雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

期間限定 ・ 小さな小さな物語 ( 604 )

2014-09-05 10:16:57 | 小さな小さな物語 第十一部
「期間限定」という言葉を時々見たり聞いたりします。
賞味期限や消費期限とは全く違う位置付けで、商品の販売などで使われていることがよくあります。
季節の材料を使った菓子や料理などは、よく見かけますが、これなどはこの季節だけの「期間限定」製品だということで、販売戦略の一つだと思いながらも、ついつい求めてしまうことも少なくありません。そして、それは、決して騙されたとか、うまくやられたなどという気持ちはなく、一つのサイクル、大げさに言えば、社会の動きについて行っているように気分にもなり、悪いものではありません。

ただ、中には、少々やり過ぎではないかというものもあります。
テレビやラジオを通じての販売などにおいて、「只今だけの特別価格」とか「この期間だけの限定商品」などという言葉を耳にすることがありますが、これなどは間違いなく「期間限定」をセールスポイントに挙げていると思うのですが、同じようなコマーシャルが何か月も、時には一年中ではないかと思うほど流されるとあっては、あまり良心的とは言えないように思われます。
もっとも、ある大都市の商店で、年から年中「閉店大セール」を行っている所がありました。最近どうなっているかは知らないのですが、当時、少なくとも数年は続けられていたようです。まあ、そのくらい徹底して続けられてしまうと、騙されたと腹を立てるよりも、笑ってしまう人の方が多いようです。それに、決して嘘をついているわけではなく、いつかは閉店するというのは事実でしょうし、それが、ひと月先か五年先か百年先かという違いだけだともいえるわけですから。
それに、これは直接聞いたわけではないのですが、店主に言わせれば、「大特価セール」や「大感謝セール」などと同様に、「閉店大セール」も大売出しの一種だと胸を張っていたそうです。

当地では、三月に入ると、あちらこちらの家庭からイカナゴを煮る匂いが漂ってきます。「くぎ煮」を作っているのでしょう。
これなどは、正真正銘の「期間限定」の風物詩といえるでしょう。
また、期間は少々長くなりますが、関西の多くの駅頭を中心に、日本海側の旅館や温泉街などが「カニ料理」の案内が大々的に行われています。ぼつぼつ季節も終盤になってきていますが、特別列車やバスなども運行されたりしていてスケールの大きな「期間限定」といえるでしょう。

イカナゴにせよカニにせよ、あるいは、今買わなければ損をしますよとばかりに売られている商品も、少し時間を置けば、あるいは来年になれば、少々の値段の差があるとしても、二度と求められない物などそうそうあるものではありません。
しかし、私たちが生きていく上で、ただ一度の生涯というものを考えてみた場合、決して取り返しのできない「期間限定」というものはあるような気がするのです。
ある種の才能は、ごくごく限られた若い期間に鍛える必要があるようですし、スポーツなどでも、その競技によりピークに達する年齢はある程度決まっているように思われます。
「青春」などという言葉は、最近あまり一般受けしない言葉のような気がしますが、人生の中で、最も背伸びすることができ、またそれが許される時のような気がするのです。そして、まさしく「青春」は「期間限定」なのです。
「青春は年齢ではない」などと、何とかという詩人の言葉を持ち出す人もいますが、そのような言葉を持ち出すこと自体が、「青春」を遥か昔に失っている証拠といえます。
私たちは、人生における「期間限定」であるどの期間も、再び取り戻すことなどできません。中には、取り戻しているような発言をする人もいますが、単なる勘違いにすぎません。
人生の「期間限定」は、正真正銘の「期間限定」ばかりなのです。二度とその期間が戻ってくることなどありません。
ただ、私たちは何歳になっても、ある「期間限定」の中で生きているということも出来ます。そのかけがえのない与えられて時間を、精一杯に生きる工夫を考えることが大切なような気がするのです。

( 2014.03.09 )

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