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広島電鉄 750形電車

2008-07-18 17:12:07 | 電車図鑑・路面電車
老朽化が進み、輸送力も少ない市内線の4輪単車の置き換えのため、
昭和40年に大阪市電の13m級ボギー車である1601形、1651形、1801形を
合わせて22両、譲り受けたものである。

車内はロングシートで床は板張り、マスコンは直接制御で、駆動方法は釣り掛け駆動となっている。
本形式は種車によって以下の3種類に分けられるが、番号の上では統合されている。

元1601形
昭和3年製でウインドシル・ヘッダーの残る車体に一段下降窓で
最も古めかしいスタイルの車両である。
戦前製の電車では珍しく、ウイングバネ軸バネ支持で枕バネにコイルバネを使った
リンク式鋳鉄製台車を採用し、当時の車両としては突出した乗り心地の良さを誇った。
大阪市電の中では、最大で100両が登場し、戦前を代表する最もスタンダードな形式であった。
戦災で半数以上の55両を失うも45両が残った。
広電では10両を譲り受け、751~760号となったが、
既に花電車用オープンカーへの改造や700形に
機器を譲るなどして全車が廃車となっている。

元1651形
昭和15年に、輸送力増強のために散水車を改造したもので、当初は
1581形を名乗った。
ノーシル・ノーヘッダーで大きな2段窓を持つ均整の取れたスタイルの車体で
戦時中の各都市の路面電車の見本となった。
被爆電車として有名な広電650形は、本グループの縮小版といえる。
このグループは元々4両のグループで、761~764となったが、
764は廃車になっている。
台車はブリル製のものを使用しており、速度を出すと独自の揺れ方をする。

元1801形
昭和25年に最後の大型ボギー車として登場。
終戦後、5年目で物資が足らなかったため、当初、座席は板張りであった。
広電では765~772号となった。
現在は、768、769、772の3両が残っている。
台車は1601形と同じ大阪市スタイルの台車を使用しているが、これは大阪市時代の
晩期に、同車から譲り受けて履き替えたものである。
廃車となった車両のうち、766号は、とある刑事ドラマに出演し、劇中にて爆破されるという
壮絶な最期となった。

これらは全て、3ドアで登場したが、大阪市時代に乗務員2人乗り化のため、
進行方向後部にあたるドアが埋められて、窓と座席になった。

導入時、グリーンとクリームの広電カラーに塗り替えられた。
しかし、同じ大阪市から2601形(→広電900形)を譲り受けた際、
経費節減のため、番号を変えた以外、そのままの姿で運用したところ、
関西からの観光客から好評であったため、本形式もブラウンとクリームの
「大阪市色」に塗り替えられた。
いわば、広電が「動く路面電車の博物館」のルーツとなった車両であるといえる。

昭和40年代末期から昭和50年代末期にかけて、ワンマン化、冷房化、
方向幕の大型・電動化などの改造を行っている。
一時期、正面の番号が書いてある周りを大きく菱形の警戒色(黄色)を
塗っていたことがある。
現在は残存する6両全車が千田車庫に配置されており、その大きな車体を生かして
混雑路線で終日活躍している。


車内。板張りの床がお分かりいただけるだろうか。


ブリル台車。


大阪市型台車。


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