木曜の夜は神社で会議がありました。
今後の役員をどうするか、って議題です。
体調を崩している代表の代わりを誰が担うのか…。
話しは途切れとぎれ。
重い。
沈黙の時間が流れます。
若い人を受け入れようとの声もありましたね。
何かがもらえるワケでも無し。
完全な奉仕の任務。
でもね、穏やかで幸せな地域でありますよう願いを込めて日々通うのでございます。
いつまで頑張れるのか、それは自分にもわかりませんがね。
大事な場所だから。
木曜の夜は神社で会議がありました。
今後の役員をどうするか、って議題です。
体調を崩している代表の代わりを誰が担うのか…。
話しは途切れとぎれ。
重い。
沈黙の時間が流れます。
若い人を受け入れようとの声もありましたね。
何かがもらえるワケでも無し。
完全な奉仕の任務。
でもね、穏やかで幸せな地域でありますよう願いを込めて日々通うのでございます。
いつまで頑張れるのか、それは自分にもわかりませんがね。
大事な場所だから。
木曜の雄冬。
雪に埋もれると書くにはまだ早いですね。
道路以外でも普通に歩けるもの。
ほら、神社の石段もハッキリ見えています。
そこに向かう急な坂道。
神社へは途中から左に折れるのですが、郵便局は真っ直ぐです。
無事募金箱を回収致します。
今年もお世話になりました。
ありがとうございます。
その先には診療所。
増毛の市街診療所の出張所って位置づけの建物がひとつ。
Dr.コトー診療所の舞台になったところ。
元々はテレビドラマでしたね。
2003年と4年、そして6年に放送。
その後、2022年には続編が映画として制作されるの。
離島の診療所って設定だけど、ここも十分その雰囲気がありますから。
募金箱は郵便局4か所のほか、駅前の観光案内所と行政機関に3つ、福祉と医療機関、セブンイレブンにもお願いしました。
多いところもあれば、ほぼ空ってところも…。
反応はそれぞれ。
みなさんの興味を引くような仕掛け。
そこも検討しなきゃならない課題です。
どこにお願いするかも含めて考えます。
それにしても降りましたな。
後は、吹雪かず静かに積もってくださいませ。
あ、量は普通でお願い致します。
金曜の札幌。
診察を終えた家族から連絡が入ります。
移動時間は3分、いや信号待ちを入れると5分ってとこかな。
増毛なら1分と掛からない距離だけど。
都会は過ごしやすいのですかね。
田舎暮らしを続けているワタクシには、全てが便利に見えてしまいます。
医療に教育、住宅、買いもの。
交通は、都会でもバスの便が減少しているからなぁ。
中心地に近く無きゃ不便に感じることもあるのかも知れません。
いくつになっても車が手放せないのは、札幌でも増毛でも同じってことか…。
さて、お昼をどこかで食べなきゃなりませんな。
南6条11丁目の角。
このビルの1階には番屋って居酒屋がありました。
最後にお邪魔したのは6年ほど前のこと。
何度も通ったなぁ。
結構好きなお店だったのに、それから間も無くお店が変わっちゃって…。
さらに今はテイクアウトのお店ですか。
ハンバーグかな。
都会も厳しいのですね。
懐かしいところがどんどん消えて行く。
どこ行こう。
馴染みなど全然無いから。
とりあえず近いところで探します。
与野党逆転で政権を取るチャンスもあったのに。
他の野党との差別化を選び、ジミン党側に近付く独自路線に向かってしまう。
政治は結果…。
確かにその方が近道なのかも知れません。
過半数を取れなかったジミンとコウメイの連立政権が、言うことを全て飲み込んでくれるのなら…。
「手取りを増やす。」のキャッチコピーで人気を得た政党。
大躍進ではありますがね、主導権を取れるところまで行けるとも思えないけど。
大きく変わる…。
そう宣言して動き出したかに思えたジミン党だって内部は大変そう。
変わることがあるのですかね。
それとも何も変わらないのか。
期待するだけ疲れます。
もう消えないっしょ。
舗装路面を見ることは無いかも知れませんなー。
これから暫くは、圧雪状態の白い道が続きそうです。
予報もずっと氷点下。
木曜の増毛は吹雪き。
別苅から雄冬に向かって厳しさが増しているような感じです。
そんな時にはトンネルが役に立つの。
この中だけは吹雪かないから。
ホッとする空間です。
だけど、黒い路面が凍っている時もありますので進入は慎重に。
滑るって前提でハンドルを握ります。
岩老地区の信号。
ここには漁港と町営・民間の温泉施設があります。
残念ながら雪の季節は温泉が休業してしまうの。
冬こそ温泉だとは思いますがね。
20度にも満たない冷泉ですから、沸かし続けるのも大変です。
吹雪いているけど、まだまだ少ない路面の雪。
走るには全然問題ありません。
なんて。
そんなことを書いているとドカッと降りそうです。
雄冬到着。
さあ、郵便局まで坂道を上がります。
ずっと見てみたいと思っていた原爆ドーム。
広島入りして4日目にして初めて目にしたのですがね。
10分少々で来れるほど近く宿と取ったのに、最終日にしてやっと…。
夜だって来ることは出来たんです。
いけませんなー。
どうしても見たくて来たのに、反省から始まってしまいました。
なのに、最終日は時間に追われ、疲れも少々。
ここを駆け足するのは違うんだよなー。
そう思いつつ、大勢の流れに沿ってしまいました。
周辺施設の調べも弱かったです。
どこに何があるのか。
外観だけじゃ無い…、歴史を刻む展示品の数々も見逃してしまいます。
ここに世界で初めて原子爆弾が投下されたのは、1945年8月6日のこと。
周囲の建造物は一瞬にして全壊し、多くの尊い命が無差別に奪われた日。
もう80年が過ぎようとしているのですね。
このドームは、悲劇の象徴として存在するのでしょうけど、しっかりと見なければならない資料館が別にありました。
行くことは出来ませんでしたが、次回に向けて少し調べておきます。
原爆の惨状を伝える目的で、広島平和記念公園の敷地内に設立された施設では、原爆投下前の広島市のようす、原爆投下の歴史や被爆犠牲者の遺品などに関する資料・写真が展示されているもの。
本館と東館からなり、本館は重要文化財指定を受けているとか。
ここから平和記念公園へと移動し、原爆死没者慰霊碑へと進むのですが、周辺にはさまざまな願いを込めた像や塔が続きます。
世界遺産となった原爆ドーム。
ここから原爆死没者慰霊碑、平和記念資料館本館へと南北軸線上の眺望景観が、平和都市広島を象徴する景観として次世代に引き継ぐべき大切な存在となっていることも知りました。
まちづくりへの情熱は、多くの人の手で行われるもの。
ここには改めて訪れたいと思います。