雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

水無月ってどんな月? ・ 小さな小さな物語 ( 1776 )

2024-06-11 08:00:12 | 小さな小さな物語 第三十部

六月八日に九州南部が、九日に四国地方がようやく梅雨入りしました。沖縄・奄美地方は五月二十一日でしたが、いずれも平年に比べてかなり遅い入梅でした。
九州北部から近畿地方にかけても、四国まで梅雨入りしたのでぼつぼつかなと思うのですが、しばらくは晴れの日が続きそうで、当地(兵庫県)なども今少し先になりそうです。
私などは、六月といえば、まず梅雨を連想するのですが、今年の当地の入梅は月の後半になりそうな状況です。

旧暦六月のことを「水無月」ともいいますが、新暦においても使われることがあるようです。それは「水無月」に限ったことではなく、「弥生」「五月」「神無月」「師走」などといった言葉は、新暦のそれぞれの月にも用いられることが珍しくありません。
旧暦六月を「水無月」というのは少しおかしな気がして調べたことがあります。
おかしな気がしたというのは、「六月=梅雨」といった先入観から、六月を「水の無い月」というのが気になったのです。この言葉が誕生した理由として、「水無月」の「無」は「の」といった意味で、「神無月」の「無」も同様で「神無月とは神の無い月」ではなく「神の月」という意味で、水無月も同様で「水の月」といった意味だと説明されていました。そして、「田に水を引き入れる頃」あるいは「雨の多い月、つまり梅雨の頃」といったことから水の多い月だということのようです。
ただ、旧暦の六月は、新暦でいえば、年により差がありますが、今年の場合は、七月六日から八月三日にあたります。梅雨の時期ですが後半にあたります。

旧暦でいえば、梅雨と結びつけられるのは「五月」ではないでしょうか。「五月雨(サミダレ)」は梅雨を指していますし、「五月晴れ」は本来、梅雨の晴れ間の事を言います。
旧暦六月を今年に当てはめますと、梅雨末期の頃から梅雨明け十日といわれるカンカン照りの期間にあたります。「水無月」は、梅雨末期の激しい雨の季節に始まりカンカン照りの季節に至るのです。「水無月」を言葉通りに「水の無い月」とする説も存在しています。
そういえば、「神無月」も同様で、「全国の神々が出雲大社に集まるので、諸国に神がいなくなる」ことから生れた言葉ともされています。一方で、「神の月」という場合には、それゆえに「神様の存在を意識する月」なのかもしれませんし、出雲には、全国の神様が集まってくるので「神有月(神在月)」という言葉があるそうです。

このように、「水無月」を「水の多い月」と取るのか「水の無い月」と取るのか、微妙なところだと思うのです。
梅雨の末期の大雨で被害を受けた人などは「水の多い月」と認識するでしょうし、カンカン照りが続いて干魃や熱中症を経験した人は「水の無い月」といったトラウマになるかもしれません。
考えてみますと、たいていの物事や事象には「水無月」のように二面性を持っています。もっと多くて「多面性」というべきかもしれません。
些細な諍いから大きな争いや犯罪に至るまで、あるいは、もっと大きな騒乱さえも、物事や事象に多面性があることが起因しているかもしれません。日常生活において、一つの物を、誰もが自分と同じような見方をしているのではないということを、常に考慮する必要がありそうです。
さて、梅雨入りが遅れている今年の「水無月」は、どのような天候をもたらせてくれるのでしょうか。 



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