第三章 ( 三十三 )
次の日は三月一日にあたっておりました。
天皇・春宮・後深草院・亀山院の御膳に姫さまも伺候されました。
舞台を取り払って、母屋の四面に壁代(カベシロ・壁の代用として垂らす帷)を掛けていて、その西の隅に御屏風を立てて、中の間に繧繝縁(ウンゲンベリ)の畳二畳を敷いて、その上に唐錦の茵(シトネ)を敷いて、天皇の御座が設けられています。
後深草院・亀山院の両院の座は、母屋に設けられています。
東の対の一の間に繧繝縁の畳を敷き、その上に東京(トウギョウ・トンキン、現在のベトナム)産の錦の茵を敷いているのは、春宮の御座のようです。
天皇・両院の御簾の役は関白殿、春宮には傅の大臣師忠殿の遅参で、春宮大夫が御簾の役に参られました。
天皇は常の御直衣に、紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
後深草院は固織物の薄色の御指貫、亀山院は浮織物の御直衣に同じ御指貫をお召しになり、これも紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
春宮は浮線綾の御指貫で、打御衣の綿の入っていないものを出だし衣にされています。
御膳が参りました。
天皇の陪膳は花山院大納言、役送は四条宰相と三条宰相です。
後深草院の陪膳は大炊御門の大納言、亀山院の陪膳は春宮大夫です。
春宮の陪膳は三条宰相で、役送は四条隆良殿です。この御方は、姫さまの叔父にあたりますが、桜襲の直衣、薄色の衣、同じ色の指貫、紅の単衣、壺胡籙・老懸(ツボヤナグイ・オイカケ・・武官の装束)までも付けていて、今日を晴れがましい日と思っておられるのが伝わってきます。
御膳が終わった後、管弦の御遊がございました。
天皇の御笛として、柯亭(カテイ)という御笛を箱に入れて平忠世殿が差し上げました。関白が受け取って御前に置かれました。
春宮の御琵琶は、玄上という名器だそうです。土御門親定殿が持って参上したのを、春宮大夫が受け取って御前に置かれました。
臣下の笛の箱は別にあります。笙は土御門大納言、同じく左衛門督。篳篥(ヒチリキ)は藤原兼行殿、和琴(ワゴン)は大炊御門大納言、笙の琴は左大臣、琵琶を春宮大夫、拍子は徳大寺大納言、洞院三位中将は筝の琴、中御門宗冬殿は付歌。
催馬楽の呂の歌で安名尊・席田。演奏は鳥の破急、律で青柳、万歳楽などが奏せられました。
そして、三台の急(雅楽で舞も加わる)もございました。
お祝の行事は、まだまだ続くのですが、思い返してみますと、姫さまにとって、これほど華やかで、貴き御方々が集われる会は、これが最後になられたのでございます。
* * *
次の日は三月一日にあたっておりました。
天皇・春宮・後深草院・亀山院の御膳に姫さまも伺候されました。
舞台を取り払って、母屋の四面に壁代(カベシロ・壁の代用として垂らす帷)を掛けていて、その西の隅に御屏風を立てて、中の間に繧繝縁(ウンゲンベリ)の畳二畳を敷いて、その上に唐錦の茵(シトネ)を敷いて、天皇の御座が設けられています。
後深草院・亀山院の両院の座は、母屋に設けられています。
東の対の一の間に繧繝縁の畳を敷き、その上に東京(トウギョウ・トンキン、現在のベトナム)産の錦の茵を敷いているのは、春宮の御座のようです。
天皇・両院の御簾の役は関白殿、春宮には傅の大臣師忠殿の遅参で、春宮大夫が御簾の役に参られました。
天皇は常の御直衣に、紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
後深草院は固織物の薄色の御指貫、亀山院は浮織物の御直衣に同じ御指貫をお召しになり、これも紅の打御衣に綿の入れられたものを出だし衣にされています。
春宮は浮線綾の御指貫で、打御衣の綿の入っていないものを出だし衣にされています。
御膳が参りました。
天皇の陪膳は花山院大納言、役送は四条宰相と三条宰相です。
後深草院の陪膳は大炊御門の大納言、亀山院の陪膳は春宮大夫です。
春宮の陪膳は三条宰相で、役送は四条隆良殿です。この御方は、姫さまの叔父にあたりますが、桜襲の直衣、薄色の衣、同じ色の指貫、紅の単衣、壺胡籙・老懸(ツボヤナグイ・オイカケ・・武官の装束)までも付けていて、今日を晴れがましい日と思っておられるのが伝わってきます。
御膳が終わった後、管弦の御遊がございました。
天皇の御笛として、柯亭(カテイ)という御笛を箱に入れて平忠世殿が差し上げました。関白が受け取って御前に置かれました。
春宮の御琵琶は、玄上という名器だそうです。土御門親定殿が持って参上したのを、春宮大夫が受け取って御前に置かれました。
臣下の笛の箱は別にあります。笙は土御門大納言、同じく左衛門督。篳篥(ヒチリキ)は藤原兼行殿、和琴(ワゴン)は大炊御門大納言、笙の琴は左大臣、琵琶を春宮大夫、拍子は徳大寺大納言、洞院三位中将は筝の琴、中御門宗冬殿は付歌。
催馬楽の呂の歌で安名尊・席田。演奏は鳥の破急、律で青柳、万歳楽などが奏せられました。
そして、三台の急(雅楽で舞も加わる)もございました。
お祝の行事は、まだまだ続くのですが、思い返してみますと、姫さまにとって、これほど華やかで、貴き御方々が集われる会は、これが最後になられたのでございます。
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