水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

熊本電気鉄道 5000形電車

2008-05-24 20:40:48 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
旧型車の置き換えのため、昭和56年と60年に「青ガエル」こと
東急の5000系電車(初代)を譲り受けたものである。
熊本電鉄の車両として初めてのカルダン駆動車となった。

昭和56年に譲り受けたものは、5043号+5044号の1編成2連で、番号も塗装も
そのままで、架線電圧600V対応とした程度で運用を開始した。

その後、昭和60年に追加で4両を譲り受けた。これらは1両でも運行可能なように
連結側にも運転台を設けたほか、ワンマン運転用の機器を搭載している。
塗装についてもワンマンカーである事をアピールするため、オレンジと黄色の帯を
追加している。
車番も変更され、5101号~5104号になった。
昭和61年には、菊池線の菊地~御代志間の廃止に伴い、先に譲渡された
2連1本についても、ワンマン化を実施している。

昭和63年には5043号を両運転台化して、5105号とし、相方の5044号は休車(後に廃車)と
なった。

平成3年から塗装が変更されて、上半分が水色、下半分が青色でその間に白帯で
枠をとった赤帯が巻かれたものになった。

上記の通り、形態を変えながら、主力車両として活躍を続けたが、
超軽量構造の車体の老朽化が著しくなったため、平成7年から、都営三田線の
6000系を譲り受けて廃車が開始され、現在は5101、5102の2両を
残すのみとなっている。

これら2両は平成16年にATSを取り付けた際、塗装を東急時代のグリーン一色に
塗り替えられ、車番も5101A、5102Aに変更された。

熊本電鉄では、この2両を冷房化するか、冷房付きの新車に置き換える方針でいたが、
前者は車体の強度不足で、後者は適当な中古車が手に入らないため、
断念している状態である。
また、その旨の謝辞を書いたプリントが車内に貼られている。

運用は菊池線の上熊本~北熊本間の区間列車で、終日運行(概ね30分間隔)されている。
この区間は、上熊本駅で始発が7時20分と遅く、終電が20時20分と早いため、
乗りに行く際は注意が必要である。


増設された運転台側。通称「平面ガエル」。



松本電気鉄道 3000系電車

2008-05-12 09:59:33 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した5000系電車(元東急旧5000系)の置き換えのため、
平成11年から12年にかけて、京王電鉄井の頭線で運行されていた
3000系電車を譲り受けたものである。

松本電鉄では初めての冷房車であり、また、地方ローカル私鉄の車両として
初めて界磁チョッパ制御を採用している(回生ブレーキは機能停止)。
全車が中間車だったものに運転台を取り付ける改造を施したもので、
運転台機器は同じく京王で廃車になった6000系電車のワンハンドルマスコンを
取り付けている。
運転席後部の座席のあった部分は、これを撤去して車椅子スペーとしている。
また、ワンマン運転を行うため、整理券発券機の設置や運転室後部への運賃表、
運賃箱の設置などの改造を行っている。
座席は種車のままのロングシートである。
塗装は、搬入時には施されていなかったが、営業運転を前に同社バスなどと同じ
「アルピコカラー」に塗り替えられている。

編成は2両編成で、新島々側が奇数で電動車、松本側が偶数で制御車となっている。
このうち、松本側先頭車の3004と3008には運転台側に冬季に架線に付いた霜を
削ぎ落とす為のパンタグラフを設置している。

平成12年7月までに5000系電車を置き換え、全列車が本形式で運行されている。

しなの鉄道 169系電車 快速「しなのサンライズ」&「しなのサンセット」

2008-03-25 20:41:09 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
長野(北陸)新幹線開業に伴い、並行する信越本線軽井沢~篠ノ井間を引き継いだ
しなの鉄道が開業に伴い、JR東日本より平成9年に譲り受けたものである。

JR169系電車は信越本線横川~軽井沢間での輸送力増強を目的として、
国鉄時代の昭和42年に165系急行形電車をベースに開発され、
昭和43年から量産化された車両である。
車体は165系電車と同じで2ドアデッキ付で車内は普通車が
4人掛けボックスシート、グリーン車は回転リクライニングシートであった。
機構面では横川~軽井沢間の急勾配で連結される補助機関車のEF63形電気機関車との
動力協調運転を可能とし、同区間での電車の押し上げ定数が8両だったのに対し、
最大12両まで連結することが可能となった。
同線経由の急行「信州」、「妙高」、「志賀」などに投入され、
最盛期にはビュッフェなども連結され、その性能を遺憾なく発揮した。
しかし、昭和50年代に入り、ビュッフェが営業休止になり、後連結廃止。
さらに急行「信州」の特急「あさま」への格上げ、急行「志賀」の長野電鉄直通廃止など
衰退の一途をたどり、昭和60年には本来の役目から、地域のローカル輸送や
臨時列車用となった。
配置は全部長野であったが、後に松本と三鷹にも転じている。

同年のダイヤ改正で一部の車両が新幹線の使い古しである
回転リクライニングシートを使ってリニューアルを行い、
長野~飯田間を結ぶ急行「かもしか」に投入されたが、昭和62年に
車両はそのままで、快速(現・快速「みすず」)に格下げされた。
現在、しなの鉄道で運用されているのは、このリニューアル車である。

しなの鉄道への譲渡に際し、トイレと洗面所の封鎖、車体塗装の変更、
座席モケットの張替え(譲渡時には実施しなかった編成もあるが、
現在は全編成で交換済み)などを行っている。
開業用に3連3本、平成10年に快速列車の輸送力増強で3連1本が追加されて、
全部で3連4本が在籍する(他に部品取り用に数両が譲渡されている)。
本形式は快速列車のほか、軽井沢口の普通列車にも使用される(長野側にも乗り入れる)。
特に有料快速「しなのサンライズ」、「しなのサンセット」では、かつての雄姿を
髣髴とさせる走りっぷりを見ることが出来るほか、前者は9連で運行され、
ファンの人気も高い。
しかし、登場以来、40年を迎え(トップナンバー車)、老朽化が
進行してきていることから、置き換えが計画されている。

遠州鉄道 ED28形電気機関車

2008-03-19 21:50:52 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
大正11年に鳳来寺鉄道と豊川鉄道(両方とも現在の飯田線の一部)が
1両ずつ、計2両が輸入された電気機関車である。
メーカーはイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社で
同時期に国鉄東海道線の電化のために輸入された「デッカー」と呼ばれる
電気機関車の一党である。
しかし、他が箱型車体を採用しているのに対し、
本形式のみ凸型車体となっており、日本に輸入されたデッカーでは
唯一の存在となっている。

導入された先での形式は豊川鉄道が電機50形50号、鳳来寺鉄道が電機51形51号であった。
昭和5年に双方とも形式が変更され、豊川側がデキ50形、鳳来寺側はデキ100形に
なった。
昭和13年には鳳来寺のデキ100形がデキ50になり、豊川のデキ50がデキ51に変更された。

昭和18年に双方の会社が国鉄に買収され、飯田線に統一された際には、
そのままの番号と形式のまま引き継がれている。

昭和27年に社形(戦争中に国鉄に買収された私鉄の電車)や戦前製電車、
機関車などの番号整理の際、国鉄での形式を与えられ、
それぞれED28形1号、2号となった。

遠州鉄道が、本機を譲り受けたのは、昭和34年である。
導入当初は貨物列車などに活躍したが、昭和51年に貨物が廃止になって以降は
保線列車専用となり、西ヶ原駅に常駐している。

平成20年に実施された検査の際、塗装が変更され、上の写真より、
濃い青になったほか、ナンバープレートが白く塗られた。

江ノ島電鉄 1000形電車

2008-03-16 23:20:19 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した旧型車の置き換えと、輸送力増強のため、江ノ島鎌倉観光電鉄時代の
昭和54年に登場した車両である。
江ノ電数十年ぶりの新型車(全く新車が無かった訳ではなく、
払い下げの中古車や車体だけ作って部品は旧型のお古というのが
大半であった)ということで注目を浴び、翌年には鉄道友の会から
ローカル私鉄の通勤タイプの車両としては初めてのブルーリボン賞を
授与されている。

編成は2体連接で、車体は普通鋼鉄製であるが、窓下などにステンレスを使用して
腐食対策としている。
正面部の窓を大きくとったのと、運転台を正面中央部にしたことで、
前面展望も十分に楽しめる。
窓は一段下降式で、車内側に内キセにFRPを使用している。
座席はオールロングシートである。
運転台は片手操作式逆L字型ワンハンドルマスコンを採用した。
これらのインテリアや外観は同時期に同じメーカー(東急車輛)で製造されていた
京急の800形とよく似ている。

当初は冷房を搭載していなかったが、昭和61年までに搭載している。
足回りは、当時の技術では、車体の小さな江ノ電クラスの車両での
カルダン駆動は、まだ困難ということで釣り掛け駆動が採用された。
塗装は緑がかったクリームに抹茶色の帯が入るものであった。

ファンのみならず、沿線からも好評を持って迎えられ、増備車が製造されている。
その度に改良が行われ、形式で区別されている。
昭和56年に冷房改造準備車の1100形(翌年に冷房を搭載して江ノ電初の冷房車に)、
昭和58年にヘッドライトが四角くなり、新製当初より冷房を搭載した1200形、
昭和61年に江ノ電初のカルダン駆動車である1500形が登場している。

1100形は旧社名の江ノ島鎌倉観光時代最後の新車となったほか、
1200形は日本の1067mm軌間の電車の完全な新車として最後に製造された
釣り掛け駆動車である。

1500形では、カルダン駆動の採用のほか、制御器に弱め界磁が導入され、
マスコンの加速段が3段から4段に増えた。
塗装もクリームにオレンジと赤の細帯で区別されていた。

平成15年よりリニューアル改造を実施しており、車内への車椅子スペースと
各ドアへのドアチャイムの設置のほか、塗装をグリーンとクリームの
ツートンカラーに金色のステンシルを入れたものに変更している(広告電車除く)。


ヘッドライトが四角くなった1200形。


カルダン駆動車になった1500形。広告塗装車。




富山地方鉄道 16010系電車

2008-01-20 20:13:30 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
平成7年に西武鉄道の初代「レッドアロー」5000系電車(※)を譲り受けたものである。

台車やモーター、運転台機器など走行に必要な部分は、
10000系「ニューレッドアロー」に流用されたため、
同時期に廃車になったJRの特急用電車の台車やモーターなどの主要機器を、
運転台には、同じく廃車になった京浜急行電鉄1000形電車のものを
流用している。
また、普通列車などにも使用されるため、運転台には種別・行き先表示機が
設置された。

編成は3連2本が登場している。
改造時に各々の先頭車1両が電動車に改造されている。

車内は西武時代そのままの回転リクライニングシートであるが、
暖房の増強が行われている。
デッキと仕切り戸の自動ドアも残され、車内販売準備室とトイレを
封鎖しただけであったが、後にそれらを撤去して、
片方の先頭車に4人用の向かい合わせの座席を設置した他、
もう一方には自販機とゴミ箱を設置している。

登場当初は3連でトップシーズンの特急列車を中心に使用されたが、
利用客の減少に伴い、持て余すようになり、オフシーズンの
冬場に至っては、運行されないことも多かった。

他の車両の老朽化が進行し、より効率的な車両運用を目指すため、
平成17年から18年にかけて再改造が実施された。
主な内容としてはワンマン機器の設置とそれに伴う、
デッキ仕切りの一部撤去、2連でも運行できるように、
中間車の機器を用いてモータの無かった先頭車の電動車化と
連結部連結器の交換などである。

これにより、稼働率が向上し、日中の列車にも常用されるようになった。
一方、編成を外れた中間車は増結用となり、オフシーズンは
稲荷山工場で留置されている。
先にも記したとおり、アルペンルートの利用客が減少しており、
昨今ではトップシーズンでも増結しない場合がある。

(※)西武鉄道5000系「レッドアロー」
昭和44年に西武秩父線の開業に伴って登場した、西武鉄道で初めての本格的な
特急用電車である。
独自の正面デザインと大きな側面窓が特徴で、翌年には鉄道友の会より
ブルーリボン賞を授与されている。
ドアは折り戸で、デッキと客室の仕切り戸には、オレンジ色のアクリル製の
自動ドアが採用された。
車内は回転クロスシートであったが、昭和53年ごろに簡易リクライニングシート、
昭和57年ごろに、それを段バケット式にし、昭和63年ごろにフリーストップ式
リクライニングシートに、改装されている。
当初、4連で登場し、トイレや車内販売準備室(平成5年のニューレッドアロー
営業開始まではカート式での車内販売があった)は飯能側1箇所だけだったが、
昭和48年から行われた6連化の際に、池袋側にも増設された。
昭和63年の改装時にはカード式の公衆電話機が運転台直後のデッキに設置された。
走行関連機器は同時期に製造された101系電車と同じもので、
併結運転も可能であった。
平成4年に天皇陛下が秩父を行幸された際、お召し列車に用いられ、
モハ5007号の窓と車内が改装され、そのまま引退まで一般営業でも用いられた。
10000系「ニューレッドアロー」の登場で、平成7年にさよなら運転を行い、
引退した。
廃車後、台車などの機器は後継の10000系に使用されたり、通勤用の9000系にも
流用された。

えちぜん鉄道 MC-1101形電車

2007-11-26 14:03:52 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和24年に登場したホデハ1000形の車体の老朽化に伴い、
その走行機器と阪神電鉄5101形電車(※)の車体と機器の一部を
組み合わせて京福電鉄時代の昭和61年に2両が登場した車両である。

車体については導入に際し、ワンマン化、中扉を埋め込んでの
2扉化を実施している。
車内はロングシートである。
導入当初は種車の機器をそのまま使用したため、釣り掛け駆動車であった。

平成10年に機器の老朽化から、豊橋鉄道で廃車になった車両の部品を購入し、
主制御装置と台車の交換、駆動方式のカルダン駆動化、冷房化を実施している。

平成13年に正面衝突事故を起こして1101号が廃車になっている。
尚、この事故で京福電鉄福井支社所属の路線が運行停止処分となっている。

その後、京福が福井地区での鉄道営業から撤退し、第3セクターのえちぜん鉄道に
引き継がれるが、事故に遭わなかった1102号は、そのまま譲渡されている。

えちぜん鉄道移行後もブレーキの改修が行われている。
この改修や前の高性能化などで、なぜか、阪神時代の性能に戻りつつあるという、
不思議な車両である。

車内には薄型テレビが4箇所あり、夏季のビール列車などの
イベント列車には優先的に用いられている。
これは、2扉で扉間がロングシートであり、単行で走行できる唯一の車両である
為である。

現在、6000系列が主力となっているが、それらに混じって日中でも
走っている姿がよく見られる。

※阪神電気鉄道5101形電車
昭和34年から35年にかけて登場した各駅停車用ジェットカーの量産車である。
5101形は、主に増結用の両運転台車で、ほぼ同型で片運転台2両編成の5201形も
存在した。
塗装はクリームとブルーのツートンカラーを初めて採用し、後に「青胴車」と
呼ばれる各駅停車用ジェットカーのはしりとなった。
5201形のうち、5201+5202は阪神初のステンレス車体を採用し、
「シルバージェット」の名前で親しまれた。
昭和49年から機器の老朽化に伴う、駆動装置の改修を開始したが、
同時に冷房化の問題も浮上したため、途中で中止になった。
結局、車両の年齢を考慮した上で、新車に置き換えられることが決まり、
昭和53年にシルバージェットが廃車になって以降、順次、廃車となり、
昭和55年~56年にかけて全廃となった。


江ノ島電鉄 300形電車(305+355)

2007-11-11 20:45:40 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和31年から43年にかけて、路面電車タイプの電車や他社から譲り受けた電車の
部品等を使用して作られた江ノ電で初めて製造された連接車である。
江ノ電では混雑時に続行運転を行ったり、2両連結の電車を走らせたりしていたが、
前者では輸送力不足、後者では輸送力過剰な上に沿線に多数ある
急カーブや増結に対応しづらいなどから、2体連接の電車を
入れることにしたものである。
全部で6本登場したが、上記の通り、改造車である為、
同じ形式ながら、経歴などは全く異なる。

ただし、機器類については極力、共通化が図られ、300形各編成はもちろん、
旧500形電車との連結が可能で、フレキシブルな運用が可能であった。

後年の改造により、冷房装置の搭載、ブレーキシステムの更新、
台車や駆動装置の高性能化など、多岐に亘る改造を繰り返し、
現在は新鋭の電車とも連結が可能なようになっている。

現存する305+355編成は、京王電鉄の旧型車のフレームを用いて、
車体を新製したもので昭和35年に登場した。
台車の枕バネにはエリゴバネという、コイルバネにゴムを巻いたものを
採用していた。
側面の窓にバス窓を採用し、300形電車各編成の中でも、最も垢抜けた
デザインをしていた。
ヘッドライトは正面上部に埋め込まれた1灯式のものであったが、
昭和55年に現在の形態に改修されている。

平成元年に車体更新と冷房化を実施し、当時の最新鋭車と同等の
カルダン駆動の冷房車になった。
ただし、床は板張りのままで残され、現存車では唯一の存在となった。
平成10年には制御装置が再度更新されて、ブレーキが電気指令式になり、
1000形以降の電車との連結が可能になった。

この際に運転台も機器を交換したが、ツーハンドルのまま新品に交換している。
旧型車としては最後まで残った編成であるが、海岸を走るため、
車体の腐食が進みやすいことなどから、今後の去就が注目されている。



福井鉄道 120形電車

2007-11-03 23:00:33 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和25年に福井鉄道が自社発注の新車として登場させた車両である。
終戦後、希少になっていた鉄道用資材を極力節約しつつ、
かつ新型車を作り出すため、窓の寸法や機器類などを規定した
「戦後規格型」仕様で登場している。

正面は非貫通3枚窓で運転台は路面電車の様に正面中央部にある。
前後に運転台がある両運転台式で、登場時からしばらくは、1両で運転された。
主に福武線で運行されたが、南越線、鯖浦線でも運行されたことがある。
ドアには福井市内の路面区間で使用するドア連動ステップを装備している。
外装は鋼鉄製だが、内部は木製の半鋼製車体を採用している。
座席はロングシートである。
云うまでもないが、冷房は無い。
121と122の2両が登場している。

昭和47年に150形電車(昭和41年に名古屋鉄道3000形電車(※)の車体を
譲り受けて改造したもの)と
2両連結にする改造を実施している。
そのため、前後で車体が大きく異なっていた。

この改造により、車体番号を以下の通りに変更した。

←武生新 121-1+121-2 122-1+122-2

150形から改造された福井側の車両は、当初、モーターが無く、
クハ121、122を名乗ったが、後にモーターを取り付け、
上記の番号になっている。

平成4年に第1編成が廃車になった。121-2は解体されたが、
121-1は西武生の車庫で倉庫として残っていた。

残った第2編成は平成9年に、機器更新で不要になった200形電車の
台車とモーターを譲り受けて、カルダン駆動化され、122-2は番号は
そのままでモーターを外された。

長く福井鉄道に在籍した車両であるが、晩年は予備車の予備車といった感があり、
主に朝ラッシュ時に使用される程度であった。
平成18年に名鉄から譲られた路面電車の運行が始まると、休車になり、
同年6月末に行われた80形とのさよなら運転で引退した。

引退後は解体処分される予定であったが、モハ122-1号は南越線を走った車両の
最後の生き残りということもあり、越前市内の個人宅にて保存されている。

122-2号と、西武生車庫で倉庫になっていたモハ121-1号は、
前者がさよなら運転後に、後者が路面電車搬入時の留置場所確保のため、
解体された。

※名鉄3000形電車
昭和4年製で現在の名鉄三河線の前身である三河鉄道で登場した車両である。
名鉄との合併後に、モ3000形に改称された。
いわゆるHL制御車であり、主に三河線や各支線で使用されたが、
車体の老朽化に伴い、3700系電車へ機器を供出し、昭和41年に廃車になった。

富山地方鉄道 14760系電車

2007-11-02 13:04:25 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和54年に富山地方鉄道が導入した車両である。
昭和56年までの間に2両編成7本14両と同型の制御車クハ175号の
計15両が製造された。
同社の電車で初めての冷房車となった。
昭和55年には鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。

基本設計は10020系電車のものを踏襲しているが、
デザインは一新された。
正面の窓が大きくなり、方向幕や種別表示が窓の内側に入り、
その周りを黒く塗りつぶした当時の流行デザインを
取り入れている。
また、側面の窓にはユニット式の2段窓が採用された。

車内は扉間が転換クロスシートで車端部がロングシートであった。
しかし、10030系電車(京阪電鉄から譲受)の導入で特急運用に就く機会が増えたため、
車端部もクロスシートにする改造が一部で行われた。
この中には新幹線0系電車から発生した簡易リクライニングシートを装備したものもある。
ワンマン化に伴い、運転室後部に運賃箱と料金表を設置した関係で
その部分については座席が撤去された(一部残存している車両もある)。

台車は空気バネ台車で駆動方法は中空軸平行カルダン、主制御装置は
抵抗制御で、ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用している。
勾配区間での出力を稼ぐため、2両とも電動車となっている。

塗装は雷鳥をイメージした白をベースに窓周りにグレーと
細いエンジ色の帯を入れたものを基本としているが、
一部の編成ではグリーンとオレンジイエローの
ツートンカラーに塗り替えられている。

現在も尚、富山地方鉄道の主力車として全線全種別で運行されている。

クハ175号は登場時より、増結用である。ラッシュ時とトップシーズン以外では
運用に就く機会は少ない。
この車両の連結部には貫通路がない(連結相手の車両に貫通扉が無いため)。


塗装変更された車両。背後は立山連峰。