ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

闘い終了。

2016-11-02 09:46:00 | 猫病気
曇り。

昨夜はふじこに輸液を入れすぎて、乏尿にならぬかと後悔の一夜であった。
ふじこは律儀にも一時間ごとにトイレに入り、そこで倒れて、
夜中から明け方までが私がベットに戻す事をを繰り返していたが、
明け方から朝までぐっすりと深い眠りに入った。(2時~8時)
頭はしっかりしていて、
その後、酸素テント越しにとことこ歩いているやいやいの姿を認め、
「にゃあ」と声にならない声を上げた途端に、大きく嘔吐反射と痙攣し、気絶したようになってしまう。
その後もベットに寝かせ、落ち着いた頃に離れて、何度もそっとも見に行ったが、
しばらく私の寝かした時の形で寝ていたのだが、9時半にはトイレで倒れて、冷え切っており、
またベットに戻して最期が近い事を覚悟した。
それでも、これが最後だろうと、楽になってほしいとステロイドとファモチジンの注射をした。
輸液は体に残り、するのは危険だと判断した。

そうこうしているうちに正午になり、
ふじこはすやすや形を整えたまま眠っていたので、
インコの水をいい加減変えねばならぬ、
インコの世話も簡単でもしなくてはこれも虐待だと、インコの水を一部替えたところで、
きーじの鳴き喚く声が聞こえ、
ふと胸騒ぎがして、再びふじこを見に行くと、
酸素テントの中からきちんと出て、そこから30センチくらい離れた冷たい床の上で、口をあけて絶命していた。(12時5分)
乏尿を恐れていたが、きちんと尿も出ており、それがビリルビン尿で腰の白い毛をまっ黄色く染めていたこと、
開いた口腔内の色、血の気のひいた耳が、大腸がん肝転移の故義兄くらい黄色かったこと、
壮絶な苦しみから、ようやく解放されたのだと思うしかなかった。

身体は温かく、死ぬ瞬間を付き合ったわけではないので、横たわったその体を見ても、
その死を信じられないのだが、
一人で苦しんで逝ったのか、可愛そうと思えども、
飼い主孝行の猫であって、最期の苦しんでいる瞬間を見せなかったのだと、自分を納得させるしかなかった。

猫を綺麗にし、自分の髪を一本首に結び、

夢中になって酸素テントを片付け、捨てる物は捨てて、洗えるものは洗濯もし、
日常に戻るんだと、

庭に来たメジロをガッカリさせたくないとミカンをあげて、






火葬場に連絡を入れ、ようやく気持ちが落ち着いた午後に、先生に亡くなったことを報告をした。
F先生のおかげで一瞬でも希望が見えた事、猫が遥かに楽になった事、この最後の2日助かったと思う。
コメント (4)
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