ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

あの日。

2015-03-11 09:10:07 | 日常
気温は低いが青天、震災4年目。
午前中はとにかく寒くて堪らない。
久しぶりに石鉢に氷が張る。

震災の年に植えたひょろひょろのオリーブが2階の高さに届くようになった。


茨城・千葉の忘れられた被災地にての話ではあるが、
あの日は田舎の母が地元の拠点病院で抗がん剤治療の途中の出来事だった。
母は点滴を刺したまま看護師さんに誘導され建設中の棟に移動した。
地元の病院の前の海岸では津波で人が行方不明、病院の上の階からは津波が見えたと患者さんは言う。
そして電話がつながらなかったり、物不足、停電、断水、被災した人は自家発電している病院のトイレや売店に来たので混雑していた。
母方の親戚も、母の病室のつながっているテレビで初めて自分達の被害を知った。
個人的には、病院の先の浜のがれきの山と、その近くの一階が津波で半壊した建物に人が住んでおり、二階窓部分にでかぷのようなお腹が白っぽい猫がいたのが記憶にある。

父を預けていた田舎のグループホームも被災して、検査するまで亀裂のある建物に入ってはいけないとのことで、
父達老人は数日駐車場で毛布をかぶり、この家から水を入れるタンクをありったけ買い占めて行ったのだった。
しかも、あちこち道は復旧していないで通行禁止が多かった。
叔父の家も断水、停電で、普段の倍の時間で簡単な食糧を運んだものだった。
応援するにも車しか交通手段がないので、こちらのガソリンスタンドには列ができた。

結局、その後、母を田舎の病院から癌研に転院させたが、癌研の頃もしつこく大きな余震が続いていたし、
初診の日は、母と東京湾の帆船も観て記事にもしたが、その日は新聞によると東北の被災者の御遺体を地元で間に合わずに東京の埋め立て地の斎場で火葬していた。
また、癌研では被災者になられた方の為に、継続できるようにがん治療などのコーナーも設けられていたと思う。あの被害と混乱では、そこに無事にたどり着けたのだろうか。普通の状態でも転院は大変なものだから。
結局、生きようとした母は、約5か月後にまた田舎の病院にて死んだのだった…。
旦那も震災の復興に関する仕事が入り、不眠不休で家にも帰れない時期もあって、母の最期の頃に重なり時間的、気持ち的にも大変だった。
考えもしなかったが、今年は病気ひとつしない義兄が同じ時期に癌研で抗がん剤治療。
人の運命は予測がつかない。

4年前のあの日、この町内でも数軒先、何軒かの屋根が落ちた。
いきなりの大工さん不足で、わが家も震災から2年経ってからようやく家を大工さんにみてもらった。
あの年、叔父の田圃はガタガタになり、また収穫時には叔父の田圃にセシウムの検査が入り、故人の母でさえ病床で大いに心配したものだった。
県内ではすでに人参やほうれんそう、たけのこで検出され、あそこで検出されれば農家をやめ一家離散だったと思う。
多少の家の亀裂以外に何の被害のない私でも、2011年は自立不可能の体の病気と頭のおかしい両親を抱え、葬式もし、ヘルパーに詐欺にあい施設を変えで忙しく、相談した身近な親戚も震災の後遺症で、自分達の立て直し作業で必死だった年だと思う。

今だから、東北でなく関東なのに、こちらでもガソリン不足や帰宅困難とか、コンビナートの火災で夜でもその方角が明るいとか、計画停電の表がまわってとか、カップラーメンだけが店から消えてとか、細かい事をダラダラと思いだすが、当時は書く気力もなかったし、出来事をネットで盛大に発信しつぶやいている個人は大勢いて、その情報の受け手だった。
旦那は当時の仕事の関係上とボラで大熊町に出向も可能だったが、私も行っていいよだったけども、末期の母が行かないでと泣き叫んでいた。

あの頃はとにかく毎日が公私とも良くないニュースが続きで、悲惨な映像(人も生き物も)がだんだん明かされるにつれて、
決して無気力ではないのだけど、自分達だって天災から逃げ切れる自信があるわけでもないし、
最後はその後の余震がいくら来ようと、毎度教えられたテーブル下とかにもぐらず、
「天災には人はかなわない。こちらの地方もいよいよか。」と覚悟してしまい後半は何もしない始末だったという…。
そして覚悟してたら、しつこい余震が徐々に減っていった。
あの年は、母の通夜で棺桶の側で番していても、何度もしつこく揺れたのだ。線香に気をつけるくらいでやりようもない。
いや、当時は被害が無くても、脳があまりに続く船酔い状態で酔っ払い健全でないだけで、
本当は諦めてはいかん、生きたくても生きれない事もあり、けっして命を粗末にしてはいけないです。
震災で亡くなった方のご冥福を祈ると同時に、
今、生きてる、生かされているのは、あたりまえなようでいて、平凡なようでいて、毎日が奇跡の連続、
今夜の震災の特集番組の津波映像のビデオを観てそう思う。


さて、猫達は庭に撒いた玄米から出てきた苗に夢中。



麦同様、かなり美味しいみたいです。

あとは、デブ旦那の椅子、ついに肘掛が壊れた、肘を取り外し、クッションもありあわせの紐で縛り動かないようにした。
見ていてイライラするのでもっと早くするべきだった。


それとソデジロインコの信頼を取り戻すべく、

カシューナッツで誘導、手は噛ませ放題、



無事に肩に誘導。当分繰り返すしかない。

明日は氷点下だそうだが、部屋が暖かくなると、



松ぼっくりが発生、実際、松かさ程度の大きさしかない。

猫はもじゃ公が現在毛玉放題で、

きーじの寒がりぶりが異常。

カバーをはずしたままだが、こんなにくっついて焦げないのか?
コメント
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