衆議院が解散し、いよいよ選挙戦が始まりました。
正しくは12月2日の公示日からが正式な選挙戦だと思うのですが、街中ではどう考えても選挙戦としか見えない立候補予定者の熱弁が聞かれ、テレビでは、多くの番組が各党の代表者が、それぞれの主張を述べられています。
各党の代表者といっても、数日前の衆議院の議員勢力から大きな差のある党の代表者が、席順はともかく、ほぼ平等に意見を述べあっていて、またその数が多いものですから、それを仕切る司会の方の苦労ばかりが気になってしまいます。
それぞれ出席されている方は、党の要職にある人ばかりですから、自らの意見や知識を披露するのではなく、所属する党の立候補者が少しでも有利になるように、また、比例代表の投票が一票でも増えるようにするのが目的ですから、議論など成立するはずもなく、対立する党をいかに貶めるかが主目的で、昨日までの行動などには目をつむったような主張も堂々と展開されていたりします。
このような場に登場してくる人たちは、少なくとも政治家としては素人に毛が生えた程度というレベルの人はいないわけですから、わが国の政治家といわれる人の発言を聞く絶好の機会といえます。
それにしても、一人前の政治家になるには、知識や能力も必要なのでしょうが、頑強な神経を持ち合わせていることが絶対に必要だと思われます。
かみ合わない議論と言いましたが、この種の討論会は、討論会という名前だけで、主催者側もまともな議論がなされて何らかの結論を導き出すつもりなどないわけですから、出席者全員が、それなりの平等感をもって自由な意見や主張さえ述べてもらえればそれで良いわけであって、そこから建設的なものなど生まれることなど期待していないはずです。
全く建設的でもなく、いわんや生産性など全く期待できない主張の出し合いですが、それでも拝聴していますと、それぞれに実に素晴らしく感じられる意見が出されています。その多くは、「その通り実行した場合の副作用はどうなるのか」と、突っ込みを入れたいようなことが多いのですが、ぜひ実現して欲しいと思う事もいくつか見られました。
しかし、そのほとんどは、実現することなどないと思われます。
この種の討論会らしい番組に登場してくる各党の代表者が、全くの「空理空論」を述べているとは思われないのですが、例えば次の衆議院議員の任期である四年の間に実現するのかと言えば、その多くは実現しないことでしょう。たとえ解散がなく四年間を勤め上げたとしてもです。
ということは、それらの意見のほとんどは、「空理空論」ということになってしまいます。
「空理空論」の同義語を探してみますと、理想論とか夢物語といった、たとえ実現しなくとも主張し続けてほしいといった意味の言葉もありますが、絵空事とか妄想といった言葉も同義語として挙げられていました。彼らの主張は、たとえ実現しないものだとしても、果たしてどのような意味の主張なのでしょうか。
衆議院は、国権の最高機関であり、私たち国民の生命や生活のすべてを左右させる権限があり、同時に責任があるはずです。
主張されている意見が、絵空事や妄想の類でないのであれば、ぜひとも実現できるだけの勢力を得て、さらに現実性のある理論武装をして私たちの将来に貢献してほしいものです。
( 2014.11.25 )
正しくは12月2日の公示日からが正式な選挙戦だと思うのですが、街中ではどう考えても選挙戦としか見えない立候補予定者の熱弁が聞かれ、テレビでは、多くの番組が各党の代表者が、それぞれの主張を述べられています。
各党の代表者といっても、数日前の衆議院の議員勢力から大きな差のある党の代表者が、席順はともかく、ほぼ平等に意見を述べあっていて、またその数が多いものですから、それを仕切る司会の方の苦労ばかりが気になってしまいます。
それぞれ出席されている方は、党の要職にある人ばかりですから、自らの意見や知識を披露するのではなく、所属する党の立候補者が少しでも有利になるように、また、比例代表の投票が一票でも増えるようにするのが目的ですから、議論など成立するはずもなく、対立する党をいかに貶めるかが主目的で、昨日までの行動などには目をつむったような主張も堂々と展開されていたりします。
このような場に登場してくる人たちは、少なくとも政治家としては素人に毛が生えた程度というレベルの人はいないわけですから、わが国の政治家といわれる人の発言を聞く絶好の機会といえます。
それにしても、一人前の政治家になるには、知識や能力も必要なのでしょうが、頑強な神経を持ち合わせていることが絶対に必要だと思われます。
かみ合わない議論と言いましたが、この種の討論会は、討論会という名前だけで、主催者側もまともな議論がなされて何らかの結論を導き出すつもりなどないわけですから、出席者全員が、それなりの平等感をもって自由な意見や主張さえ述べてもらえればそれで良いわけであって、そこから建設的なものなど生まれることなど期待していないはずです。
全く建設的でもなく、いわんや生産性など全く期待できない主張の出し合いですが、それでも拝聴していますと、それぞれに実に素晴らしく感じられる意見が出されています。その多くは、「その通り実行した場合の副作用はどうなるのか」と、突っ込みを入れたいようなことが多いのですが、ぜひ実現して欲しいと思う事もいくつか見られました。
しかし、そのほとんどは、実現することなどないと思われます。
この種の討論会らしい番組に登場してくる各党の代表者が、全くの「空理空論」を述べているとは思われないのですが、例えば次の衆議院議員の任期である四年の間に実現するのかと言えば、その多くは実現しないことでしょう。たとえ解散がなく四年間を勤め上げたとしてもです。
ということは、それらの意見のほとんどは、「空理空論」ということになってしまいます。
「空理空論」の同義語を探してみますと、理想論とか夢物語といった、たとえ実現しなくとも主張し続けてほしいといった意味の言葉もありますが、絵空事とか妄想といった言葉も同義語として挙げられていました。彼らの主張は、たとえ実現しないものだとしても、果たしてどのような意味の主張なのでしょうか。
衆議院は、国権の最高機関であり、私たち国民の生命や生活のすべてを左右させる権限があり、同時に責任があるはずです。
主張されている意見が、絵空事や妄想の類でないのであれば、ぜひとも実現できるだけの勢力を得て、さらに現実性のある理論武装をして私たちの将来に貢献してほしいものです。
( 2014.11.25 )
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