昭和41年に登場したの3700系列の最終増備車である。
3700系列は支線で運行されていた電車の体質改善のため、
当時、多く運行されていた戦前製の木造車などの機器を流用して、
車体を新造した車両である。
軽量でスマートなスタイルの車体を有し、沿線から好評を博したが、
性能的にはHL(間接非自動)制御、吊り掛け駆動で、モーターの出力も弱く
最高速度も抑えられたものになった。
この3780系も、その一党であるが、車体の設計を大幅に変更した。
正面窓が平窓を付き合わせたパノラミックウィンドウになったほか、
ヘッドライトが左右2つに振り分けられた。
側面窓は2連ユニット式になり、支線での特急運用を想定してミュージックホーンを
正面貫通扉上に装備している。
また、当時製造されていたパノラマカーや「北アルプス」用のキハ8000系と同様に
冷房を搭載した。これはHL車で唯一である。
車内は1人掛けと2人掛けの転換クロスシート(扉付近は固定)を千鳥配置にした
特徴的なものであった。
塗装もライトパープルを初めて採用し、パノラマカー以外の他の形式にも波及した。
しかし、保線側や沿線から「遠方から見えない」とクレームがついて変更となり、
クリームに赤帯→スカーレットに白帯→スカーレット単色と他の形式同様に
塗り替えられた。
足回りはこれまで通りだが、初期車は台車を新造している。
先述のとおり、本形式は冷房を搭載しており、車体の強化や大型の発電機の搭載で
その分の重量が増加しているが、モーターは相変わらずのパワー不足であった。
このため、HL車の欠点である加速と高速性の弱さに拍車をかけてしまい、
ダイヤを乱すことも度々あった。
昭和53年に瀬戸線の栄町乗り入れと架線電圧の1500V化に伴い、全車が転属した。
転属時に車体の難燃化、客席のロングシート化を行った。
瀬戸線では、主に急行列車に用いられ、平成8年まで使用された。
引退後、全車が解体されたが、初期車が使用していた新造台車は6750系に流用された。
3700系列は支線で運行されていた電車の体質改善のため、
当時、多く運行されていた戦前製の木造車などの機器を流用して、
車体を新造した車両である。
軽量でスマートなスタイルの車体を有し、沿線から好評を博したが、
性能的にはHL(間接非自動)制御、吊り掛け駆動で、モーターの出力も弱く
最高速度も抑えられたものになった。
この3780系も、その一党であるが、車体の設計を大幅に変更した。
正面窓が平窓を付き合わせたパノラミックウィンドウになったほか、
ヘッドライトが左右2つに振り分けられた。
側面窓は2連ユニット式になり、支線での特急運用を想定してミュージックホーンを
正面貫通扉上に装備している。
また、当時製造されていたパノラマカーや「北アルプス」用のキハ8000系と同様に
冷房を搭載した。これはHL車で唯一である。
車内は1人掛けと2人掛けの転換クロスシート(扉付近は固定)を千鳥配置にした
特徴的なものであった。
塗装もライトパープルを初めて採用し、パノラマカー以外の他の形式にも波及した。
しかし、保線側や沿線から「遠方から見えない」とクレームがついて変更となり、
クリームに赤帯→スカーレットに白帯→スカーレット単色と他の形式同様に
塗り替えられた。
足回りはこれまで通りだが、初期車は台車を新造している。
先述のとおり、本形式は冷房を搭載しており、車体の強化や大型の発電機の搭載で
その分の重量が増加しているが、モーターは相変わらずのパワー不足であった。
このため、HL車の欠点である加速と高速性の弱さに拍車をかけてしまい、
ダイヤを乱すことも度々あった。
昭和53年に瀬戸線の栄町乗り入れと架線電圧の1500V化に伴い、全車が転属した。
転属時に車体の難燃化、客席のロングシート化を行った。
瀬戸線では、主に急行列車に用いられ、平成8年まで使用された。
引退後、全車が解体されたが、初期車が使用していた新造台車は6750系に流用された。