前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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西川一誠・福井県知事「ふるさとの発想」

2009年07月31日 | Weblog
  西川一誠・福井県知事が岩波新書「ふるさとの発想」を上梓したので、さっそく読んだ。


○「はじめに」で、2007年知事選挙の選挙カーからみた様子が語られている。
なぜ選挙カーなのか。
「あとがき」は、「知事になって、ふるさとの風景が変わっていった」ではじまり、「それまで、何の気なしに通り過ぎていった景色や人々の暮らし。変わったのはふるさとの風景よりも、私自身のふるさとへの思いの強さだったのだろう。」と書いている。
  長い官僚時代でなく、副知事の時代でもなく、知事となって、政治家となっての認識の発展をみる。それは、1票をもつ有権者をまるごとつかみたい、との政治家の嗅覚ともいえるが、「ふるさと」という言葉に昇華されている。


○さて、小泉構造改革にたいして、「切り捨てられる地方」と批判しているくだりは面白い。アメリカからの圧力による公共投資基本計画に踊らされた地方の内実が率直に描かれている。
しかし、「公共事業を非難する理屈は多くあるが、公共事業にどのような制度的な制約があるかについては理解が及んでいないように思う。そのような仕組みを見逃している理論は現場の感覚からすると受け入れがたい」と書いているが、一般国民向けに書かれた新書で、この理論こそ受け入れがたい。
かつての諸外国と比べても異常な公共事業予算の膨張が、借金となり、今日、また将来にいたるまで国民や県民生活の施策展開の足かせとなるのであり、それは為政者が負うべき結果責任ではないか。
ここまで書くのであれば、福井県内でのかつての福井空港拡張計画の反省と、中止による財政メリットにもふれてほしかった。

○2004年の地方交付税大幅カットの地方財政危機についての記述はなまなましい。 当時の自治体関係者の集会での普段の西川知事とはかなり違う形相を思い出した。政府の地方分権改革について「自治体側からみると、自主性が拡大する効果はほとんどなかったにもかかわらず、巨額の交付税削減によって歳入不足が生じ、住民福祉を削減せざるをえない状況に追いこまれた。」と述べている。
また、道州制議論を批判し、「その論理には、生きた住民が登場しない」と喝破している。本当にそうだ。
   西川知事らは昨日、自民、民主、公明の各党に道州制議論は慎重に、と申し入れた。この立場は応援したい。

○2004年の福井豪雨の際の、「必要な対策は現場からしか生まれない」との信念での行動とその後の被災者生活再建支援には、当時、敬意を表した。
災害翌日、福井市役所での対策会議を高橋ちづ子衆議院議員、西村公子市会議員とともに傍聴したが、当時の市長が住民の生活のことよりも、足羽川堤防の桜並木のことをまず口にだして心配した姿勢には呆れた。こういうそれぞれの場面をみると、リーダーの資質を考えさせられたものだ。

○まだまだ思うことはあるが、また今度にしたい。
ただ、この新書からうける西川知事の全体の印象と、実際の印象、また県庁職員からの「情報」との乖離はなになのか、とふと思った。

先日雑談した福井大学名誉教授から「佐藤さんはいろいろ思われるかもしれませんが、知事が岩波新書をだしたというのは大したもんですよ」と云われた。「岩波文化」の権威というものかどうかはわからないが、今後、さまざまな方面に影響をおよぼしていく本になるのかも。それだけに、福井県内ではとりわけより丁寧な分析と評論も求められるだろう。




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