雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

さあ 山本由伸投手の出番だ!!

2024-03-21 18:57:22 | 日々これ好日

   『 さあ 山本由伸投手の出番だ!! 』

   いよいよ 山本由伸投手の初登板だ
   日本のナンバーワン投手の 姿を見せて欲しい
   その為にも 大谷サーン 
   いろんな思いを 吹き飛ばして
   早いイニングで 援護得点を 頼みまァーす
   大谷翔平選手の 新しい出発の 試合でもあるのだ!!

                   ☆☆☆  

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神官の極楽往生 ・ 今昔物語 ( 17 - 23 ) 

2024-03-21 08:01:34 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 神官の極楽往生 ・ 今昔物語 ( 17 - 23 ) 』


今は昔、
周防国の一の宮に玉祖大明神(タマノオヤノダイミョウジン)と申す神が在(マシマ)す。
その社の宮司に、玉祖惟高(タマオヤノコレタカ・伝不詳)という者がいた。神社の司の子孫だといえども、少年の時より三宝(サンポウ・仏法僧を指すが、ここでは仏道といった意味。)に帰依する心があった。その中でも、特に地蔵菩薩にお仕えして、日夜に念じ奉り、日常の生活において、いささかも怠ることがなかった。

さて、長徳四年( 998 )という年の四月の頃に、惟高は病にかかり、数日病床にあった。そして、六、七日経って突然息絶えてしまった。
惟高はそのまま冥途に向かった。広い野原に出て、道に迷い西東も分らなくなり、涙を流して泣き悲しんでいると、六人の小僧が現れた。その姿は、全員がとても麗しく厳かであった。
それらが、ゆったりと歩いて目の前まで来た。見れば、一人は手に香炉を捧げている。一人は手を合わせている。一人は宝珠を持っている。一人は錫杖を手にしている。一人は花箱を持っている。一人は念珠を持っている。そして、その中の香炉をお持ちになっている小僧が、惟高に告げられた。「汝は我等を知っているか否や」と。
惟高は、「私は、全く存じ上げません」と答えた。
小僧は、「我等のことを六地蔵と言うのだ。六道(ロクドウ・現世の善悪の業によって、衆生が赴く世界。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六界の総称で、迷いの衆生が輪廻する世界。)の衆生のために、六種の姿を現じているのだ。そもそも、汝は神官の末裔だというのに、長年の間、我が誓いを信じて熱心に信仰している。汝は、すぐに本の国に返り、我等六体の姿を像に顕わして造り、心を尽くして恭敬すべし。我等はここから南の方角にいる」と仰せられた。
このように見た、と思うと共に蘇生したが、すでに三日三晩が過ぎていた。

その後、惟高は自ら起き上がり、親しい者たちにこの事を話した。それを聞いた人は皆、涙を流して喜び感激して、尊ぶこと限りなかった。
その後、惟高はすぐに三間四面の草葺きのお堂を造り、等身の彩色した六地蔵の像を造り奉って、そのお堂に安置して、法会を営んで開眼供養を行った。
その寺の名は六地蔵堂(伝不詳)という。この六地蔵の姿は、あの冥途で見奉った姿を写し奉ったものである。遠く近くから、道俗男女が集まって来て、この供養に結縁(ケチエン・仏縁を結ぶこと。)しようとする人は数知れないほどである。
その後、惟高はますます心を込めて、日夜にこの地蔵菩薩を礼拝恭敬し奉った。

やがて、惟高は七十歳を過ぎ、髪を剃り出家入道して、俗世間のことはすべて棄てて、ひたすら極楽往生を願った。そして、遂に命終る時に臨んで、口に弥陀の名号を唱え、心に地蔵の本誓(ホンゼイ・本願)を祈念して、西に向かって端坐して亡くなった。
これを見聞きした人は皆、涙を流して尊び感激した。

また、その頃、三河入道寂照(ジャクショウ・大江定基。三河守、後に出家。1034 没。)という人がいた。道心が堅固で俗世間を棄てている人であった。
その人の夢に、この惟高入道が往生する様を見て、それを人に話した。それによって、「惟高入道は疑いなく往生を遂げたのだ」と、人々は語り合って貴んだ。
実際、神官として神への供え物を私物化する罪は多かったが、地蔵の悲願により遂に往生を遂げたのである。
されば、世の人はこれを聞いて、専らに地蔵菩薩を念じ奉るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする