雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

懐仁親王誕生 ・ 望月の宴 ( 15 )

2024-03-13 20:39:13 | 望月の宴 ①

       『 懐仁親王誕生 ・ 望月の宴 ( 15 ) 』


帝(円融天皇)も位にお就きになって長年になられたので、今は譲位なさりたいとお思いであるが、どうにもこうにも御子がいらっしゃらないことをたいそう苦になさっていたところ、男女いずれかは分からないが、梅壺の女御(兼家の娘・詮子)が懐妊なさったことをたいそうお喜びになって、然るべきご祈祷を数多くなさった。
長日(チョウジツ・日限を決めず、長期間行う修法。)の御修法(ミズホウ)・御読経など宮中においても始めさせられたが、それは盛大なもので、これでご安産なさらぬはずはあるまいと頼もしく見える。
関白殿(頼忠)は、こうした世の中の有様に心がふさぎおもしろくない思いであろう。されば、どうあろうとも、この自分が生きている限りは何としてもわが娘の女御(遵子)を后に据え奉らんとお考えなのであろう。


やがて、天元三年( 980 ) となりました。
三、四月頃に梅壺の女御の出産がおありの予定なので、そのためのご用意に大わらわでございます。内蔵寮(クラツカサ)においては、御帳台(ミチョウダイ・御座所とする帳)はじめ白一色の調度の数々をご用意なさります。殿の北の方(兼家の室、時姫)も様々のご準備をなさいました。ただ今の世において、慶事の例になるものとも言えましょう。
帝からは、夜昼の別もなく、御使者が絶えることがございませんでした。

いつかいつかと周囲の大騒ぎが続きます中、五月の末頃から産気づかれ、その月も過ぎた六月の一日の寅の刻(午前四時頃)に、まことにめでたく男御子を、いささかも苦しまれることもなく無事に出産なさいました。
この皇子、懐仁親王こそが、後の一条天皇として帝位に就かれ、我が殿・道長殿との縁の深いお方なのでございます。
まず最初に帝に奏上なさいますと、伝統に従って御剣(ミハカシ)を差し上げられましたが、その経緯などはまことにめでたいものでございました。七日間にわたる御産養(ウブヤシナイ・親類縁者が集まって子供の誕生を祝い、無事に成長することを願う儀式。)の有様などは、想像を超えるほどのものでございました。
東三条の御邸の門前は、この数年の間でさえ気安く往来できる所ではございませんでしたが、今は冷泉院の皇子たち三人がいらっしゃるだけでも並大抵の御邸ではございませんのに、さらに今上の帝の第一の皇子が誕生なさいましたのですから、当然のことですが、何方もが何かにつけてご機嫌伺いにこぞって参上なさいます。
女御のご兄弟の君達(公達)方は、父兼家殿の左遷などで、長年にわたって鬱々とした思いで過ごしてこられましたが、今はそれも解き放たれて、晴れやかなご気分になられていたことでしょう。
道長の殿も、そのお一人でございました。


こうしているうちに、また今年、内裏が焼亡した。
帝は閑院に御移りになられた。閑院は故堀河殿(兼通)の御領にて、ご子息の朝光大納言が住んでおられたが、他所にお移りになった。

     ☆   ☆   ☆                       

 


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