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涙そうそう・・・筑豊への朝鮮人強制連行の体験者・安承録さんが亡くなったことを知る

2014年05月31日 09時51分05秒 | Weblog
昨日お宅を訪ねると
お住まいには、売り物件と看板が立っていた
昨年末にしばらく入院して
亡くなったと
近所の方が教えてくださった

すぐには涙は出なかった
でもしみじみ思い出すと涙が滲んでくる

初めてお会いしたのは1996年5月「ピースおおさか」で強制連行の体験を話された時である
それからお宅に伺うようになった
1998年には筑豊の住友忠隈炭坑を一緒に訪ねた
「筑豊富士」と言われるボタ山にも登った
足の達者な安さんは早々と「筑豊の強制連行を考える会」のUさんと頂上に登り
私は安さんに手を引っ張ってもらって3番目に登った
安さんは1942年に22歳で江原道の旌善から
新婚の妻を残して筑豊に連れてこられた
国に帰ることなく
お連れ合いを亡くしてから
1人暮らしを続けていた
「百まで7年だから、自分は生きるだろう」と昨年話していたのであった。


細切れに思い出す
若い頃、歌が上手で歌手にと薦められたこともあった
旌善アリランがすばらしかった
遺跡の発掘の仕事が大好きだった
筑豊の朝鮮人寮を訪ねたことが朝日新聞に大きくなり
「人生パーにした筑豊」の記事を
職場で見せたという

私の勤めた府立S高校でも講演してもらった
北九州のさんが人権学習の講師で
来てくれた時、安さん宅を訪問した
安さん夫妻は結婚式をしていなかったので
チマチョゴリ、パジチョゴリをつけて
写真を撮った
私たち夫婦は立ち会い人として同じ衣装をつけて
4人とも緊張の一瞬

まだまだ思い出すけど
またにします
私の思いの残る人が次々と
旅立って行く



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