに、温明殿のわたりをたたずみありきたまへば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾きゐたり。
(源氏物語・紅葉賀~バージニア大学HPより)

文保三年、後宇多院に百首歌奉ける時、夏歌 後西園寺入道前太政大臣
月うつるまさこのうへの庭たつみ跡まてすゝし夕たちの雨
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)


定家の明月記

2014年08月05日 | 日本古典文学

朝日新聞デジタルに以下の記事がありました。

“切り張り”のおかげ?で貴重記録残った 定家の明月記
2014年7月28日17時32分

 平安から鎌倉時代に活躍した歌人、藤原定家(1162~1241)の日記「明月記(めいげつき)」に記された天文学的に貴重な情報の部分は、自身の記述ではなく、陰陽師(おんみょうじ=天文博士)に調べさせた報告文をそのまま張った可能性が高いと天文学者が指摘している。陰陽師の元の資料は見つかっておらず、定家の「切り張り」のおかげで記録の紛失が免れたようだ。
 明月記には、寿命が尽きた星が最後に起こす大爆発「超新星」について、定家の生まれる前に現れた3個が記されている。現れた日付と正確な位置がわかるため、超新星の仕組みなどを知る天文学上の貴重な手がかりになっている。
 小山勝二・京都大名誉教授(X線天文学)は、超新星の情報がある1230年11月の部分を詳しく調べた。そのころに彗星(すいせい)が現れ、台風や凶作や政情不安などとの関連を気にした定家は、陰陽師の安倍泰俊に過去の事例を問い合わせたとあった。その次の段落には定家とは違う豪快な筆跡で泰俊からの返書と思われる文章があり、さらに別な筆跡の細かい字で超新星に関する記録が続く。写本ではわからないが、原本(冷泉家時雨亭文庫)を見ると紙を張り付けたような跡があった。泰俊が弟子に調べさせた報告書を返事の手紙に同封し、定家がそのまま明月記に張り付けたとみている。
 泰俊は安倍晴明の子孫で代々天文博士を務めてきた。毎日定時に天文観測し、超新星や彗星などの異変があれば、その解釈とともに天皇に密書で報告する。明月記に張られたと見られる報告書は、安倍家に保存されていた資料からつくったと考えられるが、原文は見つかっていないという。小山さんは「定家のコピペのおかげで科学的に貴重で正確な記録が残った」と話している。