第二章 ( 二 )
さて、粥杖の事件にはまだまだ続きがございます。
姫さまや東の御方はじめ女房方は、万事計画通りにうまく仕返し出来たと溜飲を下げておりましたが、夕方の御食事の時に、常の御所に公卿方が伺候されていましたが、御所さまがこのことを話題にされたのです。
「私は、三十三歳になる。どうやら、厄年に負けたものと思われる。だから、このようなひどい目に遭ったのだ。十善の床を踏んで(帝王の位に就くこと)、万乗の主となった身が杖で打たれたなどということは、昔より未だ例のないことであろう。どうしてまた、諸卿は私に加勢しなかったのだ。女房たちと共謀したのか」
と、公卿一人一人に恨み言を仰せになられましたものでから、それぞれが何かと弁解を申し上げるのに苦労されたようでございます。
そのうちに、
「それにしても、わが君をお打ち申し上げるようなことは、女房であると申しましても、その罪科は決して軽いはずがございません。昔の朝敵とされる者どもでも、これほど不埒なことは致しておりません。御影をさえ踏んではならないことですのに、何と杖でお打ち申し上げたなどという不埒は、軽からぬ罪でございます」
といった趣旨を、二条左大臣藤原師忠殿・三条坊門大納言源道頼殿・善勝寺大納言藤原隆顕殿・西園寺新大納言藤原実兼殿・万里小路大納言源師親殿といったお歴々が、口をそろえて進言されたのでございます。
ことに善勝寺の大納言殿は、いつもの調子で先頭になって、
「それにしても、その女房の名前は誰と誰でしょうか。急いで承りまして、罪科の有様を公卿一同で協議申し上げましょう」
と、申されたのです。おそらく、このあたりが姫さまが今一つお好きになれないところなのでしょうね。
御所さまは、
「本人一人で済まないような重い罪科の場合は、親類にも累が及ぶことになるのか」
とお尋ねになられました。
「申すまでもないことでございます。六親(リクシン・父・母・兄・弟・妻・子の六種の親族)と申しまして、皆累が及びます」
と、得々と一同にお話されていますと、
「まさしく私を打ったのは、故中院大納言雅忠の娘であり、四条大納言隆親の孫であり、善勝寺大納言隆顕の姪と申すのであろうか。また、養女としてたいそう大切にしているということであるから、御息女ともいうべきなのであろう。二条殿の御局の仕業であるから、隆顕卿に一番の罪科が及び、他人事ではなかろう」
と、御所さまが仰せになられましたものですから、御前に伺候されていた公卿方は声を揃えて大笑いとなったそうでございます。
結局、「年の初めに女房を流罪にするのはどうかと思われる。親類縁者まで咎を蒙るのも、なかなかに煩わしいことである。昔にもこのような例があるので、早急に賠償を申しつけるべきである」と、大騒ぎのうえ決定されたようでございます。
お遊びから発展した事件でございますが、どこまで本気なのかもよく分からないままに流罪などという言葉まで出てきていたのです。もっとも、累が伺候されている公卿方まで及ぶとなっては都合良く抑えてしまわれましたが、多くの方々が賠償の責任を負わされることになってしまったのです。
* * *
さて、粥杖の事件にはまだまだ続きがございます。
姫さまや東の御方はじめ女房方は、万事計画通りにうまく仕返し出来たと溜飲を下げておりましたが、夕方の御食事の時に、常の御所に公卿方が伺候されていましたが、御所さまがこのことを話題にされたのです。
「私は、三十三歳になる。どうやら、厄年に負けたものと思われる。だから、このようなひどい目に遭ったのだ。十善の床を踏んで(帝王の位に就くこと)、万乗の主となった身が杖で打たれたなどということは、昔より未だ例のないことであろう。どうしてまた、諸卿は私に加勢しなかったのだ。女房たちと共謀したのか」
と、公卿一人一人に恨み言を仰せになられましたものでから、それぞれが何かと弁解を申し上げるのに苦労されたようでございます。
そのうちに、
「それにしても、わが君をお打ち申し上げるようなことは、女房であると申しましても、その罪科は決して軽いはずがございません。昔の朝敵とされる者どもでも、これほど不埒なことは致しておりません。御影をさえ踏んではならないことですのに、何と杖でお打ち申し上げたなどという不埒は、軽からぬ罪でございます」
といった趣旨を、二条左大臣藤原師忠殿・三条坊門大納言源道頼殿・善勝寺大納言藤原隆顕殿・西園寺新大納言藤原実兼殿・万里小路大納言源師親殿といったお歴々が、口をそろえて進言されたのでございます。
ことに善勝寺の大納言殿は、いつもの調子で先頭になって、
「それにしても、その女房の名前は誰と誰でしょうか。急いで承りまして、罪科の有様を公卿一同で協議申し上げましょう」
と、申されたのです。おそらく、このあたりが姫さまが今一つお好きになれないところなのでしょうね。
御所さまは、
「本人一人で済まないような重い罪科の場合は、親類にも累が及ぶことになるのか」
とお尋ねになられました。
「申すまでもないことでございます。六親(リクシン・父・母・兄・弟・妻・子の六種の親族)と申しまして、皆累が及びます」
と、得々と一同にお話されていますと、
「まさしく私を打ったのは、故中院大納言雅忠の娘であり、四条大納言隆親の孫であり、善勝寺大納言隆顕の姪と申すのであろうか。また、養女としてたいそう大切にしているということであるから、御息女ともいうべきなのであろう。二条殿の御局の仕業であるから、隆顕卿に一番の罪科が及び、他人事ではなかろう」
と、御所さまが仰せになられましたものですから、御前に伺候されていた公卿方は声を揃えて大笑いとなったそうでございます。
結局、「年の初めに女房を流罪にするのはどうかと思われる。親類縁者まで咎を蒙るのも、なかなかに煩わしいことである。昔にもこのような例があるので、早急に賠償を申しつけるべきである」と、大騒ぎのうえ決定されたようでございます。
お遊びから発展した事件でございますが、どこまで本気なのかもよく分からないままに流罪などという言葉まで出てきていたのです。もっとも、累が伺候されている公卿方まで及ぶとなっては都合良く抑えてしまわれましたが、多くの方々が賠償の責任を負わされることになってしまったのです。
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