昨日の福井フェニックスプラザでのアンジー、アンジェラ・アキのコンサートはよかった。
連れ合いに誘われたので、「どんなもんかな」とついていったが、すばらしい。
なにがいいか。ファンサービスが徹底している。「ご当地紀行・食べ物紹介」までやるのは小田和正を思い起こすが、小田のはビデオで、アンジーのは面白い語りで・・・。ヨーロッパ軒のカツ丼を食べてきたとか・・。
また、ビートルズでの「しゃべらナイト」など「アンジー先生」の「講義」と合唱のお誘いに会場は生徒化してしまった。
福井は50番目のコンサート地。パワフルな歌、語り、ステージ。笑いあり、涙あり。最後は涙もみせながらの熱唱に、みんなからあたたかい拍手と声援がおくられました。
舞台監督も福井出身の方で、あいさつされてました。
またきていただきたいものです。
さて、「男はつらいよ」40周年、最後の「フーテン便り」が届いた。
★
★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
フーテン語録
~寅さんの元気になる一言
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★
お互いに稼業はつれえやなあ。
まあ、こんなことはいつまで続くもんじゃねえよ。
今夜中にこの雨もカラッと上がって、明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。
お互いにくよくよしねえでがんばりましょう。
~~~~~~(第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』より)~~~~~~
<解説>
旅先で寅さんが、ふと入った芝居小屋。しかし、雨でお客が集まらず、その日は休
演。弱り目にたたり目と嘆く座長(吉田義夫)を前に、同じ旅の渡世人の寅さんがかける優しい言葉。「お互い稼業はつれえやなあ」という寅さんの言葉は、こんなご時世だからこそ、誰の胸にも響く。雨の後は、カラッと上がって、日本晴れとなる、という寅さんのポジティブな言葉は、今を生きるわれわれへの大きなエールでもある。
★
1996年8月、寅さんを演じた渥美清さんが逝った。
8月13日。松竹の大船撮影所でお別れ会が催された。ファンの列は大船駅まで延々3万人が続いた、と報道された。その列の中にわたしたち夫婦もいた。
祭壇は、寅さんが戻ってくる、また、旅に出かける江戸川の土手。青空に笑顔の渥美さんの遺影が浮かんでいた。
撮影所の2階から社員が顔をだし、延々とつづく列を驚いたような顔つきで見守っていた。
その撮影所もいまはない。
東京に戻り、浅草寺によるとお面の屋台がでていた。寅さんのお面があったので値段を聞くと、「500円」。すると横にいた兄貴風の男が「寅さんだよ!」と叱る。すぐに「1000円です」と言い直された。「こんなやつらに寅さんのお面を売ってほしくねえな」と思ったが、求めた。書棚にマルクス・エンゲルス全集とともに飾ってある。
寄席では、林家正楽師匠の紙きり。「寅さん!」と声をかけた。「寅さん、いい芸人でしたねえ」と切っていただいた。
13年前の夏の1日のことでした。
「明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。お互いにくよくよしねえでがんばりましょう。」
連れ合いに誘われたので、「どんなもんかな」とついていったが、すばらしい。
なにがいいか。ファンサービスが徹底している。「ご当地紀行・食べ物紹介」までやるのは小田和正を思い起こすが、小田のはビデオで、アンジーのは面白い語りで・・・。ヨーロッパ軒のカツ丼を食べてきたとか・・。
また、ビートルズでの「しゃべらナイト」など「アンジー先生」の「講義」と合唱のお誘いに会場は生徒化してしまった。
福井は50番目のコンサート地。パワフルな歌、語り、ステージ。笑いあり、涙あり。最後は涙もみせながらの熱唱に、みんなからあたたかい拍手と声援がおくられました。
舞台監督も福井出身の方で、あいさつされてました。
またきていただきたいものです。
さて、「男はつらいよ」40周年、最後の「フーテン便り」が届いた。
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フーテン語録
~寅さんの元気になる一言
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お互いに稼業はつれえやなあ。
まあ、こんなことはいつまで続くもんじゃねえよ。
今夜中にこの雨もカラッと上がって、明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。
お互いにくよくよしねえでがんばりましょう。
~~~~~~(第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』より)~~~~~~
<解説>
旅先で寅さんが、ふと入った芝居小屋。しかし、雨でお客が集まらず、その日は休
演。弱り目にたたり目と嘆く座長(吉田義夫)を前に、同じ旅の渡世人の寅さんがかける優しい言葉。「お互い稼業はつれえやなあ」という寅さんの言葉は、こんなご時世だからこそ、誰の胸にも響く。雨の後は、カラッと上がって、日本晴れとなる、という寅さんのポジティブな言葉は、今を生きるわれわれへの大きなエールでもある。
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1996年8月、寅さんを演じた渥美清さんが逝った。
8月13日。松竹の大船撮影所でお別れ会が催された。ファンの列は大船駅まで延々3万人が続いた、と報道された。その列の中にわたしたち夫婦もいた。
祭壇は、寅さんが戻ってくる、また、旅に出かける江戸川の土手。青空に笑顔の渥美さんの遺影が浮かんでいた。
撮影所の2階から社員が顔をだし、延々とつづく列を驚いたような顔つきで見守っていた。
その撮影所もいまはない。
東京に戻り、浅草寺によるとお面の屋台がでていた。寅さんのお面があったので値段を聞くと、「500円」。すると横にいた兄貴風の男が「寅さんだよ!」と叱る。すぐに「1000円です」と言い直された。「こんなやつらに寅さんのお面を売ってほしくねえな」と思ったが、求めた。書棚にマルクス・エンゲルス全集とともに飾ってある。
寄席では、林家正楽師匠の紙きり。「寅さん!」と声をかけた。「寅さん、いい芸人でしたねえ」と切っていただいた。
13年前の夏の1日のことでした。
「明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。お互いにくよくよしねえでがんばりましょう。」
「寅さん記念館」に新婚旅行ですか。まさに新たな旅立ちにふさわしい!
渥美さんは「寅」の役に苦しまれていたところもあると思います。彼自身は、本にしても、映画、演劇にしても猛烈な勉強家だったそうです。