麗しの枕草子物語
私って大泥棒?
頭(トウ)の中将殿がなさる、私に関するいい加減な噂話を本当にされたのでしょうね、殿上の間などで、それはそれはひどい言葉で私のことをけなしておられました。
そのことを伝えて下さる人も居られましたが、それを聞くだけでも恥かしい思いでいっぱいでしたが、全く誤解されていることですから、そのうちに本当のことを知っていただけるだろうと思って、そのままにしておりました。
しかし、その後も頭の中将殿の気持ちは変わらないようで、私の近くを通る時は袖で顔を隠し、私の声が聞こえるような時は耳を塞ぐなど、私への憎しみは薄れることはないご様子でした。
そのような状態がしばらく続いたあとの、ある夜のことでございます。
私が同僚の女房たちとお話などしていますと、使いの者がやってきて、頭の中将殿からの伝言だと言うのです。
さらに「ご返事を早く」と急かすのです。
あれほど私のことを憎んでおられたのに、何の用事なのかと思いましたが、急いで見る必要も感じませんので、
「すぐにご返事しますから、さあ、お帰りなさい」と使いを返しました。
ところが、その使いはすぐ引き返して来て、
「頭の中将様は大変ご立腹です。さあ、早くご返事を書いて下さい」と、必死に言うのです。
急かされるままに、私はお手紙を開きました。
中を見てみますと、考えていたような苦情のお言葉ではなく、青い薄様の美しい紙に、みごとな文字が書かれていました。
「華やかな中央官庁の錦の帳の下で、あなた方は楽しいことでしょう」といった内容の白楽天の詩が書かれていて、「下の句は、いかにいかに」と書いてありました。
これは大変有名な詩でございますから、もちろん下の句は承知しておりますが、この程度の詩を知っているからといって、自慢げに、しかも漢詩を書いて送るのもどうかと思い、少々困りましたが、使いの者はしきりに急がせますし、仕方なく、頭の中将殿からのお手紙の末尾に、炭櫃の消し炭を使って、『草の庵を誰か訪ねむ』と書いて、使いに持って帰らせました。
この言葉は、藤原公任卿の句から拝借したものですが、その後、頭の中将殿からは、何のご返事もありませんでした。
さて、このあとのことは、源中将殿や橘則光殿から聞いたことでございます。
実はあの時、蔵人の頭の宿直所には、大勢の人たちが集まっていましたが、その席で頭の中将殿は、
「あの清少納言という女と縁切れになっているが、どうも何かと不都合で仕方がない。あちらから詫び言でもあるかと思っていたが知らん顔をしている。今宵は、どういう結果になろうとも決着をつけたい」
と、集まっている殿上人たちと相談し、あの手紙を送って来られたのです。
一度手ぶらで帰ってきた使いの者には、「相手の腕を掴んででも返事を書かせよ。それでも書かなければ、こちらからの手紙を取り返して来い」と、厳しく命じられたそうです。
二度目に帰ってきた時には、差し出した手紙を持って帰ってきたものですから、「返してきたのだな」と、たいそう不機嫌なご様子でしたが、突然大きな声を出されました。
「何と、この大泥棒めが。当代随一の歌人の句を盗むとは。なるほど、彼女はただ者ではないな」
頭の中将殿の大きな声にまわりの人たちも手紙を覗き込みました。
「今度は、こちらがこの句に『上の句』を付けてやろう。源の中将、付けよ」
ということで、全員で遅くまで相談し合いましたが結論が出ず、
「これほどの返事に、いい加減なものを返したのでは、恥の上塗りになってしまう」
ということになり、返事はしないままになってしまったようです。
則光殿によりますと、私の返事次第では「宮中から追い出してやろう」というほどのことになっていたらしく、たとえ冗談にしろ、うっかりした返事をしなくてよかったと、胸がつぶれるような思いがしました。
この返事のことは殿上人たちの間で大変な話題になり、『草の庵を誰か訪ねむ』という句を扇に書いている人もたくさんいるそうです。
さらにこの噂は、中宮様や、主上にまで伝わり、面目を果たしたともいえますが、それにしても、あの時、誰が私にあの句を思いださせてくれたのでしょうか。
このことがあって後、頭の中将殿はご機嫌を直して下さったようです。
(第七十七段 頭の中将の・・、より)
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