平成27年から始まった町内会館の建設委員会。
メンバーの1人として検討を重ねてきた。
女性の代表ということでなんとも責任の重い立場。
検討項目が多く、なかなか進まず建材料の値上げ問題が
一番のネックだった。
途中 中断してしまい、委員としては区民に申し訳なく感じていた。
何せな~がい間 土地の所有者も不明。法務局や役所に
役員が出向いてくれ良く調べてくれたと感謝。
建設委員長や書記は、目に見えない多くの問題で
随分 時間を費やしたと思われる。
誰にも出来ることではなく、区民の1人として心から敬意を表する。
もともとは、地元の浅間神社としてお守りしてきた。
田舎なので山の神・おひまち等に利用されていた。
部落の集会場所であった。
新年会や運動会の打ち上げも行われた。
今は子供の数も少なく、子供会もなく、婦人会も解散。
浅間神社の鳥居は、父が奉納した立派なものが
今回 会館建設にあたり取り除きたい旨のお話があり。
爺と相談したが、会館に名も変更し車も乗りいれ可能にし
防災時の救護場所としての活用も考えると、撤去せざるをえない。
父が爺婆の結婚を機に奉納したもの。
額も著名な書家に依頼したもの。
撤去作業前に爺と2人で記念撮影しておきたかったが
入院中ということもあり、残念だった。
心ある方が撮影しておいてくれ感謝。
地鎮祭も終わり12月1日より本格的な工事は始まる。

鳥居の色は実際にはもっと鮮やか?

来春4月には完成予定
事故のないよう 見守っていきたい。
サロンの活動も楽しみにしたい。
う ふ ふ
旧家でも名家でもなく、田舎のただの家。
そこに住むただの田舎の爺と婆ですよ。
家族にとっては思い出深い鳥居でしたが、これから
先のことを思うと撤去も仕方のない事でした。
せめて額は欲しかったですが、最近は鉄が高値で
取引されているからでしょうか?
知らぬ間に外されていました(涙
寂しい気持ちの分だけでも、立派な会館になって
欲しいと願っています。
会館建設委員会の女性代表の委員のお立場もよくわかります。立派な鳥居もご寄付されたんですね。
しかももおばさんさまのご結婚のお祝いの記念として父上さまが。ご奇特な方だったんですね。
もう会館の本格工事が始まっていることと思いますが、事故なく完成されますようお祈りいたします。
思い出が詰まった鳥居でしたが、区民のためならと
私達夫婦も納得しました。
内心穏やかではありませんよ。
理屈では十分理解はしましたが、人間て感情が
伴うでしょう!❣厄介なのね。
新しい会館が出来る日を楽しみに、しています。
写真だけでも残ってよかったですね。
新しい会館ができるためには仕方がないのですね。
無事に完成しますように・・・(*^-^*)
私達家族にとっては思いで深い鳥居でしたので、
撤去は誠に無念でしたが、区のためなら仕方ないと
主人共々承諾しました。
新しい会館が出来るのを楽しみにまちます。
建設いよいよですね。
ご苦労様でした。
父君様も、いろいろ、思いがおありでしょうが、
新しくなれば、お喜びでしょうね。
我が家の裏からみえるお社
あの場所なんです。
父の思いが、我が子に対する愛情が・区民の安全を
願った思いが・・・・
すべて無くなり寂しく辛さも残りますが、時代の流れ
逆らえませんね。
完成を楽しみに待っています。
そんな思いの籠った鳥居 残念ですね
会館が建てられるんですね 形を変えて見守ってくれますよ 複雑な思いでしょうね
以前から鳥居が古くなり危険だと、区民が騒いで
いましたが、資金もなく父が名乗り出たでようね。
丁度 私たちが結婚した年に父が奉納し、当時は
区民の皆さんが喜ばれ、地域の安全を守ってきた
筈ですが、時の流れでしょうか?
一抹の寂しさは残りますが、これも仕方のない事
事実を受け止め、せめて写真と当時の感謝状は
残しておきたいと考えています。
元自治会長さんも奇特な方ですね。
大した人物でもないのに、皆さんのお役に立てる
この歳にしてそれは幸せなことかも知れないと
考えています。
会館も区民が災害の避難場所としても利用したい
希望もあり行政と相談した結果で車の乗り入れを
・・となると⛩の撤去が必要かと。
心はひどく傷ついたことも事実よ。せめて移動して欲しかったですが、主人も弱くなった今、逆らうことも諦めました。
反面 神社の主が怒っているかとも考えてしまい
心が寂しい気持ちに落ち込んでいました。
完成し皆さんが喜んで下されば、良しとします。
ただ、時の流れもありますね。
くちこ自治会も、子供会、かなり前から無いです。
自治会館、ずっと廃バスでしたが、4年前だったか念願の新築の自治会が完成しました。
市の補助もあり、
土地は、元自治会長さんがポケットマネーで土地を購入して寄付されました。
ビックリでしょう?
地域のいろいろなお役が廻って来るのですね。
大変ですが、皆様は助かると思いますよ~~
無理のないように、ボチボチと・・・
ところで、立派な鳥居・・・
移転ではなく、撤去ですか?
ちょっぴり寂しいですね。
今の時代、車社会で土地利用に工面されるのでしょうが
まだおば様たちがご健在です。
記念の鳥居ですのにね。
仕方がないのでしょね。
おばさま方は、これに逆らってこれからも図と長生きをなさって下さいね
私も頑張りますから・・・
長くかかってしまいましたが、やっと建設がはじまり
ほっとしています。
鳥居が撤去された事実は寂しくもあり悲しくもあり。
せめて 額だけでも欲しかったわ。
これからは、地域の方々の憩いの場として活躍して
見守って欲しいと願っています。
旧家か否かわかりませんが、父が私たちの結婚を
お祝いして奉納したもので、今まで地域の人々を
優しく見守ってくださっていました。
お社でお祀りごとを続けていましたが、最近は
それも希薄になり寂しい限り。
鳥居に書かれた額の字も価値あるのだったと思いますし、奉納者の名前の書かれた版もいつの間にか
なくなっていました。銅板は高価だった時代
何方かの手に渡ったようです。
せめて 我が家で保管したかったですが・・・・
世のなかには賢い方もいるんですね。
主人も弱くなった今は、誰も恨まずせめて会館が
早く完成することを祈るのみです。
多くの方々をずっと見守りくださった神社も
時の流れで壊し、災害時の避難場所にもなる・・
そこまで言われると承諾せざるをえませんでした。
我が家にとっては、思い出深い神社でしたが、仕方
ないのかもしれません。
いつまでも心の中に生きています。
父の思い出と共に。
完成が楽しみです。
誰よりも楽しみにしているのが主人です。
父が奉納した鳥居が壊され、我が家にとって大切な
場所でしたので、思い入れも大きくそれまで
元気でいて欲しいと願っています。
サロンの活躍も楽しみです。
各地で建設が中断されたニュースを耳にしますが
悲しく空しいものですね。
矢張り憎むべきは戦争ですね。
この物価高騰は全世界に悪影響を及ぼし、頭の痛い
お話です。
今まで地域の皆さんのお役に立った鳥居も・・・
残念ですが仕方ないのかも。
思い出がまた一つ消えていきます。
でも 脳裏に刻まれた思い出は、ずっと残ると
信じています。子供たちにも話してあり、現物も
しっかり観たので、きっと思い出として残ると信じています。
これが時代の流れって言うものでしょうね。
せめて額や奉納者といわれを書いた版は欲しかったのですが、解体前に誰かの手に渡ってしまいました(涙・涙です)
時代の流れで仕方ないとは言え、寂しさが
残ります。我が夫婦にとっては一層募ります。
頭では理解できていますが、感情が・・・ね。
子供たちにも、貴方がたのおじいちゃんは立派な
人だったと話してあげました。
歴史はこうして作られていくんですね。
そうでしたか。
建設会社にお勤めなさっていたんですね。
設計図が出来るまでは、多くの意見が出され
委員長さんは大変でしたが、長きにわたって継承していくものですから、時間をかけて検討も必要ですね。
歴史は流れるものだと、しみじみ・・・
感無量になり、思わず涙が流れました。
奉納 当時は誰もが喜び大変感謝された父でした。
時の区長が、鳥居が木造で痛み危険なので、困って
父に相談して決めたことでした。
当時を知る人も少なくなり、会館建設には不用
邪魔だという意見が出されショックでしたよ。
車の乗り入れや、車いすの方のことも考えると
仕方ない事かもしれません。
潔く (しぶしぶ)決断した主人です。
額は欲しかったのですが・・・・
心はメランコリー 也。
工期完了の暁には、主人に見せたい。
会館として新たな時代を踏んでいくんですね。
とまどいもあったでしょうが 決断されましたね
会館建設 無事に出来上がりますように
サロンの活動 楽しみですね
結婚を機に「鳥居」を【奉納】って信じられませんね~!。🤩
おばさま家は、代々「部落」の「名士」の家系なんですね~!。
子供の結婚で、鳥居を奉納するなんて~!、ビックリ~!。
ならば「額」だけでも、御下げ(下賜)で頂けませんかね~?。😥
おばさま家の「家宝」にして下さい。goo!
デモ今までずっと地域と神様を守る大事なお役目を果たしてきたのだと思います。
世のなかが移り変わるというのは 寂しいと思うこともありますが お役目ご苦労様と見送ってあがけるのも 大切な考えなのかもしれません
でも 鳥居に込められた思いは形のないものですが永遠ですね
楽しい催しなども出来ていいですねら
その中心メンバーであり、責任者という大変重いことを、引き受けていらっしゃる〜
頭が下がります
頑張ってくださいね
ご主人様もお元気になられて一緒にまた、会場で活躍して下さい
どこも、建築資材の高騰で、中野サンプラザや
さいたま市の大学病院の建築がとん挫したとか。
サロン活動もますます盛んに、完成が楽しみですね。
せっかくの浅間神社の鳥居、どこかに移動できたらよかったですね。
写真にすると色が変わってしまいますが、まだまだ朱色の鮮やかな色を想像しています。
そんな記念の鳥居なのに、どこかに移築して保存してくれたらよかったのに・・・とおもちゃいました。
寂しいですね。
寂しいですね😢
お父様がおばさまご夫婦の記念に建立された鳥居ですか・・
地域のための英断でしたね
思い出はおばさまの胸の中に残りますね
後は会館が無事に完工されますようにと祈ります
ヨボ爺も昔、建築会社に勤めてた関係もあり
町内会館建替えの建設委員をやりました
団地造成の会社から寄贈された土地でしたけど
図面が出来上がるまで色んな意見があり
まとめるのに苦労したことを思い出しました。
昨今の原材料高は、こちらでもあちこち工事、中途半端、を見かけます。
それでも、何とかそこまでこぎ着けた。何よりでした。
、、と、手放しでも喜べない事も、でしたのね。
記念奉納なさった、それもご先祖ではなくお父様!
まさに記憶はそこに、と言う方の物では、どれ程のためらいもおありだったことでしょう。
それでも、やむ無く、は、、地域のために、のご決断でしたね。
思いも汲まれた会館は、来春!
こうなると完工が待たれる❗️
支障無くその日が迎えられますように、、
それまで、健康でらあられますように、ですね。
地域の繋がりも何となく薄くなっていくような、時代がさせるのか、世間情勢が、させるのか、ですが、こんな世の中だからこそ、まとまりや繋がり、大切にしていきたいものですね🎵
会館は、そのためにも大切な場所となりますね😃