凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

長安を目前に

2006-06-02 06:10:07 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読むⅢー116 長安を目前に


桓温は、みずから軍を率いて秦討伐に乗りだした。藍田(らんでん)の戦いで秦軍に大打撃を与え、転戦して“は水”のほとりに軍を進めた。これに対して秦王符健は、長安の内城に立てこもって守勢を固める一方である。


長安を囲む三郡は、みな桓温に降伏した。桓温は住民を慰撫し、その安全を保障したので、住民はわれもわれもと酒食を持参して桓温の軍を歓迎し、沿道に立ち並んで見物する。感激の余り、「息のあるうちにこうしてまた官軍を迎えることが出来ようとは、夢にも思わなかった」と言って泣き出す老人もいたほどである。


さて、北海郡の出身に、王猛(おうもう)、字を景略(けいりゃく)という独歩自尊の気概に富み、大望に燃えた男がいた。その日まで華陰(かいん)に隠棲していたが、桓温の軍が関中に入ったと聞いて、ボロを身にまとい、桓温に面会を申し入れた。会ってみるとシラミをつぶしながら当今の急務を談じて、人を人とも思わぬ態度である。桓温は、珍しい奴だと思い、王猛にたずねた。「わしは勅命を奉じて逆賊どもを討ちはらった。だが、三秦の豪族たちは、まだ誰も馳せ参じてはくれぬ。これは、いったいどうしたわけであろう」
王猛は答えた。「将軍は数千里の遠路をものともせず、適地深く勝ち進んでこられました。ところがいま、長安を目前にしながら、あえて進もうとなさいません。民衆は将軍のお考えが奈辺にあるのかはかりかねております。これがつまりはその理由と申せます」桓温は黙ったまま、一言も答えなかった。


やがて桓温は、白鹿原で秦と戦ったが、戦況ははかばかしくなかった。そのうえ秦は、畑の作物をことごとく刈り取るという策に出たため、桓温軍は兵糧の調達に苦しんだ。桓温は引き揚げを決意するに際して、王猛を幕僚に伴おうとしたが、断られてしまった。


「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から

可もなく不可もなし

2006-06-02 06:05:44 | 中国のことわざ
中国のことわざ-230 可もなく不可もなし


野に隠れた賢者としては伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連らの人々がその名を知られている。孔子はこれらの人々をこう評した。(中略)謂廬仲、夷逸、隠居放言。身中清、廃中権。:廬仲、夷逸は隠遁しておきながら、沈黙を守らず、勝手な熱を吹いていた(放言していた?)しかし、けっして身を汚すことなく、世の捨て方も時宜を得ていた。我則異於是。無可無不可:ところで私の立場は違っている。あらかじめ隠遁の是非を決めてかかることはできない。


言動に行き過ぎたところも、不足のところもなくて、適切であること。また、特に短所もないが長所もなくごく平凡であること。


”論語では是非を決めてかかることができない”としているが現在の解釈は長所も短所もないことを意味しているようである。


出典:論語(微子篇)、中国の思想第9巻論語・徳間書店、故事ことわざ&四字熟語辞典