早いもので、いつしか今年も残り十日ばかりになりました。
師走という言葉の語源は諸説あるようですが、よく知られているのは「日頃冷静な『師』さえ走り出す」ほど忙しいということからきているとされるものです。ただ、この『師』というのも、僧侶とも師匠ともいわれ定説はないようです。
かつては、商取引において年の瀬に一年分の決裁をすべて行ったり、熊さん八さんクラスの庶民も、生活用品の多くを付け買いしていて、大晦日に決裁していたらしく、落語にはその辺りの話が伝えられています。
現在は、商取引においては、歳末が特別大きな意味は持っていないようですが、多くの人にとって、やはり十二月は何かと忙しいことが多いようです。
その原因としては、ボーナスやそれに伴う商戦が盛んになり、クリスマスや正月といったイベントがあり、年末年始の連休を利用した帰郷や旅行などがあり、そのうえ年賀状も書かなくてはならないし忘年会もあって、通常の月より忙しくなるのは確かなようです。
このように、間違いなく十二月には行事が多いのですが、もう一つは、やはり一年が終わるということに対して、精神的に独特の感情に迫られる一面があるようです。
「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、どうも、何かを計画したり見直したりするのは、年の瀬のような気がします。個人的な感覚かもしれませんが、年の瀬は反省の時のような気がするのです。
何もこの慌ただしい時に反省などと面倒くさいことなどする必要はないと思うのですが、年の瀬が近づくにしたがって、様々なことを思い返す気持ちになりがちな気がするのです。
もっとも、つい最近ラジオで聞いたことなのですが、あるベテランタレントの方が「反省などしない。自分には反省している時間などないので、ひたすら前に進むだけだ」といった意味の言葉を述べられていました。ずいぶん勇ましい言葉だと思うのですが、同時に、反省してみて何かが改善することなどあまり経験した記憶がないので、この方の言葉に凄く納得してしまいました。
そうとはいえ、やはりこの時期は、何かと反省する気持ちが起こりやすい時期であることは確かなようです。
あれも出来なかった、これは手も付けていない、などと反省といいます、言い訳といいますか、忸怩たる気持ちに襲われがちです。
反省したところで、出来なかったことが急にできるようにもなるはずもないのですが、一年の終りに向かって、あれこれと来し方を思い浮かべることもそれはそれで意味があるような気がするのです。
そして、幸いにも、令和元年というこの年には、まだ十日も日が残されています。何か、一つや二つは出来るものがあるかもしれませんよ。
( 2019.12.20 )
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