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重い制度改革(殺人等の公訴時効の廃止)

2010-05-02 22:55:42 | 指定なし

 あっという間に,公訴時効の廃止の改正が成立した。


 


 前々から取り沙汰されていたが,重要な法改正の割には,十分な議論がなされないまま成立した感が拭えない。しかも,即日施行で,実質遡及適用となると,いろいろと反対論が予想されるが,新聞にわずかな解説が載っただけで,これといった反対論は表には出てこないようだ。


 


 それだけ世論の後押しが強いということなのだろうが,本当にそれでよいのか,疑問が抜けきれない。


 


 公訴時効は,これまでにも延長されて(平成16年改正),死刑に当たる罪は25年になっている。もう十分に長いといってよい。


 


 発生から25年が経過した事件について,犯人を特定できるだけの証拠を集めることは,エポックメーキングな出来事でもない限り,簡単ではない。たしかに,この25年間で,DNA鑑定という驚異的な新技術が発明・実用化されたため,今回のような改正に後押しがあったといえるけれども,今後,そのような技術が別に発見・発明されることは容易ではないだろう。


 


 今になると,遺族の被害感情が強く主張される。報道も好んでそれを取り上げるから,なおさらその部分がクローズアップされている。25年を考えてみれば,昭和20年と昭和45年では,時代は大きく変わっていた。しかし,昭和45年と平成7年では,それほど極端な差はない。この間に,世の中の動きは緩徐になり,その一方で,少子化,核家族化,人のつながりの希薄化が進んだ。このように,動きが少なく,人の活動範囲が狭まる中で,恨みの感情が適切に昇華されないまま,行き場を失っているようにも思える。


 


 他方,警察や検察は,このような永続する捜査に対応できる体制ができているのか?。警察,検察ともに,マンパワーには限りがある。彼らでも,特に治安の維持という大きな目的が課されているだけに,限られた力をどこに使うかは,大きな問題といわなければならない。どこの世界でも同じことだが,優秀な捜査官の数には限りがある。いくら,遺族の被害感情が激烈であるからといっても,目の前にある他の事件を措いて,古い事件に関わりを続けるわけにも行かないだろう。


 


 時効にかかった事件の刑事が,遺族に謝罪したというエピソードが紹介されているが,刑事個人の気持ちとしては分からなくもないけれども,刑事司法全体から見た時に,それが正しいかどうかは,簡単には判断することができない。


 


 近時は,全体の犯罪発生数が減少しているが,その中で,特異な事件の発生が目立っている。また,犯罪が巧妙化,潜在化しているともいわれる。暴力団の取り締まりの強化は,暴力団の犯罪を目立たなくしているが,これがなくなったわけではない。むしろメジャーな暴力団の支配が強化されているという話もある。


 


 過去の殺人事件1件の解決よりも,このような犯罪の抑止と捜査が必要なことは言うを待たない。


 


 裁判員裁判では,殺人の刑が重く量刑される傾向にあるのに対し,覚せい剤等の薬物事犯は,比較的軽く量刑されたともいわれている。しかし,薬物事犯,特に密輸とか営利目的の大量所持等の影響は広大で,その影響は計り知れないものがある。決してこのような人の命に直接関わらなかった罪を軽視してはならない。


 


 かくの如く,刑事司法の体制は難しい。世の中全体を広く見渡して,バランスのとれた刑事司法が実現することを期待したい。


 



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