よしなしそこはか

心に映り行く由なし事をそこはかとなく書き作れば
高血圧、上腸間膜動脈解離との付き合い方を記します。釣り情報もね!

「生・死」の刹那を生きる

2017-05-23 12:09:32 | 健康
4月20日付で会社都合で退職を決断し、転職するか、はたまた起業するか、明確に腹が座らぬまま既に5月下旬。
昨年8月から治療を行っている「男性更年期(加齢男性性機能低下症候群)」の影響なのか、長く微熱が続いたり、睡眠不足が続いたり、どうも対象がすぐれないままここ数ヶ月を過ごしていました。

次のしごとを決める変化はなかなか訪れず、不安に包まれたまま悶々とし、加えて体調不良のため家族や友人にもいろいろと心配をかけておりました。

そんな折、中学校時代からの親友の勧めで滝野川にある真言宗のお寺「本智院」で開催された、護摩法要に参加し和尚様とお話をする機会を作ってくれました。
やるせない現況や心持ちについて吐露することができ「安心」を得ることができたと感じています。

このお寺の住職である大塚秀高先生は心理臨床仏教の研究者でもあり、大学で要職も勤めています。
以下に著書を紹介させていただきます。
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「生・死」の刹那を生きる―仏教“心理臨床”講話
阿吽社


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心に残るコトバは数多く述べられているのですが、その中で特に印象に残ったのは、、、

「不完全な科学をすべてと信じ、数値化できない心や精神、人間関係を軽んじてはいけない」 という説明です。

日々の生活がうまく行っていて、モチベーションや達成感、肯定感、他己との関係性に不安・不満がないときは忘れがちですが、こと心療内科のお世話にならなければならないような、心と体のバランスが崩れているとき、この本にあるような宗教の役割に触れる事により癒やされることに間違いありません。

「宗教」という音感がいつの間にかカルト教の狂気の沙汰から忌み嫌われるようになり、神仏の持つ本来の「中心性・関係性の拠り所」というしっかりして柔らかい部分が忘れ去られてしまったようにも感じます。(正直私自身の宗教観はどちらかと言えばネガティブでした。)
決して信仰を促すものでもないし、無理やりお布施を払わせるようなことではありません。

「現代人がいつの頃からかお寺に寄り付かなくなり、人間関係や心の取扱が軽薄になっていったのは宗教に携わる僧侶や関係者の罪だ」と和尚様はおっしゃっていましたが、これは一般人の側からも再考することはできるのではないかと思います。

自宅から一番近い寺院、神社、お不動様、お稲荷様はどこにあるか。。。

Google Mapとにらめっこして散歩がてら訪れるところから始めてみたいと思いました。

テーマは「寺院の原点回帰」でしょうか。


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