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水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

えちぜん鉄道 ML521形電気機関車(許可を得て撮影)

2009-02-24 19:14:02 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
えちぜん鉄道の前身である京福電鉄福井支社が、貨物列車の輸送力改善のため、
昭和24年に導入した電気機関車である。
521号と522号の2機が製造された。
京福時代の形式はテキ521形である。

車体は鋼鉄製で、前後に機器室を設置し、真ん中に運転台を置いた凸形で
当時の私鉄向け電気機関車としてはオーソドックスなデザインをしている。
塗装はこげ茶である。

主制御装置は直並列抵抗制御でブレーキは空気直通ブレーキである。
集電装置は当初、トロリーポールであったが後にパンタグラフに改造されている。
駆動方式は吊り掛け式で、速度よりもパワーを重視した設計となっており、
最高速度は45km/h(速度計は60km/hまで)である。

登場時は貨物輸送を中心に運行されたが、路線の縮小や貨物輸送自体の縮小で
徐々に活躍の場が減り、昭和末期には大型のスノープロウを取り付けて
除雪用となっていた。

平成15年に京福福井からえちぜん鉄道へ移管した際に、ATS取り付け、
運転台回りの機器の追加、温風暖房機の設置などの改造が行われている。
特に、ATSや計器の取り付けの向きの絡みで521号と522号は2両永久連結となった。
編成は以下の様になる。

←勝山・三国港側 △(※)ML521+ML522△ 福井側→
(※)△=スノープロウ

基本的には福井口にある車庫で留置されていることが多いが、除雪作業の多い冬場は
より降雪量の多い勝山永平寺線の勝山駅の留置線で待機していることが多い。
また、雪の多少によって運行が左右されるため、走行シーンを見られるのは
正にお天気次第である。
また、ごく稀ではあるが、冬季以外にイベントで走行することもある。

なお、この写真は4年ほど前に訪問した際、職員の方のご好意で見学させていただいた
ものである。
大変遅くなってしまったが、この場にて厚く御礼を申し上げる次第である。

伊予鉄道 600系電車

2009-02-21 06:00:00 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和33年に四国で初めての鉄道線用新性能車として登場した車両である。
601+602の2連1編成が製造された。

車体は全鋼製で、正面中央部に大きな窓を配し、両脇に細長い2段式の窓を配置する
独自の形態となっている。
客用ドアは片側3箇所で全て片引き戸で、車内はロングシートである。

主制御装置は抵抗制御で、駆動方式はカルダン駆動である。
モーターは601と602で2個ずつ、編成で4個搭載している。
昭和53年に長野電鉄より1100形1102号を譲り受けて、603号とし、602号を中間化して
3両目に連結して、601+602+603で編成を組んだ。
603号車は吊り掛け駆動で、モーターは全4軸分装備していた。
また、ドアが両引き戸で片側2箇所、窓も3連ユニット窓であるなど、形態に差が
見られた。

登場以来、伊予鉄郊外電車ピカイチの電車として全線で活躍したが、
京王帝都電鉄(→京王電鉄)から譲り受けた800系電車による冷房車の
導入を機に活躍の場が狭められ、本形式以来37年ぶりの自社発注の電車である
610系のデビューした平成8年に引退した。

603号は、廃車後、すぐに処分されたが、601と602は長く古町車庫の奥で
倉庫として利用されていた。

しかし、長年の留置で車体の劣化が進んだため、平成20年夏頃より、
解体に向けた準備が始まり、同年10月に601号が搬出され、602号はその場で
解体された。
601号車は、松山市大可賀で行われた緊急消防援助隊の中四国ブロックの合同訓練にて
脱線転覆した電車として利用された。

高松琴平電鉄 1200形・1250形電車

2009-02-18 18:36:44 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
自社線の冷房化を進めるため、平成15年から、京浜急行電鉄の700形電車
譲り受けたものである。
平成18年までに琴平線(高松築港~琴電琴平間)に2連8本16両、長尾線(高松築港~
瓦町~長尾間)に2連3本6両の計2連11本22両が入線した。
車番は琴電琴平・長尾側が奇数車、反対側が偶数車である。
長尾線所属車は区別のため、50番台で区別されている。

車体は全鋼製で琴電及び、四国の鉄道車両で初めての片側4ドア車である。
塗装は路線別塗装を琴電で初めて採用し、琴平線所属車は上半分がホワイト、
下半分がイエロー、50番台車は上半分は同じで下半分をライトグリーンとしている。

車内はロングシートで、座席のモケットをブルーからグリーンのものに交換したほか、
優先席もグレーからレッドに交換している。
また、高松築港側の運転席後部の座席の一部を撤去して車椅子スペースを設置し、
吊革を丸型からおむすび型に変更するなど、琴電の車両で初めてバリアフリーに
対応している。

運転台はツーハンドル式だが、他の車両との連結を考慮してHL(間接非自動加速
制御)方式のものに交換し、ブレーキを発電ブレーキ併用電磁直通式空気ブレーキに
変更している。50番台については
また、各先頭車の運転台側の台車のモーターを撤去したほか、高松築港側先頭車に
なる車両からパンタグラフを撤去している。
この他、種別幕撤去・埋め込み、下段窓の固定(最初の3編成を除く)、連結器交換、
速度リミッターの設置などの改造を受けている。

本形式の登場により、琴電の名物だった多くの旧型車が置き換えられた。
平成18年には長尾線への大型車入線が可能になり、50番台が投入され、
同線に所属していた小型冷房車の600形(元名古屋市営地下鉄車)などを、
最後まで旧型車を走らせていた志度線(瓦町~琴電志度)に転属させた結果、
一部の保存車を除いて旧型車を一掃が完了し、全線の冷房化が達成された。

京急では地味な存在であった本形式であるが、琴電では主力車両となっており、
終日運行されている。
混雑時には4連となり(琴平線のみ)、4ドア車の収容力を遺憾なく発揮している。
一部は広告電車となっており、沿線の目を楽しませている。




琴平線広告電車3種類。

長尾線用1250形電車。この車両も広告塗装である。

叡山電鉄 デオ711形・721形・731形電車

2009-02-03 22:08:52 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進んだ旧型車両の置き換えのため、昭和62年~63年にかけて登場した
車両である。
現在、711形が2両、721形が4両、731形が2両の合計8両が在籍している。
叡山電鉄では初めての冷房付きのワンマン対応車であるが、足回りについては
在来の旧型車から流用したものとなっている。

車体は鋼鉄製でクリームをベースに正面窓下から側面窓周辺を繋ぐように
エンジ色の太い帯と車体下部に同色の細い帯が入る。
側面窓は2段式だが、中央部分だけ大型の固定窓となっているのが特徴である。
ドアは両端2箇所に片引き戸がある。乗務員室のドアもワンマン運転の便を考慮して
引き戸となっている。

主制御装置は抵抗制御で勾配線区に対応し、発電ブレーキ・勾配抑速ブレーキを
装備している。
これは京阪電鉄より大津線電車の廃車発生品譲り受けたもので3形式とも
共通である。
台車やモーターは当初、旧型車のものをそのまま流用した吊り掛け駆動だったが、
後に阪神電鉄や京阪電鉄より台車やモーターを譲り受けて、カルダン駆動化されている。
形式番号の違いは、足回りのベースとなった電車の違いによる機器の相違のため
である。

通常は1両のみの単行運転であるが、沿線でのイベント開催、紅葉シーズンなどの
多客時は2両連結で走ることもある。

以下に形式別の違いを紹介する。

デオ711形(711~712)
昭和62年にデナ21形(昭和4年製造)の23・24号より機器を流用して登場。
平成3年~4年の間に阪神電鉄より台車とモーターを譲り受けてカルダン化を
実施しており、現在ではデナ21形由来の機器は少ない。

デオ721形(721~724)
昭和63年にデオ201形(昭和26年製造)の機器を流用して登場。
種車の特徴を引き継ぎ、電気ブレーキ使用時のモーターの唸りが大きかった。
平成14年から京阪電鉄から譲り受けた廃車発生品により台車交換と
カルダン駆動への改造がなされ、特徴的な電気ブレーキの音は聴けなくなった。

デオ731形(731~732)
昭和63年に京阪電鉄より廃車になった電車の機器を譲り受けて登場した。
書類上はデオ301形(昭和34年製造。京福グループ(叡山電鉄は昭和61年まで
京福電鉄に属していた)最初のカルダン車)の機器を使用していることになっているが、
同車の機器に特殊なものが多く、メンテナンスの部分でそのまま流用するのが
難しいため、京阪から廃車部品を譲り受けることになった。
この形式だけ、当初よりカルダン駆動である。

平成17年より塗装の変更を実施しており、711号が「山」の愛称でクリームにグリーンの
細帯、712号が「もみじ」の愛称でクリームにレッドの細帯、731号が「川」の愛称で
クリームにブルーの細帯に変更されている。
なお、これにクリームにライトグリーンの「新緑」が加わる予定である。

先述のとおり、単行運転が主体で、基本的に鞍馬線の出町柳~二軒茶屋間、
及び叡山線出町柳~八瀬比叡山口間で運用に就いている。


塗装変更車。なお、形式の「デオ」とは叡山電鉄が伝統的に使用されている記号で
15m未満の中型車が「デナ(デ=電車 ナ=なかがた=中型)」、15m以上の大型車が
「デオ(デ=電車 オ=大型)」となる。

東京臨海高速鉄道 70-000系電車

2009-01-09 17:25:08 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
平成8年の臨海副都心線(→りんかい線)開業用に製造された車両である。
全部で86両が製造され、うち80両が在籍している。

形式の公称は「ななまんけい」である。車番の読み方はハイフンより左2桁が
ゆりかもめ7000系電車と同じく東京都における臨海地区を走る車両を現わし、
ハイフンより右2桁が編成番号、一番右の桁が号車番号で新木場側から順に
0、1、2・・・と続いて末尾は9である。

正面は209系をベースにしながら、やや柔らかなイメージに仕上げられている。
トンネル区間を走行するが、トンネルに幅を持たせて避難通路を確保しているため、
非常用貫通路の設置はされていない。

車内は片持ち式のロングシートである。ドア上にはLEDスクロール式の
旅客案内装置とドアチャイムが各ドアに装備されている。
ただし、平成14年製造のものは各車2個ずつ減の千鳥配置に変更されている。
ベースの209系ではドアなどの無塗装化や簡易なパーツを多く使っているが、
本形式では化粧板仕上げにしている箇所が多く、やや上等な雰囲気になっている。
側面窓は大型のものが固定、車端部のものが1段下降式であったが、
後に大窓も、換気能力向上のため、各車片側1枚ずつ変則2段上段下降式に
改修されている。
行き先表示は当初、字幕式であったが、第6編成(70-060~069)以降はLED式となり、
在来車も現在はそれに揃えられている。

主制御装置はGTO式VVVFインバータ制御である。勾配のきつい地下や
高架を走るため、電動車は10両編成中6両ある。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキである。

編成は、開業当初は4連で4本が用意された。
平成11年に列車増発のため、4連1本が追加され、4連5本体制となった。
更に平成13年の天王洲アイル駅開業時に4連1本が加わって4連6本となった。

平成14年の大崎延伸及び埼京線との直通運転を開始では、10連4本を
新造するとともに、第6編成に新製の中間車を挟んで10連化、
第1~5編成も同じく新製の中間車を挟んで
6連となり、大崎~新木場間折り返し運転用になった。
これにより10本(6連×5本+10連×5本)80両体制となる。
6連のものは、運転台に「6連」と書かれたマークを表示していた。

平成16年のダイヤ改正で埼京線への直通運転が大増発されることになり、
付随車6両を増備して6連5本を10連3本に組み替えた。
組み替え方は、まず6連2本の編成を解いて、残りの3本に電動車ユニット(2連)
1つずつを渡し、そこに付随車2両ずつを組み込むものであった。
これにより、先頭車両4両と中間電動車2両(ユニット)が余剰となっている。

余剰となった分についてはJR東日本に譲渡されて八高・川越線用の
209系3100番台に改造されている。これについてはいずれ紹介する。

現在はりんかい線と乗り入れ先の埼京線を経由し、川越線の川越まで
運行されている。
運用上の関係で新宿などで折り返す、りんかい線に戻らないものに就く場合も
ある。

秩父鉄道 2000系電車

2008-12-11 21:23:58 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進行していた普通列車用の500系電車(※)の置き換えのため、
平成3年に東急7000系電車を譲り受けたものである。
4連4本が登場し、秩父鉄道で初めてのステンレスカーになった。

弘南鉄道などに譲渡されたものとは異なり、4両編成のままそっくり譲り受けている。
改造された部分は少なく、ワイパーの大型化、三峰口側先頭車のデハ2300形を除いた
各車両の三峰口側連結面への貫通扉設置、前面帯色の青色化、保安装置の設置、
ベンチレーターへの蓋設置(冬季のみ設置)程度で、外観に影響を与えるような
大きな変化はない。

第3編成と第4編成は、長津田からの回送ルート上、通過するはずだった武蔵野線が
線路冠水で不通になってしまったため、逆向きで入線した。
このため、秩父鉄道入線後、秩父駅にあるデルタ線を利用して方向転換を
実施している。

第2編成は入線早々の平成3年、秩父夜祭当日、踏切を突破したライトバンと
衝突し、前面を損傷した。
この傷は意外に深く、自社での修理が不可能だっため、東急車輛の出張工事で
修復された。
この間、同年末をもって廃車予定だった500系が延命された。

主に各駅停車で使用されたほか、平成11年ごろまで運行されていた準急に
使用されていた。

本形式は車体の長さが18m3ドアで3連とした場合、20m4ドア3連の1000系電車よりも
6mも短くなってしまう。
そのため、4連で登場したが、逆に輸送力過大となってしまった。
また、同時期に地方の中小私鉄でも車両冷房化が進み始め、
秩父鉄道でも保有車両の冷房化が開始されると、床下機器に余裕がなく冷房化が
不可能で、全車が電動車のため、電力を食う本形式は持て余されるように
なってきた。

そのため、秩父鉄道では1000系と性能差も少なく、車体の大きさも同じ
東京都交通局三田線の6000形電車を譲り受け、5000系として登場させた。
これにより平成12年に全車が廃車となった。
廃車後は秩父市内で解体処分されたが、一部が個人に引き取られたという
噂がある。

秩父鉄道500系電車(※)
昭和32年~37年に登場した自社発注オリジナルの電車。正面2枚窓の湘南フェイスで
大型2つのヘッドライトが特徴であった。側面ドアは片開きで2箇所ある。
車内はロングシートで、ドア間は非常に長いものが採用されていた。
塗装はチョコレートクリーム色にマルーンの帯が入るものであったが、
後にイエローに茶帯になった。。
編成はデハ500形+クハ600形の2両1ユニットを組み、2編成を繋いで4連で使用された。
クハ600形にはトイレがあったが、このトイレは垂れ流し式だったため、
後に封鎖されている。
主制御装置は抵抗制御、駆動方式はカルダン駆動である。
平成3年に2000系の導入と共に廃車が始まり、平成4年までに全廃となった。
その後、石原駅や広瀬川原にある熊谷工場などに留置されていたが、
順次解体された。
この中でクハ602は、唯1両、解体を免れ、現在も熊谷工場内にて倉庫として
使用されている。

福井鉄道 600形・610形電車

2008-11-20 20:19:28 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した140形電車の置き換えのために名古屋市交通局から、名城線で
運行していた1100形・1200形電車(※)を平成9年~11年に、名鉄住商岐阜工場で
改造の上、譲り受けたものである。
以下に形式別で概要を記す。

●600形(外観は下の写真を参照)
単行運転用に、平成9年と10年に1両ずつ譲り受けた。
入線にあたり、連結部分に他の車両の運転台部分を接合しての両運転台化、
客用ドアの2ドア化と中ドアの埋め込み、中ドア跡への客席の延長と窓設置、
パンタグラフ取り付け、台車・モーターを豊橋鉄道からの廃車発生品に交換、
冷房化(これも豊橋鉄道の廃車発生品)、ワンマン化(整理券発券機・運賃箱・料金表
設置、自動放送装置整備)、ドアステップ・軌道区間用の排障器取り付けなどの
改造を実施している。
塗装は地元の高校がデザインしたものを採用している。

単行運転用で総括制御も不可能なことから、収容力に問題があり、
日中の閑散時や早朝などしか運転されないことが多かった。
平成16年4月より低床車の導入で休車となっているが、同年6月に福井大学と
大研化学工業によるリチウムイオン電池での実験走行や
平成19年度のビア電(夏季限定のビール電車)に使用されるなど、それなりに
活躍の場は残されている。
余談ではあるが、本形式改造のため、運転台を供出した車両の残りの部分が
名鉄岐阜工場(現在は廃止)にしばらく残されていた。

●610形
先の600形の収容力不足を受けて、平成11年に2連で登場したものである。
2両連結である点を除いて、ほぼ同じ改造を施されている。
編成はモハ610+クハ610で、モハが武生新・福井駅前側でクハが田原町側である。
連結部の座席の一部は優先席で、この部分だけ灰色になっている(他は濃い青)。
塗装も600形と同じであったが、平成17年頃に広告塗装(上の写真参照)に変更され、
平成19年からは引退した300形電車と同じ白にグリーンと赤の帯の入ったものに
なっている。
こちらは低床車導入後も朝ラッシュ時を中心に、現在も運行されている。
また、車内がロングシートなので夏季はビア電に用いられる機会が多い。


単行運転用の600形電車。

※名古屋市交通局1100形・1200形電車
名城線開業用に登場した1000系と呼ばれるグループに属する車両である。
昭和40~49年に製造された。
同市の地下鉄車両のトレードカラーでもあるウィンザーイエローに、
ラインカラーであるパープルの細帯が入る。
名古屋市の地下鉄車両としては初めて方向幕を本格採用(試験では東山線の
101号車が使用したことがある)したほか、キャブシグナル式ATCを採用している。
車輪には市電の無音電車シリーズ同様、弾性ゴム車輪を使用して防音効果を
図っている。
台車は1000形と、その中間車の1500形が空気バネ台車、他はコイルバネ台車である。
集電方式は第3軌条方式でパンタグラフは設置されていない。

車内はロングシートで、車内が狭く乗車区間も短いため、網棚を設置していない。
1100形は昭和46年の市役所前~大曽根間及び金山~名古屋港間開業時に、
1200形は昭和49年の金山~新瑞橋間開業時に、それぞれ投入されている。
後継の2000形の登場で平成12年までに全車廃車になった。
廃車後は、今回紹介の福井鉄道のほか、高松琴平電鉄にも譲渡されている。

関東鉄道 キハ0形気動車/キハ310形気動車

2008-08-31 19:24:43 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
常総線取手~水海道間の複線化完成に伴い、昭和59年に導入された車両である。
001~008の8両が製造された。

台車やエンジンなどは、国鉄で廃車になったキハ20系気動車のものを流用し、
車体を新潟製鉄所で新造している。
関東鉄道では初めての完全2両固定編成である。
当初、正面部に幌が設置されておらず、緊急時以外、通行できなかったが、
取手駅で発生した列車暴走事故の反省から、幌を取り付けている。

車体は全鋼製で片側3ドア両開き、側窓は戸袋窓をのぞいて2段窓となっている。
正面中央上部には関東鉄道の新車としては初めて方向幕を装備した。
車内はロングシートで、ドア部分に緩いスロープが設けられている。

形式は「0」形だが、番号は「00α」で振られており、第4編成の「007」号車の
登場時には、一部のファンの間で話題となった。

当初、冷房を装備していなかったが、平成8年にエンジンの更新と共に
冷房化を実施している。
また、平成17年のダイヤ改正に伴い、ワンマン化を実施したほか、
一部では正面部分にスカートを取り付けている。

なお、ほぼ同型の車両としてキハ310形気動車が存在する。
この車両は昭和51年に輸送力増強のため、国鉄キハ17系気動車を譲り受け、
その機器と台車を流用して車体を新造したもので、311~318の8両が
製造されている。
キハ0形が新車扱いなのに対し、本形式は種車からの経歴を引き継いでいる。

こちらは固定編成は組まずに、他の車両と編成を組むことがよくあった。
当初、行き先表示器や幌はなく、ヘッドライトの位置やドアの窓が小さいなど、
多くの部分でキハ0形と異なっていたが、後の改造で、見た目も性能も
全くといっていいほど差がなくなった。
キハ2100形の増備でキハ311とキハ312が廃車になったが、残り6両が在籍している。
なお、旧型車の一掃で同形同士の2連固定で使用されるようになっている。

熊本電気鉄道 モハ71形電車(現在車籍無し)

2008-07-02 10:54:16 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和3年に、現在のJR可部線の前身である広島電気(→広浜鉄道)が電化用に
同社の1形として導入した車両である。
全部で5両が製造された。

車体は半鋼製で、正面は緩やかに曲線を描いた3枚窓、非貫通となっている。
屋根は丸屋根で車内はロングシートである。
ヘッドライトは、当初、正面中央の窓下にある「おへそライト」で、
集電装置もトロリーポールであった。
主制御装置は直接制御である。

この当時、地方ローカル私鉄向けに製造されていた電車の平均ともいえる
スタイルであった。

昭和6年に広島電気が広浜鉄道に鉄道事業を譲渡した際、1形の4号車の番号を
忌み番号として8号に変更している。

昭和11年に広浜鉄道が国鉄に買収された際に、再度、改番が行われ、
1形は番号順にモハ90001~90005になった。

広島への原爆投下の際には5両中90001と90005の2両が修理のため、
下関の幡生工場に入っていて事なきを得たが、
90002と90004の2両は横川駅と構内の車庫で炎上、90003は同洗浄線で中破した。
中破した90003は昭和21年に復旧されたが、炎上した2両は廃車となった。

生き残った3両は、戦後、補充用に各地から集められた社形電車(国に戦時
買収された私鉄の電車のこと)と木造国電と共に可部線で運行された。
昭和23年に架線電圧を750Vにしたため、その対応改造を行い、
集電装置をパンタグラフに交換している。

昭和28年に国鉄で廃車になった。その後、しばらく保管された後、
昭和29年と昭和32年に熊本電気鉄道に譲渡され、同社のモハ71号~73号になった。
旧番との対比は、90005→71、90003→72、90001→73である。
車体のサイズは小型であったが、4個モーターでパワーがあり、小回りが利くことから
昭和54年に貨物列車が廃止されるまでは、貨車の牽引も行っていた。

昭和54年~56年にかけて廃車になったが、モハ71号は北熊本駅構内にある
車両工場の入換車として生き残り、平成8年には塗装を茶色一色にするなど、
今も尚、よく整備されて使用されている。
この電車も「被爆電車」と呼ばれることがあるが、現存のモハ71は、前述の通り、
広島にいなかったので、厳密には異なる。

伊豆箱根鉄道 5000系電車

2008-05-30 19:23:06 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
伊豆箱根鉄道が大雄山線の旧型車の置き換えのため、昭和59年に導入したものである。
大雄山線用の電車としては初めての冷房車で、平成8年までに3連7本が製造された。

駿豆本線で運行されている3000系電車をモデルに設計されている。
そのため、制御装置(抵抗制御)、台車(FS-372形ダイレクトマウント式空気バネ台車)、
ブレーキ(発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ)、
運転台(ワンハンドルマスコン)は同車と共通のものを
採用している。
ただし、大雄山線は緑町駅付近に急カーブがあり、車体の大型化が難しいため、
裾絞りのない形状となり、長さも18m級となった。

製造時期が長きに亘っている事もあり、車体を中心に編成ごとに仕様が
以下に挙げるように異なる。

第1編成は車体が普通鋼鉄製で、車内はロングシートである。
車庫が終点の大雄山にあり、路線の長さも短く、途中駅での折り返し運用も
ない事から初期の編成では、行き先表示を「小田原」・「大雄山」で固定して、
該当するほうの行き先を照明を点灯させて表示する「バイナリーヘッドマーク」を
採用している。

第2編成~第4編成は車体がステンレス製となり、補助電源装置がMGから
静止型インバータに変更になった以外は、第1編成と同じである。
その他、連結部の貫通扉の有無(現在は撤去)、社紋の色違いなど、
若干の個体差があった。

第5編成は第4編成までと外観は同じだが、中間車の車内扉間が転換クロスシートに
なったほか、側面にLED式の行き先表示が付いた。

第6~第7編成では、正面にスカートが付き、正面の行き先表示も
バイナリーヘッドマークからLED式に変更された。
車内も全車の扉間が転換クロスシートになった。
第7編成は車椅子スペースを設置している。

一部編成では車内妻部へのLEDスクロール式の旅客案内装置を取り付けたほか、
全編成で連結部への転落防止の外幌と吊革の交換を行っている。

現在は大雄山線の全列車が本形式で運行される。尚、重要部検査、全般検査など
大掛かりな検査を行う際は駿豆本線大場工場までJR東海道線を介して
回送される。


第1編成。普通鋼鉄製の車体である。


大雄山駅に並ぶ各編成。手前の編成がスカート付きの最新編成である。