雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

学問も命がけ

2020-09-01 08:26:46 | 麗しの枕草子物語

       麗しの枕草子物語 
         
           学問も命がけ

中宮定子さまが、たいへん美しく気立てもとても優しいお方であることは、一度でもお会いになったことのある方なら承知されていることです。さらに、聡明さにおいても、それはそれは素晴らしいお方でございます。
このお話は、中宮さまからお聞きしましたものでございます。

     * * *

村上帝の御時のことでございます。
宣耀殿(センヨウデン)の女御というお方は、小一条の左大臣の御娘でございます。
そのお方が、まだ姫君であられた頃、父君がお教えになられましたことは、
「第一に、お習字の稽古をしなさい。次には、琴を上手に弾けるように心がけなさい。その上で、古今集二十巻を全部暗誦することを学問としなさい」
というものでした。

このようなことは、良家の姫君であれば、当然の知識として学ぶものですが、さて、その程度といえば様々でございます。
一口にお習字と申しましても、見事なお手並みもあれば、判読さえ困難なお手並みの姫君も最近では珍しくありません。琴も同様ですが、古今集を全て暗誦するとなれば、これはなかなかのことで、文章博士だとて、そうはすらすらと詠み上げられるものではありますまい。

ところが、この女御の教養の高さは宮中で誰一人知らない者がいないほどに知られておりましたが、たまたま帝がこのお話を耳になされ、全く隙のない女御の鼻を明かしたいとでも思われたのでしょうか、物忌でお部屋に籠られておりました時に、古今集を持って来させたうえ、部屋の中ほどに几帳を立てさせました。
女御はいつもと様子が違うと思っていますと、帝は古今集を開かれまして、
「いついつの、どのような時に、誰それが詠みたる歌は、いかに」
と、女御に問いかけられたのです。

「ああ、こういうご趣向であられたのか」
と、聡明な女御は即座に帝の意向を察知しましたが、「間違って覚えていたり、忘れた所があったりすれば大変なことになる」と緊張されたのは当然のことでございます。
帝は、古今集をよく知る女房を二、三人ばかりお召しになって、碁石で正否の数を数えさせるようにしたうえで、女御にむりやり答えるように命じられたのです。
その時の様子を思い浮かべますと、大変な緊張が伝わってきますとともに、その場に居合わせた方々をうらやましくも思うのです。

いよいよ帝は質問を始められ、戸惑っている女御に繰り返し催促なさいますものですから、仕方なくお答えになられました。
さすがに、下の句まで全てを申し上げるような利口ぶったところはお見せになられませんが、どれもこれも露ほどの間違いもなかったそうでございます。
「何としても、少しでも間違いを見つけないことには止められないぞ」
と、帝は悔しいほどに思われましたが、とうとう十巻を終えてしまいました。
「あーあ、全く無駄骨であったなあ」
と仰って、古今集に栞で目印をして、帝は寝所に入られました。

帝は、しばらくお休みになってお目覚めになられましたが、
「このまま勝ち負けをつけぬまま終わるのはよろしくない」とお考えになり、さらには、「明日になれば、女御は別の古今集で準備をするかもしれない」とも懸念され、「今日のうちに決着しよう」と、お部屋に灯りを増やさせ、夜遅くまで質問を続けられたそうでございます。
しかし、最後まで女御はお間違いにならなかったのでございます。

この様子を、女御に仕えている女房がお里の大臣家にお伝えしたものですから、大臣殿はじめ皆さま大変心配なされ、経を唱えさせ、宮中の方角に向かってお祈りし続けたそうなのです。
実に優雅て、感動的なお話ではございますが、事と次第ではお里の名誉にも関わることであり、やんごとなき方々の学問は、まさに命がけでございますねぇ。


              (第二十段 清涼殿の・・、より)


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