雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

素質と努力 ・ 小さな小さな物語 ( 423 )

2013-02-06 19:17:30 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
ロンドンオリンピック、連日感動を与えてくれています。
見事メダルを獲得した選手には、多くの報道機関が殺到し、幾つものエピソードが紹介されたりしています。一つのメダルの奥には、想像を絶するような努力と、実に多くの人々の支援があったことをうかがい知ることが出来ます。
同時に、惜しくもメダルを取れなかった選手も、あるいはとてもメダルなど縁遠いと考えられる選手であったとしても、やはり、オリンピック出場を果たすまでの道のりには、決して劣ることのない努力やバックアップがあってこそと想像されます。


テレビ観戦を通しての感想ですが、ある種の競技を見ていますと、日本人選手が、直近に帰化したような人は例外ですが、向こう百年オリンピックで優勝することなど不可能ではないかと感じてしまうことがありました。
人種的な差別の意識など全くありませんが、競技種目によっては、人種による肉体的能力に差があるのではないかと思われてしまうのです。


ある競技で抜群の成績を重ねていた選手は、「これほどの努力を人は天才だという」と話したという記事を何かで見た記憶があります。他の人を遥かに上回る、血の滲むような努力を「彼は天才だ」との一言で評価されることに強い抵抗を示したのでしょう。
あるベテラン監督のこんな話も記憶しています。「あれほど素質がありながら、今少し努力が足らないのではないのか」というある選手のことに関する質問に対して、「一流を目指している選手は、誰も大変な努力をしていますよ。しかし、超一流といわれる選手は、それを遥かに超える努力をしているのです。それが出来るのかどうかは、それも素質なのかもしれません」と、ベテラン監督は答えていました。


どんなに努力をしても、金メダルに届く選手はごく限られた人だけです。これは厳然たる事実で、やはり、持って生まれた素質というものを無視することなど出来ないような気がします。
しかし、虚弱体質で育った子供がスポーツ選手として大成している例も少なくありません。その人には、虚弱体質のように見えただけで、もともと素質があったのか、努力で素質を超えてしまうことが可能なのか、なかなか判断が難しいところです。
素質と努力、この二つの能力はどのような比重と関係を持ちあっているのでしょうか。
そして、これは、何もスポーツの分野に限ったことではありません。私たちの日常生活を取り巻いているあらゆる分野でも同様のことが言えます。
ただ、自分自身のことはなかなか分からないものですし、それ以上に認めたくもありませんから、ここは、混迷を極めている政治の世界で発言している人たちについて、「彼は素質が足らないのか」「努力が足らないのか」「双方共に足らないのか」と、好き勝手に品定めをすることにしましょう。

( 2012.08.10 )


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