雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

円融帝と兼家に隙間風 ・ 望月の宴 ( 16 )    

2024-03-13 20:38:48 | 望月の宴 ①

       『 円融帝と兼家に隙間風 ・ 望月の宴 ( 16 ) 』


梅壺の女御(兼家の娘詮子)が皇子を儲けられ、里邸にいらっしゃいました。
そのこともありまして、関白殿(頼忠)の女御(遵子)が帝のお側についておられましたが、ご懐妊の気配はございませんでした。
大臣はたいそう残念がって、心を痛めておられることでございましょう。
帝(円融天皇)は、梅壺の女御ご出産の皇子(懐仁親王)と一日も早い対面をお望みになられ、「御子をこっそりと参上させよ」などと仰せになられましたが、東三条殿(兼家)は世間の人が何を企んでいるかと恐ろしく思われて、なかなかご決心なさることが出来ないでおりました。
ところが、今年はどういうわけか、大風が吹いたり、地震さえあって、実に気味悪いことばかり続きましたので、帝は若宮が里邸でお過ごしのことをことさら気がかりになさって、その旨仰せになられましたが、そうとはいえ、里内裏(内裏焼亡のため帝は閑院に移られていた。)は狭苦しいためどうしたものかと実現しないため、しきりに御使者を差し向けられました。
若宮は、御五十日(イカ)や百日(モモカ)のお祝いなどを済まされまして、たいそう可愛らしくおなりでした。
兼家殿は東三条殿に行幸を仰ぎたく思っていらっしゃいましたが、太政大臣(頼忠)の御心に気兼ねされていたのでしょう。
帝と兼家殿との関係は、何とも微妙なものでございました。


帝のご気性は、たいそう穏やかでご立派であられるが、雄々しく毅然としたところに欠けていると、世間では取り沙汰されている。
東三条の大臣(兼家)は、世の中のことは御心の内では十分に成し遂げたと思っておられるようだが、それでもなお、気を許すことなく御心を構えておいでの様子である。それというのも、帝の御心が強くなく、どうも頼りなく思われているからであろう。

こうしているうちに天元四年 ( 981 ) となった。
帝は、御心の内に何か御願でもおありだったのか、賀茂や平野などの御社へ、二月に行幸された。皇子の為のご祈祷であれば、それも道理であろうと拝察された。
帝は、今は皇子もお生まれになり、何とかして譲位したいものとのお気持ちを急がされていらっしゃる。梅壺の女御が里邸で過ごしがちであることをおもしろくないことと帝は思っておられたが、右大臣(兼家)は、自分は一の人(最高位でないこと)ではないので、梅壺の女御がいつもおそばに奉仕することはない、とお思いであった。

堀河の大臣(兼通)がご存命の時、今の東宮(師貞親王。冷泉天皇の皇子でのちの花山天皇。)の御妹の女二の宮(尊子)が入内なさったので、帝はたいそう愛らしいお方だとご寵愛なさったが、入内なさって間もなく内裏が焼亡したため、「火の宮」と世の人に取り沙汰されているうちに、この女二の宮はまことにはかなくも世を去られたのである。

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