昭和31年~32年にかけて131両が登場した車両である。
当時、都電の輸送力は、まだまだ伸びていた頃であるが、既に都電の廃止構想があり、
安価で多数を製造できる電車が求められた。
そのため、耐用年数を10年ほどとし、徹底した車体の軽量化、及び、構造の簡易化が
図られている。
目的は異なるが、現在、JR東日本で運行中の209系電車と設計コンセプトが近い
(209系は最新技術の新車を入れやすくするため、敢えて寿命が短くされており、
実際、E231系、E233系という後継車種が登場し、同系に廃車も発生している)
といえる。
車体は直線的で、側面の客用窓は上段ゴム固定下段上昇のバス窓で
下部は台車や床下の機器を覆い隠すような形状である。
正面の系統板は初期が在来車と同じ鉄板製のものを掲示するタイプで、
それ以外は内側から蛍光灯で照らす行灯式のものを採用した。
晩期は予備パーツの枯渇からか、行灯式のものに強引に鉄板の系統板を
差し込んだものも見られた。
座席はロングシートであるが、一部は取り外し可能なベンチシートが
使用されていたようである。
ドアは自動ドアであった。
性能面では、間接制御、釣り掛け駆動で、ブレーキは発電ブレーキ付
空気自動ブレーキであった。
車体が軽量であり、モーターも在来車よりもハイパワーなものを使用していたため、
ひじょうにスピードの出る車両であったが、台車の構造も簡易設計のもので、
軸間距離が短すぎ、振動や騒音も相当のものであった。
集電装置はビューゲルで、一部でZパンタが使用された。
配属された車庫は、レールの幅が異なる14系統を担当していた杉並車庫を除く
全ての車庫で、都内では3000形、6000形などと共に、よく見られる形式であった。
また、デザインや車体工法の一部が、他の都市の同世代の車両でも模倣されている
(富山地方鉄道7000形、函館市交通局710形など)。
廃車は青山車庫が廃止された昭和44年からで、荒川車庫以外で最後まで残った
柳島車庫が廃止された昭和48年に全廃となった。
廃車後は、台車が荒川車庫に検査中の車両を移動させるための予備台車として
残っているのと運転台の計器などが札幌市交通局に譲渡されたほかは、
個人や自治体に払い下げられて、展示された。
現存するものは8053号と8125号の2両である。
8053号は京成電鉄・東葉高速鉄道の勝田台(東葉勝田台)駅から徒歩数分のところで
喫茶店「TRAIN CAFE(トレイン・カフェ)」として、利用されている。
今年(平成20年)8月3日に、一時休止となり、9月より、若干、リニューアルの上で
再開される予定である。
塗装や車内は大きく変えられているが、ビューゲルから足回りまで一式揃って
保存されているのは、この1両だけで貴重な存在である。
8125号は越谷市内で台車を外されたダルマ状態で児童館の図書室として使用されたが、
平成18年に同館が解体された際に、個人に売却されて、某所にて復元の時を待っている。
越谷市に保存されていた頃の8125号。これを撮影した頃は解体の危機にあったが、
ある個人が名乗り出て、窮地を救われた。
8000形が使用していたD-21形台車。作業用の台車になっている。
荒川車庫にて(敷地外撮影)。
当時、都電の輸送力は、まだまだ伸びていた頃であるが、既に都電の廃止構想があり、
安価で多数を製造できる電車が求められた。
そのため、耐用年数を10年ほどとし、徹底した車体の軽量化、及び、構造の簡易化が
図られている。
目的は異なるが、現在、JR東日本で運行中の209系電車と設計コンセプトが近い
(209系は最新技術の新車を入れやすくするため、敢えて寿命が短くされており、
実際、E231系、E233系という後継車種が登場し、同系に廃車も発生している)
といえる。
車体は直線的で、側面の客用窓は上段ゴム固定下段上昇のバス窓で
下部は台車や床下の機器を覆い隠すような形状である。
正面の系統板は初期が在来車と同じ鉄板製のものを掲示するタイプで、
それ以外は内側から蛍光灯で照らす行灯式のものを採用した。
晩期は予備パーツの枯渇からか、行灯式のものに強引に鉄板の系統板を
差し込んだものも見られた。
座席はロングシートであるが、一部は取り外し可能なベンチシートが
使用されていたようである。
ドアは自動ドアであった。
性能面では、間接制御、釣り掛け駆動で、ブレーキは発電ブレーキ付
空気自動ブレーキであった。
車体が軽量であり、モーターも在来車よりもハイパワーなものを使用していたため、
ひじょうにスピードの出る車両であったが、台車の構造も簡易設計のもので、
軸間距離が短すぎ、振動や騒音も相当のものであった。
集電装置はビューゲルで、一部でZパンタが使用された。
配属された車庫は、レールの幅が異なる14系統を担当していた杉並車庫を除く
全ての車庫で、都内では3000形、6000形などと共に、よく見られる形式であった。
また、デザインや車体工法の一部が、他の都市の同世代の車両でも模倣されている
(富山地方鉄道7000形、函館市交通局710形など)。
廃車は青山車庫が廃止された昭和44年からで、荒川車庫以外で最後まで残った
柳島車庫が廃止された昭和48年に全廃となった。
廃車後は、台車が荒川車庫に検査中の車両を移動させるための予備台車として
残っているのと運転台の計器などが札幌市交通局に譲渡されたほかは、
個人や自治体に払い下げられて、展示された。
現存するものは8053号と8125号の2両である。
8053号は京成電鉄・東葉高速鉄道の勝田台(東葉勝田台)駅から徒歩数分のところで
喫茶店「TRAIN CAFE(トレイン・カフェ)」として、利用されている。
今年(平成20年)8月3日に、一時休止となり、9月より、若干、リニューアルの上で
再開される予定である。
塗装や車内は大きく変えられているが、ビューゲルから足回りまで一式揃って
保存されているのは、この1両だけで貴重な存在である。
8125号は越谷市内で台車を外されたダルマ状態で児童館の図書室として使用されたが、
平成18年に同館が解体された際に、個人に売却されて、某所にて復元の時を待っている。
越谷市に保存されていた頃の8125号。これを撮影した頃は解体の危機にあったが、
ある個人が名乗り出て、窮地を救われた。
8000形が使用していたD-21形台車。作業用の台車になっている。
荒川車庫にて(敷地外撮影)。