氷河期とも、超氷河期とも言われるそうです。
働く者にとって厳しい時期が続いています。特に新卒者をはじめ若い人で職を得られない人が多いということが深刻な社会問題として浮かび上がってきています。
かつて、働く人の姿を表現する代表的なものとして「額に汗する」という言葉がありました。この言葉が現在でも通用するものなのか、すでに死語の部類に入れられているものなのか知りませんが、あまり目にしなくなっていることは確かです。
村の鍛冶屋さんが、額に汗を浮かべて「トッテンカン、トッテンカン」と鉄を打つ姿が、小学唱歌に歌われたように勤勉を代表するような光景だったのは、何百年も昔のことではありません。
しかし、現在の社会においては、「額に汗する」仕事は、労働の中のごく限られた分野になっています。この種の業務の多くは、すでにわが国では採算をとることが難しく海外へ流出してしまいました。
働く側も「額に汗する」を選ぶ人が減っていき、「汗を絞るより知能を絞る方が優れていると考える」ようになり、企業側も「可能な限り少人数で付加価値の高いものを求める」ようになり、そして、双方の思惑通りの現在に至ったのでしょうか。
ほんの二、三十年ほど前までは、若者にとって就職できないなどということは全くの想定外でした。
わがまま放題の若者も少なくなく、企業側が労働力としてこの層に幻滅を抱いた面もあるかもしれません。あるいは、わが国の経済発展の大きな流れとして、避けることの出来ない時代を迎えているのかもしれません。
しかし、一つだけはっきりしていることがあります。
いろいろな理由や要因はあるのでしょう。それらの全てが正しいとしても、「働く意欲のある若者に働く場所を提供できない国家」など、一人前の国家などと呼べないことだけは確かなことだと思うのです。
幸いわが国には、立派な経済団体がいくつもあります。政治などに任せていないで、その団体に加盟している企業がひと踏ん張りして、せめて若年層に働く場所を与えるぐらいのことは出来ないのでしょうか。
( 2011.01.27 )
働く者にとって厳しい時期が続いています。特に新卒者をはじめ若い人で職を得られない人が多いということが深刻な社会問題として浮かび上がってきています。
かつて、働く人の姿を表現する代表的なものとして「額に汗する」という言葉がありました。この言葉が現在でも通用するものなのか、すでに死語の部類に入れられているものなのか知りませんが、あまり目にしなくなっていることは確かです。
村の鍛冶屋さんが、額に汗を浮かべて「トッテンカン、トッテンカン」と鉄を打つ姿が、小学唱歌に歌われたように勤勉を代表するような光景だったのは、何百年も昔のことではありません。
しかし、現在の社会においては、「額に汗する」仕事は、労働の中のごく限られた分野になっています。この種の業務の多くは、すでにわが国では採算をとることが難しく海外へ流出してしまいました。
働く側も「額に汗する」を選ぶ人が減っていき、「汗を絞るより知能を絞る方が優れていると考える」ようになり、企業側も「可能な限り少人数で付加価値の高いものを求める」ようになり、そして、双方の思惑通りの現在に至ったのでしょうか。
ほんの二、三十年ほど前までは、若者にとって就職できないなどということは全くの想定外でした。
わがまま放題の若者も少なくなく、企業側が労働力としてこの層に幻滅を抱いた面もあるかもしれません。あるいは、わが国の経済発展の大きな流れとして、避けることの出来ない時代を迎えているのかもしれません。
しかし、一つだけはっきりしていることがあります。
いろいろな理由や要因はあるのでしょう。それらの全てが正しいとしても、「働く意欲のある若者に働く場所を提供できない国家」など、一人前の国家などと呼べないことだけは確かなことだと思うのです。
幸いわが国には、立派な経済団体がいくつもあります。政治などに任せていないで、その団体に加盟している企業がひと踏ん張りして、せめて若年層に働く場所を与えるぐらいのことは出来ないのでしょうか。
( 2011.01.27 )
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