大和への道 ( 5 )
皇后を求める
さて、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト・神武天皇)が日向(ヒムカ)においでになった時に、阿多の小椅君(アタノオバシノキミ)の妹である阿比良比売(アヒラヒメ)を娶って生んだ子は、多芸志美々命(タギシミミノミコト)、次に岐須美々命(キスミミノミコト)のお二人がいらっしゃる。
しかし、さらに大后(オオキサキ・皇后)とする乙女を求めることになった時、大久米命が、「この地に、そのような乙女がおります。その方は、神の御子といわれています。そのようにいわれるわけは、三島(摂津の地名)の湟咋(ミゾクイ・地名にちなむ名前)の娘で、名を勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という女性は、その容貌が美しかったため、美和(奈良県の三輪)の大物主神(オオモノヌシノカミ)が一目で心を惹かれました。そこで、その娘が大便をしようとした時に、赤く塗った矢に姿を変えて、その大便をしようとしていた溝を流れ下って、その乙女のほと(陰部)を突きました。乙女は驚いて、走り回ってうろたえました。そして、その矢を持ってきて、床の辺りに置くと、たちまち立派な男性になったのです。
その男性が乙女を娶って生んだ子の名は、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)と言い、またの名は、比売多々良伊須気余理比売と言います。これは、『ほと』というのを嫌って変えたものです。
こういうわけで、神の御子というのです」と申し上げた。
さて、七人の乙女が高佐士野(タカサジノ・場所未詳)に野遊びに出かけた時、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ・前述の女性)がその中にいた。そこで、大久米命は、その伊須気余理比売を見て、歌によって天皇に申し上げた。
『 倭の 高佐士野を 七行く(ナナユク) 媛女(オトメ)ども 誰をし娶(マ)かむ 』と。
ちょうどその時、伊須気余理比売は、その乙女たちの先頭に立っていた。
そこで天皇は、その乙女らを見て、心の中でも伊須気余理比売が最も前に立っていることを感じて、歌によって答えた。
『 かつがつも 弥前立てる(イヤサキダテル) 兄(エ・兄弟・姉妹いずれも、年上を兄といった)をし娶かむ 』と。
( <皆素晴らしいが>それはそれとして、先頭立って歩いている 年上の乙女を妻としよう )
そこで、大久米命は天皇の仰せを承って、その伊須気余理比売にその旨伝えた時、伊須気余理比売は大久米命の入れ墨をした鋭い目を見て、不思議に思って歌って言った。
『 あめ鶄鴒(アメツツ・黄色いセキレイらしい) 千鳥真鵐(チドリ マシトト ・マシトトはホオジロの仲間らしい。真は美称) など黥(サ)ける利目(トメ) 』と。
( セキレイやチドリやホオジロのように、どうして入れ墨を入れて目を鋭くしているのか。 )
これに対して、大久米命が答えて歌った。
『 媛女(オトメ)に 直(タダ)に逢はむと 我が裂ける利目 』と。
( お嬢さんに直接逢おうと思って、私は目を鋭く見開いているのですよ。 )
そこで、その乙女は、「お仕え申し上げます」と答えた。
さて、この伊須気余理比売の家は、狭井河(サイガワ・三輪山から流れ出て初瀬川に合流している)のほとりにあった。
天皇は、伊須気余理比売のもとに参り、一夜をお過ごしになった。
< その河を、佐韋河(狭井河に同じ)というわけは、河のほとりに山ゆりがたくさんある。その山ゆり草の名を取っての佐韋河と名付けたのである。山ゆり草のもとの名は、佐韋という。(この部分は、本文にある説明書きである)>
その後、この伊須気余理比売が宮中に入られた時の天皇の御歌。
『 芦原の 穢(シケ)しき小屋(オヤ)に 菅畳 弥清(イヤサヤ)敷いて 我が二人寝し 』
( 芦原の中のきたない小屋に、すげの畳(筵)を大変清らかに敷いて、私たち二人は寝ましたねぇ。 )
そうして、お生まれになった御子の名は、日子八井命(ヒコヤイノミコト)。次に、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)。次に、神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト・後の綏靖天皇)。この三人である。
☆ ☆ ☆
皇后を求める
さて、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト・神武天皇)が日向(ヒムカ)においでになった時に、阿多の小椅君(アタノオバシノキミ)の妹である阿比良比売(アヒラヒメ)を娶って生んだ子は、多芸志美々命(タギシミミノミコト)、次に岐須美々命(キスミミノミコト)のお二人がいらっしゃる。
しかし、さらに大后(オオキサキ・皇后)とする乙女を求めることになった時、大久米命が、「この地に、そのような乙女がおります。その方は、神の御子といわれています。そのようにいわれるわけは、三島(摂津の地名)の湟咋(ミゾクイ・地名にちなむ名前)の娘で、名を勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という女性は、その容貌が美しかったため、美和(奈良県の三輪)の大物主神(オオモノヌシノカミ)が一目で心を惹かれました。そこで、その娘が大便をしようとした時に、赤く塗った矢に姿を変えて、その大便をしようとしていた溝を流れ下って、その乙女のほと(陰部)を突きました。乙女は驚いて、走り回ってうろたえました。そして、その矢を持ってきて、床の辺りに置くと、たちまち立派な男性になったのです。
その男性が乙女を娶って生んだ子の名は、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)と言い、またの名は、比売多々良伊須気余理比売と言います。これは、『ほと』というのを嫌って変えたものです。
こういうわけで、神の御子というのです」と申し上げた。
さて、七人の乙女が高佐士野(タカサジノ・場所未詳)に野遊びに出かけた時、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ・前述の女性)がその中にいた。そこで、大久米命は、その伊須気余理比売を見て、歌によって天皇に申し上げた。
『 倭の 高佐士野を 七行く(ナナユク) 媛女(オトメ)ども 誰をし娶(マ)かむ 』と。
ちょうどその時、伊須気余理比売は、その乙女たちの先頭に立っていた。
そこで天皇は、その乙女らを見て、心の中でも伊須気余理比売が最も前に立っていることを感じて、歌によって答えた。
『 かつがつも 弥前立てる(イヤサキダテル) 兄(エ・兄弟・姉妹いずれも、年上を兄といった)をし娶かむ 』と。
( <皆素晴らしいが>それはそれとして、先頭立って歩いている 年上の乙女を妻としよう )
そこで、大久米命は天皇の仰せを承って、その伊須気余理比売にその旨伝えた時、伊須気余理比売は大久米命の入れ墨をした鋭い目を見て、不思議に思って歌って言った。
『 あめ鶄鴒(アメツツ・黄色いセキレイらしい) 千鳥真鵐(チドリ マシトト ・マシトトはホオジロの仲間らしい。真は美称) など黥(サ)ける利目(トメ) 』と。
( セキレイやチドリやホオジロのように、どうして入れ墨を入れて目を鋭くしているのか。 )
これに対して、大久米命が答えて歌った。
『 媛女(オトメ)に 直(タダ)に逢はむと 我が裂ける利目 』と。
( お嬢さんに直接逢おうと思って、私は目を鋭く見開いているのですよ。 )
そこで、その乙女は、「お仕え申し上げます」と答えた。
さて、この伊須気余理比売の家は、狭井河(サイガワ・三輪山から流れ出て初瀬川に合流している)のほとりにあった。
天皇は、伊須気余理比売のもとに参り、一夜をお過ごしになった。
< その河を、佐韋河(狭井河に同じ)というわけは、河のほとりに山ゆりがたくさんある。その山ゆり草の名を取っての佐韋河と名付けたのである。山ゆり草のもとの名は、佐韋という。(この部分は、本文にある説明書きである)>
その後、この伊須気余理比売が宮中に入られた時の天皇の御歌。
『 芦原の 穢(シケ)しき小屋(オヤ)に 菅畳 弥清(イヤサヤ)敷いて 我が二人寝し 』
( 芦原の中のきたない小屋に、すげの畳(筵)を大変清らかに敷いて、私たち二人は寝ましたねぇ。 )
そうして、お生まれになった御子の名は、日子八井命(ヒコヤイノミコト)。次に、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)。次に、神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト・後の綏靖天皇)。この三人である。
☆ ☆ ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます