雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

プロ野球 日米ともに開幕

2024-03-29 19:14:46 | 日々これ好日

      『 プロ野球 日米ともに開幕 』

    メジャーリーグは 今日が実質的な開幕
    早朝には 大谷翔平選手が 見事な再スタートを切った
    ダルビッシュ選手なども 良いスタートが切れたようだ
    夜は わが国のプロ野球が 開幕
    朝も夜も 忙しくなりそうだ

                     ☆☆☆ 

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泣き恋ふる

2024-03-29 08:00:49 | 古今和歌集の歌人たち

     『 泣き恋ふる 』


 泣き恋ふる 涙に袖の そほちなば
         脱ぎかへがてら 夜こそは着め

           作者  橘 清樹

( 巻第十三 恋歌三  NO.655 )
        なきこふる なみだにそでの そほちなば 
                ぬぎかへがてら よるこそはきめ


* 歌意は、「 亡き人を泣き恋うる 涙で袖が びしょ濡れになるので 着物を着替えるついでということで 夜だけこっそり着ましょう 」といった意味でしょうが、この歌は、「返し」となっていますので、贈られた歌と合わせて理解する必要があります。
この歌の前の「NO.654」には、
  「 橘清樹が忍びにあひ知れりける女のもとよりおこせたりける 」
                     読人しらず
 『 思うどち ひとりひとりが 恋ひ死なば 誰によそへて 藤衣きむ 』
とあります。
つまり、「橘清樹が、忍んで逢っている女からの歌」とありますから、人目を忍んで逢瀬を重ねている女性から贈られた歌には、『思い合っているわたしたちの どちらか一人が恋しさのあまり死んだとすれば 身内の誰が死んだことにして 喪服を着るのでしょうか』と呼びかけているのです。
この歌の意味の解釈は、この贈答が深刻なものなのか、言葉遊びのような形でなされた物かによって、ずいぶん重みが変ってきます。

* 作者の橘清樹(タチバナノキヨキ)は、平安前期の貴族です。生年は不詳ですが、没年は 899 年です。
作者の祖父の橘長谷麻呂は、従四位下・弾正大弼の要職に就いています。弾正台(監察・治安などを管轄。)の次官ですが、公卿の地位には昇ることは叶わなかったようです。
作者の父の数雄は、遠江守を務めていますので、従五位下には昇っていたようです。
作者の最終官位は、従五位下阿波守ですが、その前の肥前守と合わせると、晩年の十年余りは守護としての生活で、貴族としては下級クラスですが、経済的には恵まれていたと推定されます。

* 橘氏は、飛鳥時代に、藤原不比等の夫人となった県犬養三千代が「橘宿禰」の氏姓を賜ったことに始まる名門氏族です。
氏族としては、「源平藤橘」(四姓)と称されたり、藤原氏・源氏・王氏と並んで、毎年正月に一族の正六位上の人物の中から一人を、氏長者の推薦により従五位下に叙爵される「氏爵」の対象となる氏族にされていました。作者の清樹は、この制度により貴族の地位に昇っているのです。
橘氏は、もともとそれほど多くの高位高官を輩出していませんが、983 年に橘恒平が参議に就いて三日後に死去していますが、これを最後に橘氏の公卿は絶えています。

* 橘清樹の生きた時代は、すでに藤原北家の台頭が著しい時代でしたが、それだけが理由ではないのでしょうが、橘氏は宮廷政界での存在感を失っていきました。
清樹は、宮廷内の勢力争いなど、直接的に加わることはなかったでしょうが、橘氏の没落が無関係ではなかったことでしょう。
また、清樹の和歌は、勅撰和歌集全体を通しても掲題の一首だけですので、歌人というほどの評価は受けていなかったと思われます。
しかし、そうした環境下だとしても、清樹は生まれた時から受領クラスの家ですから、下級貴族とはいえ守護という経済的に恵まれた生活と、掲題歌のような艶めいた歌を詠み交わすことが出来る、恵まれた生涯だったのではないでしょうか。

     ☆   ☆   ☆

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