30年ほど前にスイスを夫の仕事で行きました。
大きな丸い芝生の山があちこちに見られました・案内して下さった
方がシェルターですと教えてくれました。
私たちは何気なくふーんとのんびりした気持ちで眺めていました。
今は各戸で備え持っているそうです。
日本でも少しずつ注文する人がいますが、数百万円だそうです。
昔戦時中は防空壕を作ることになりました。
下町の我が家は縁の下を掘りござを敷いて、そこに逃げるようにしました。
母の実家では農家なので庭の奥に大きなものを作りました。
従兄弟たちと入るのは、奥にムジナがいるといってみんな入口の近くに
いました。
庭のあるお宅は立派なものが作れました。
ある時空襲警報に驚き慌てて床下に逃げましたが私は足首を痛めてしまいました。
近所の柔道の先生のお宅に診てもらいに行きました。
ほっそりした、小柄な先生で優しくてみんなに尊敬されていました。
父は姿三四郎みたいだと言っていました。
大したことがないけれど、大人しくしていなさいと言われました。
そしてお庭の奥の防空壕を見せてくださいました。
中には食量も少し、入口付近には井戸もありました。
母は流石O先生だねと言って近所の人にも言っていました。
3月9日の夜中の大空襲で我が家は6人お隣の小さな子3人とおばさん
総勢10人で川沿いを逃げて助かりました。
O先生は防空壕で奥様と亡くなられたそうです。
詳しいことはわかりませんでしたが、いまでもおO先生の穏やかな
お顔を思い出します。
これからはシェルターのことを政府が考えてもらいたいと思います。